歪みのニューモデル
どのようなメカニズムが身体に働いて、歪み現象が起こるのだろう。
長年、身体の構造機能を扱ってきた徒手療法にとって、「歪曲モデル」は争点の一つだった。徒手療法で支持されてきた古いタイプの歪曲モデルは、「圧縮モデル」あるいは「加重負荷モデル」とでも呼んでもいいだろうか。

このモデルで重要なのは、身体構造の圧縮力を支える支柱そのものがコンセプトの核心になってきたように思う。
簡単に言えば、構造の上位にある階層が下位の階層に伝えられ、最下層が全体の荷重を受けとめるというものだ。
次の図は、その基本的な加重モデルを示している。
三角形の頂点が圧縮性の支柱に上位からの力学的負荷が加重して伝えられて行く。
もうこの旧タイプの圧縮モデルは、筋骨格系のもろもろの症状や病態に対する説得力を失ってしまったようだ。
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現在注目されている歪曲ニューモデルは、「テンセグリティー」である。
このモデルは張力を支える「引っ張り材」と、圧力を支える「圧縮力」のバランスに注目している。
人体の機能は、靭帯、腱、筋膜、筋肉などは連続した引っ張り材として捉えられ、骨は引っ張り材の要素を兼ね備えた圧縮材からなるとみる。
下の図は、テンセグリテイー構造としてみたウサギのモデルである。
ここには、腱、筋膜、筋肉が一本の引っ張り材の単位として描かれている。
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このモデルを、人体の歪曲モデルにすると次の図になる。
引っ張り材としての筋・筋膜などの作用に注目したモデルである。
そうなると支柱は単なる圧縮材ではなく、脊柱そのものも引っ張り材として機能し対応していることになる。
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さて、引っ張り材の機能が過度になった組織に何が起こったか。
組織の硬結は、その重要な要因となるのだろう。
# by m_chiro | 2008-01-22 00:30 | 動態学 | Trackback | Comments(5)
この冬一番の寒気で
この冬一番の寒気で、気温もマイナス4度になった。
雪を踏みしめて歩くとキュッキュッと音がする。
まるで泣き砂のような音だ。
軒先には見事なツララが下がって、軒下を歩くのも憚られる。
ツララが落ちてきたら、「ツララ殺人事件」なんて起こったりして...。

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こんなのはまだ、「きれい」と見れないこともない。
旭川のマイナス34度というのは想像を絶するものだろう。
# by m_chiro | 2008-01-19 22:49 | 雑記 | Trackback | Comments(4)
「日本の知力」を読んで、無意識の底力を思った
読売新聞が1月3日から連載した「日本の知力」を興味深く読んだ。
4日の第二回目は「封印された驚異の才」と題して、サヴァンという特異な能力を持つ知的障害者のことが書かれていた。

並外れた計算能力(記憶?)を持つ33歳の愛知県の男性。
4歳でピアノをはじめ、演奏会前夜にCDで一度聴いただけの交響曲を弾くという6歳の男の子。
映画「レインマン」では、ダスティン・ホフマンが演じた驚異の記憶力を持つサヴァンが印象に残っている。この映画のモデルになった人は、9000冊の本を写真のように記憶しているサヴァンだ。
下記のサイトから、東京上空から俯瞰した大パノラマの絵を見てほしい。
スティーブン・ウィルトシャー(33歳)が、2005年にサインペンで描きあげた縦1メートル、横10メートルの東京シティである。
30分ほど眺めた東京都を、記憶を頼りに1週間で描いたものだそうだ。
正確な記憶に驚愕し、見事な筆致に感動することだろう。

http://www.stephenwiltshire.co.uk/Tokyo_Panorama_by_Stephen_Wiltshire.aspx

ヒトは誰でも、こうした能力を潜在的に持っているのだが普段は封じ込めているのだ、と脳科学のアラン・スナダー教授がコメントしている。
進化心理学のニコラス・ハンフリー教授は、進化の過程で人類はサヴァンのような能力を積極的に放棄した、と語っている。
自分の脳力をふりかえると、ホントかいな? と頚を傾げたくもなる。

養老孟司先生も語る。
サヴァンの脳は「異質な部位の連合ができないだけ」で特別なことではないとしながら、「我々は自分の脳のことを意識のもとですべて把握しているわけではない」のだと言う。

ヒトは意識を中心にして人工物を作り続けてきた。
それだからこそ、養老先生は文明や都市を「脳化社会」と位置づける。
そこでは「脳も体の一部に過ぎず、無意識が人間の行動を左右している、という重要な事実が忘れ去られてしまった」と、脳化社会を断じている。

確かに、古来から日本人は「無意識」を色々な場面で重要視してきたことは間違いない。
「心をどこにも置くな」は剣の極意。
力が抜けて脱力した状態は、一見無防備なようで実は隙がない。
そういえば、ブルース・リーも映画の中で、「考えるな! 感じるのだ!」と言っていた。
禅では「自我を捨てろ」と説く。
人間の知性を考えるときは、身体性を無視してはならないし、無意識も考慮しなければならない。知性には、総合的な視点が大切なようだ。
その全文を紹介しておこう。

日本の知力 第一部最前線で考える②
(平成20年1月4日・読売新聞の1面と2面)
「封印された驚異の才」
「野良犬がウイスキー飲んだ。ふらふらしてどうなる? 13億6747万3723.75。まむしは猛毒? 2億7349万4744…」。男性(33歳)がとりとめのない話を間断なくしながらボードを数字で埋めていく。彼が「大きい数」と呼ぶ9から11ケタの数と、大好きな「0.0625」との掛け算だ。
 愛知県内の授産施設で働くこの男性を30年近くみてきた神野秀雄・愛知教育大教授(障害心理学)は、人並みはずれたこの計算能力の正体を「記憶」と見る。3~9ケタと1ケタの掛け算も1~2秒で即答でき、「計算にしては反応時間が短すぎるから」だ。


