「痛み学」NOTE79. 痛み系における可塑性の絶望と希望

「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。
「痛み学」NOTE79. 痛み系における可塑性の絶望と希望
多くの痛みの研究者や臨床医が口を揃えて言うように、慢性痛は今なお現代社会の重要な課題である。そもそも痛みとは「生物学的な警告信号」に他ならない。それは生き物に基本的に備わったもので、痛みはその役割を終えたら消え去るはずだった。ところが3ヶ月を過ぎてもなお持続する痛みがあり、それは「慢性痛(chronic pain)」とされる。損傷した組織が修復され、治癒する期間が過ぎても痛みだけは続く。それだけでも厄介な問題が想定できそうだ。なぜ消えない痛みが起こるのだろう。
重要なことは、組織の侵害刺激が必ずしも痛み症状を作り出すわけではない、ということだろう。侵害刺激は症状でも痛みでもないのである。「痛みのメッセージ」である組織からの侵害刺激は、脊髄を介して確かに脳に送られる。ところが脳は、それを単純に受動するわけではない。痛みの程度は、最初に脳内でコントロールされるのだ。ゲートコントロール理論によれば、それでもなお痛み信号として送り続けるべきかの可否を脊髄に発信する。いわゆる「ゲートを開放してもよい」という許可を与えるのである。ゲート開放の許可は、特定のニューロンのスイッチをONにする。そこから脳は、この侵害刺激を痛み信号として受容することになる。それならば、長引く痛みはゲートをOFFにすればいいではないか、となる。が、事はそう簡単にいかないのが痛み系の複雑なところだろう。
いったい何が複雑なのか。ひと言でいえば、脳の「修飾」作用に他ならない。感覚領域のみならず、知覚領域、運動領域、補足運動領域、情動系(即時的あるいは長期的情動)、情動調整系、記憶、空間認知などなど、痛みに関わる対象となる脳領域は広範にわたっているのである。そして自律神経系、心理・情動系までも巻き込んで、症状は複雑に絡み合うのだ。そうなると、痛みは単なる症状を超えて「病気」となる。それは「慢性痛症(chronic pain syndrome)」とされている深刻な問題なのである。
もうひとつ重要なことは、神経系が連続した網状構造ではないということにありそうだ。要するに、一つひとつの神経細胞はギャップ構造というシナプス間隙によって繋がっている。だから実際には連続体ではない。軸索を伝導する信号は電気スパイクによってもたらされるが、シナプス間では神経伝達物質が放出される。それをまた次のニューロンで電気信号に変えるのだ。なぜシナプス間では、化学物質による伝達系に変えるという手間をかける必要があるのだろう。進化や発生の視点からも、素朴な疑問を感じざるを得ないところだ。よくよく考えていくと、そこには実に巧妙に作られた神経系の戦略を窺うことができるのである。
軸索を通る電気信号では、「0」か「1」の単純な通貨が運用されているようなものである。要は、信号が「送られる」か「送られない」かの二択にすぎない。もしも連続した網状構造であれば、ニューロン間を行きかう情報も「0」か「1」の限られたものになる。単純な情報網であれば、その処理能力も言わずとも知れてしまうだろう。そこで「ギャップ構造」の組成が意味を持つ。神経伝達物質という化学物質の出番である。シナプス間に放出された化学物質は、対側にある軸索末端の受容体にある依存性イオンチャネルの扉を開く鍵となる。開かれた受容体には次々とその化学物質が送り込まれて、興奮性信号を発信し続けることだろう。ひとつのニューロンには数千ものニューロンからシナプスを受けている。そうなると関連するニューロンは結合を強めたりあるいは弱めたりすることで、信号系の過不足が表現されることになる。こうして同時に発火するニューロンは、相互に結合を強めていく。それで学習能力も高まり、記憶が保持され、神経の可塑性の核が固定されるのだ。
可塑性(plasticity)から、合成されたプラスチック製品のイメージが湧いてくる。プラスチックを型通りに合成したら元には戻せない。そのように神経も歪むのである。この病態は、世界の研究者の頭を悩ませている絶望的な状態のようだ。そうした「神経可塑性研究の最前線」を詳細に取材し、一筋の光明を届けてくれたノーマン・ドイジ著「脳はいかに治癒をもたらすか」は一読に値する。この本には、神経の感作や可塑的変化に起因する難治性の痛みのみならず、神経機能性障害を克服した数々の症例が紹介されている。可塑的変化という神経の特性を逆手にとって、イメージ、光、音や運動、電気などの刺激反応を用いて、健全な信号経路を創設する逆の可塑的変化をもたらしたのである。この神経の可塑的変化の特性を逆利用した取り組みは、徒手治療においても実に興味深い。
c0113928_15244074.jpg

