信仰を根拠に手術などされたらタマラン!
治療家の道に入ったころ、古本屋でアメリカの写真誌「LIFE」の「THE BODY」を見つけた。1965年の発刊だった。
その中に頭蓋外科治療のはじまりについて書かれていて、そこにこの写真が掲載されていた。この頭蓋骨は旧石器時代のもので、外科治療の手術痕があった。 そんな一万年以上も前に、頭蓋骨に手術していたことに先ずは驚かされた。 しかもこうした手術痕のある頭蓋骨は世界中から発掘されていると書かれていた。 そのことにも驚かされたことを思い出す。 どんな患者さんが手術の対象になったのだろう? その時代は理解に苦しむような症状や、突然、豹変するような症状に出会うと宗教信仰を根拠に考えたようだ。 バビロニアの書物にも、こんな記述がある。 「神をもたない男が通りを歩いていると、頭痛は彼を衣類のように包み込んでしまう」 普通に生活していた者が、急に偏頭痛発作に襲われて人が変わったように苦しみだす。 あるいは、てんかん発作や憂鬱、精神錯乱、ヒステリーなどを起こすと、それは信仰心がないためだと診断されたのだろう。 信仰心のない者は、神から守ってもらえない。 だから、悪霊に取りつかれてしまう。 悪霊に取りつかれるから、人が変わったような症状や病態に見舞われるというわけだ。 でも、なぜ頭蓋骨に穴を開ける外科手術をするのだろう。 頭蓋に開けられた穴は、取ついた悪霊に出て行ってもらう抜け道らしい。 骨増殖の見られる手術痕もあるから、術後も生き続けたのだろう。 痕跡によっては、間もなく死んでしまったと思わせるものもある。 信仰心(信念)を根拠に一か八かの手術をされたら堪らない。 そんな時代に生まれなかったことを幸運に思うしかない。 が、よくよく考えると、現代でも信仰に基づいて手術されることは間々あると思えてくる。 科学は検証に検証を積み重ねて定説が生まれる。 医学も科学の領域ではあるが、「医学は科学ではない」(米山公啓著・ちくま新書572)という医学者もいる。 きっと、検証実験がほとんどガラス容器の中で行われた結果に基づいているからだろう。 基本的に生体実験はできない。そうなると、ガラス容器での結果から得られた定説だからと言って、そのまま臨床応用のための確かな根拠になり得ない。 それでも、そうした検証の結果はセントラルドグマになって、誰も疑うこともなく手術の対象にされるとしたら、それも問題だろう。 カール・ポパーは「科学は検証可能性ではなく、反証可能性にある」と言った。 「反証できないものは科学ではなく信念(信仰)である」と警告している。 椎間板ヘルニアが、痛みや根性痛の原因であるとする説は医療の定説になった。 「椎間板ヘルニア=痛み」が反証されることもなく信仰・信念なって、それが手術の根拠となったら、大昔の宗教的信仰を根拠に頭蓋骨の開頭術を笑えない。 それは医学的信仰」と言わざるを得ないのだ。
by m_chiro
| 2014-09-18 12:49
| 痛み考
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