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# by m_chiro | 2008-01-18 22:45 | 雑記 | Trackback | Comments(2)
「痛み学」NOTE⑨ 痛みに特異的な受容器がみつかった
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

⑨痛みに特異的な受容器がみつかった

痛覚の入力部である受容器の存在について考えてみたい。

19世紀末から20世紀にかけて神経組織医学の研究が著しく進み、いろいろな感覚受容器が発見されている。それまでは痛みの概念も時代とともに変遷してきた。

例えば、アリストテレスは「痛みは感覚ではなく不快な情動」であるとして「心臓説」を唱えたし、ダ・ヴィンチは「脳室説」を主張した。デカルトが痛覚系の本質的な発想を行ったのは、17世紀のことだった。痛みは、足先に飛び散った火の粉のエネルギーが、体内の管を通って頭の中の鐘を揺らした結果生じる、というものである。哲学者の発想、恐るべしである。

今日、「痛みを感じるところはどこか?」と問えば、それは痛覚受容器であるとなる。その受容器は、皮膚や他の組織などに枝分かれした神経の終末部にある。

痛み刺激によって終末の受容器に興奮が起こると、その痛点から伝導経路に乗って脳へ伝えられる。そして脳で「痛み」として認知される。侵害を受けた痛覚受容器が痛みの「第一現場」で、痛みを認知する脳が「第二現場」だ、という話である。ここは重要な押さえどころである。

もう一つの争点は、痛みの「特異的な受容器」の存在である。19世紀末からは「非特異説」が形を変えて度々提唱されていく。

受容器の特異性とは無関係に、どんな受容器でも過度の刺激を感知すれば痛み感覚になるとする「強度説」、あらゆる種類の感覚は神経インパルスの時間的・空間的な興奮パターンにより生じる「パターン説」、末梢からの求心性ニューロンの入力干渉によって痛覚が生じるとする「ゲート・コントロール説」(1965)へと展開された。

「非特異説」が覆された背景には、20世紀後半に2種類の受容器の発見があった。一つは「機械的受容器」で、もう一つが「ポリモーダル受容器」である。

例えば、こんな実験報告がある。刺激素子を鈍磨と鋭利な素子に分けて、圧迫による反応で比較すると、「機械受容器」の遅順応性タイプでは優位な差はなかった。一方、高閾値タイプでは、鋭利な刺激素子を用いると微弱な力による刺激でも放電反応がみられた。この実験から、「高閾値機械受容器」は痛覚専任の特異的な受容器であることわかった。

これは一次痛を伝える速い痛みの受容器であるが、痛覚受容器の存在が明らかになったからといって、病態時の痛みが解明されたというわけではないのである。
# by m_chiro | 2008-01-16 00:05 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)
意識が先か、無意識が先か!?
脳は情報の入出力系である。
入力は、五感を通じて脳に入る。
つまり、入り口の情報系は知覚と感覚である。
入力情報は脳内で処理され、動き(行動)として出力される。
出力は、筋肉の収縮によって表現されるわけである。
人が体を動かせるのは筋肉があるからで、それ以外ない。
もちろん、その背景にはホルモンの動きがかかわっている。
というわけで内面では、液性(化学物質)の伝達と電気伝導が作用して筋肉の活動が起こっている。
だから脳の出力系は筋肉に限定される。

その筋肉が動くのは、行動を意図するからだ、と考えるのが普通である。
例えば、そこの新聞を取ろう、と意識されるから手が動くわけである。

脳の出来事では、本当にそうか。
それを確認する実験を行った博士がいた(1983年)。
その実験は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の医学部・神経生理学教室で行われた。ベンジャミン・リベット教授の研究室である。

頭骸骨を切開した人の大脳・随意運動野に電極をつけて、ひとさしを指を曲げる運動に対する運動準備電位を計測した。
運動準備電位は、無意識に始まる運動の指令信号である。
行動(筋肉の収縮)は、意識されて動くのかどうか、を確認する実験ということになる。
①指を動かそうと「意図」する。
②指令が随意運動野に伝わる。
③無意識のスイッチがONになる。
④運動準備電位が発生する。
⑤指が動く
この順番に神経活動が起こると考えるのが普通である。

ところが結果は意外なものだった。
①無意識のスイッチがONになる。
②運動準備電位が発生する(「意図」するより0.35秒前)。
③指を動かそうと「意図」する。
④指令が随意運動野に伝わる。
⑤指が動く(「意図」の0.2秒後)。
そんなバカな! と思うのは当然で、世界中の学者がみな驚いた。

でも、誰が追試しても、何度やっても結果は同じだった。
未だに、リベット博士の実験結果を反証した学者は出ていないのだそうだ。
この実験結果は、リベット博士の著書「マインドタイム」や、リタ・カーターの「脳と意識の地形図」などに詳しい。

脳への入力は0.1秒で伝わり、脳からの出力は筋の始動までに0.5秒、と学んだが、準備電位に0.35秒も遅れて「意図」されているなんて、何ということだろう。
そうなると、人の主体的な意識というのも怪しいものだ。
人が錯覚するのは当たり前のことなのだろうか。
治療も無意識の領域に踏み込まなければならないのだろうか。
# by m_chiro | 2008-01-14 20:54 | BASE論考 | Trackback | Comments(5)



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