[PR]
by m_chiro | 2018-01-09 15:10 | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : https://mchiro.exblog.jp/tb/29019397
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by imamadearigatou at 2018-01-29 22:08
最後の部分はPLPと考え方が同じですね。
慢性痛への移行には、個人の物理的心理的環境、知性、質的栄養不足、などが複雑に絡んでおり、その中でも私は最近特に、質的栄養不足と痛みとの関連を確信しています。
どのような疾患や外傷であれ、結局は個人の治癒力の量で治るときは治り、また治りません。
すべての治癒現象にはざっくり言って、ATPが不可欠です。
ですがATPは質的栄養不足の人には欠落しています。
生きるだけで精いっぱいであり、不具合を修復するところまで、エネルギーが回らないのでしょう。
私の概念でしかありませんが「境界型質的栄養不足」の場合、各種の下流治療をして現象的に改善する場合があるのですが、それは当たり前のことでしかなく、たとえばそれは、鍼灸や漢方薬で脚気を治した、という類の事例です。
境界型の場合、本質的な治療をせずとも、何らかの方法論で心身を揺さぶるだけで、とりあえず正常なシステムに戻せるケースが多いのです。
それゆえにこそ、世の中には、色々な代替療法が、それぞれの分野において、「おれはこれを治したぞ」という経験と自負とを強く持っている(疑いもなく持ち過ぎている)わけです。
しかし、脚気の治療に本当に必要な治療とは、あまたの下流的処置ではなくて、当然に適量なるビタミンBの摂取であるわけです。
標準医療は元より、漢方も鍼灸も整体もカイロもヨガも、質的栄養不足から観れば、それらはすべて下流的処置に過ぎません。
ただし、上流的処置の効果が発現するには、一定の時間も必要となりますので、そういう時にこそ下流処置である、我々の技術と知識が大いに役に立つし、また患者さんの精神を支えるという大切なる役目も持つわけです。
Commented by m_chiro at 2018-02-19 17:01
核心的なご意見を同感しながら読ませていただきました。PLPの考え方も重要な概念と思っておりますが、ATPが関与する治癒現象についても、治る治らないの線引きに関わる重要な事象だと腑に落ちるようになってきました。臨床の中でも痛感させられております。そこに介入する下流的処置の役割についても整理されていて、何度も頷きながら読ませていただきました。私自身の考え方も整理できて、とても有難いコメントでした。感謝申し上げます。
Commented by imamadearigatou at 2018-02-20 07:50
補足。
脚気の治療の場合であれば標準治療は上流処置となりますが、標準治療で上流処置と成り得ている疾患処置は少ないですね。
よほど栄養不足との関係が(これまでの歴史の中で)顕著なもの以外は、まさか自分たちの科の疾患に、質的栄養不足が深く関わっているかも、という疑いすら持ち得ていませんから。

一方で、広島の藤川徳美医師の臨床のように、精神薬を使わずに栄養摂取指導だけで統合失調症や、うつ・パニック、小児多動などを治している現場もあるわけです。

自分を疑えるというのは一つの能力です。私は医療人には必須の能力であると認識しております。
逆にその能力がなければ、いつまでも本質には近づけないと思います。
Commented by m_chiro at 2018-02-20 17:25
自分のやっていることを疑う。私もいつもそのことを考えてきたように思います。疑うというよりは「本質」的なことは何だろう、と求める意識だったかもしれません。治療家としての大事な要素をあらためて再認識させられました。とても重たい言葉でした。
<< 「むち打ち症」のケベック診断基... 謹賀新年2018 >>



守屋カイロプラクティック・オフィスのブログです
外部リンク
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
ほとんどがMPSなんだけ..
from 心療整形外科
月経が再開した
from 心療整形外科
TPは痛みの現場ですらな..
from 反証的、鍼灸・手技・心理臨床
脊椎麻酔後頭痛について
from 反証的、鍼灸・手技・心理臨床
起立性頭痛
from 反証的、鍼灸・手技・心理臨床
「5%の中に本当の椎間板..
from 心療整形外科
髄液循環系と揺らしメモ
from 反証的、鍼灸・手技・心理臨床
医師はユニコーン(架空の..
from 心療整形外科
末梢神経の周膜と上膜にも..
from 反証的、鍼灸・手技・心理臨床
また勉強になりました。
from 漢のブログ
ライフログ
検索
タグ