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「解剖学の抜け穴」を読む
「解剖学の抜け穴」を読む_c0113928_0535944.jpg学兄・馬場信年先生に薦められて「解剖学の抜け穴」を読んだ。

著者は橋本一成・大阪大学名誉教授である。
副題に「解剖教室の講義余録から」とあるので、解剖学の表舞台にはあまり登場しないテーマが語られているのだろう。
「お薦めのことば」として、新潟大学名誉教授の藤田恒夫先生が一文を寄せていた。
藤田先生の「解剖実習の手引き」は、10年間続けた解剖実習のよき教科書だったし、その著「腸は考える」(岩波新書)も印象に残る一冊だったので、とても身近に敬意を感じていた先生である。
その藤田先生と著者がお仲間だったそうで、今に至るまでその著者にたどり着けなかったことを悔みながら一気に読み終えた。

解剖学を学んでいる学生にでも語りかけるように平易に書かれた小冊子であるが、小冊子といえども侮れない。あまり見向きもされないようなものでも、実は深く興味い内容である。

特に、頭蓋療法を行うセラピストには必読である。著者は日本における「脳脊髄液」研究の第一人者で、脳脊髄液について刮目すべき内容が書かれているからである。

私も頭蓋療法という技法を治療に用いる。この治療はオステオパシーの領域から起こった概念と方法であるが、今では多くのセラピストが使うようになった。

でも、この頭蓋治療の機序とその効果を説明しろ、と言われると言葉に窮す。言葉に窮すというのは、説明できないからというわけではない。その領域の共通の言語や感覚で語られるために、理解が及び難いという側面があるからである。

例えば、脳脊髄液である。ヒトの体液循環系の一つは血液循環系で、もう一つはリンパ循環系である。この2大循環系の存在は定説でもある。したがって、教科書や参考書に登場する「脳脊髄液」は、循環系という認識すらない。「中枢神経」の項目に、保護剤としての役割が添え物的に書かれているだけである。先ずは、ここで頭蓋療法なるものが胡散臭くなる。

ところが著者の橋本教授は3大循環系を主張しており、その3つめの循環系こそ「脳脊髄液循環系」だとする。そして、これを「第3の体液循環系」として実証している。
その循環経路も詳細である。中枢神経と末梢神経内部の組織培養液として、ヒトの大切な体液循環システムを担っている、と説いている。
末梢神経では、神経周膜管の中に流入し神経系の組織液として全身に満ちている、というのである。

豆腐の譬えが分かりやすかった。
豆腐は水の容器に入れられて売られている。豆腐を脳や神経に例えると、あの水は保護剤の役割だけではなく組織培養液として機能している。

その証拠に、豆腐を薄くスライスして乾燥させると高野豆腐になる。一旦、高野豆腐になると、再び水に入れても二度と元の「豆腐」には戻れない。

なるほど、脳脊髄液は第3の体液循環系なのである。確かに、この循環系の滞りは、神経の大きなダメージに繋がる。頭蓋治療で説明の出来ない不思議な現象に出会うことが多々あるが、これも神経系の組織液という体液循環系の視点から捉え直すと、うなずけることが見えてきそうである。

鍼灸の経絡・経穴についても多少の私見が述べられてもいた。その他、教科書からは到底学べない「解剖学の抜け穴」を覗いたような知的興奮を味わった。また、東洋医学や代替療法が西洋医学との共同研究が進まない現状を憂いてもいた。それは、大部分の医者が鍼灸などを胡散臭く思い、鍼灸師の側は西洋医者にコンプレックスを抱いたままであるからだろう、として次の言葉が寄せられていた。

これは私に言わせれば、四分・六分で西洋医学の方に非があります。なぜなら、ルネッサンス以降のサイエンスの精神が、医学の分野ではなお完全に開花していないからです。医学は人に関わる学問です。精神医学、社会医学もちろん、すべてにおいて、病を診るのではなく人を診る心を片時も忘れてはなりません。人を人として診るのではなく、生物学的な人を、他人の思いで歪めて見ているがゆえに、サイエンスから逸脱するのです。


深い含蓄のある言葉である。
by m_chiro | 2011-07-04 01:25 | Books
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