<   2009年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧
春再び
学会誌の査読委員会も終了し、最終原稿が次々と送られてくるようになって、編集作業で慌しくなりました。
編集長の役目も今年で退かせてもらうことにしたので、最後の仕事です。
まるでこの頃のバタバタに呼応したように、天候も乱れた春先でした。
桜が終わって冬に逆戻り。青森の弘前の桜も満開になった途端に雪が降り、桜見物に雪が降りしきるという珍しい景色の映像がTVに流れていました。

暖冬でしのぎやすい冬の春先は、とかくよく荒れます。
やっと昨日から春らしいぽかぽか陽気になりました。
庭に去年植えたチューリップの原種が花を咲かせました。小さな可憐な花です。
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水蓮鉢で飼育しているメダカも、陽気に浮かれて牡蠣貝のねぐらから水面に出て来て活発に動きはじめことが多くなりました。4種類のメダカがいます。黒メダカ、緋メダカ、白メダカ、青メダカ、今年も稚魚が育つのが楽しみです。稚魚をちょうだい、と患者さんからも催促の予約が入っています。
メダカの動きを見ていると、時間が経つのを忘れそうなほど、ボーッと出来ます。
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昨日は久し振りのお日様だったので、夕日を見に海岸に行ってみました。
夕日が川面に反射してきれいでした。この辺は岩牡蠣の豊富な地域です。近くにキャンプ場や温泉もあり、銭湯がわりに気軽に入れます。
ついでに源泉の露天風呂に入ってきました。
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by m_chiro | 2009-04-30 15:15 | 庄内の記 | Trackback | Comments(4)
満開の桜を見に行く
① 松ケ岡開墾場の桜
「松ケ岡開墾場」:戊辰戦争に敗れた庄内藩は、明治政府に廃藩置県や武士団の解散を迫られていました。
そこで、率先して庄内藩士による士族集団を結成し、明治5年に(1872)年に大規模な養蚕製糸事業をはじめることにしました。
開墾地として羽黒山・月山の麓にある「松が岡」が選ばれ、庄内藩士たちはこの地に桑園の造成を行いました。
「松が岡開墾場」は、士族集団が寝食を共にして開墾した様子を今に残しているのです。

ここは桜並木がとても綺麗です。私は松が岡の桜が好きで、毎年、桜の花見はここに決めています。
今日も好天気で花見日和でした。
5年前から、全国クラフト&桜祭りのイベントがあり、この日も早朝から賑わっていました。
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入り口前の天幕で備前焼きの作品が展示販売されていて、私は大好きな備前のお湯のみ、と首にかけるアクセサリーを買いました。

来春公開予定の藤沢周平作品「花のあと」の撮影がはじまりました。
キャストは6月に発表されるとか。次のブログに「花のあと」映画撮影現場実況が出ていました。

赤川の桜並木
赤川の土手沿いに、1.5kmほどに渡って桜並木が続いています。
その桜の本数は300本とか。
藤沢周平の映画でも、江戸から帰られた藩主の行列がこの桜並木を通るところを撮影していました。
それは見事な桜並木です。
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c0113928_183717.jpg背景には月山が、まだ多くの雪を残しています。月山スキー場は、あまりにも雪が多いために春になってオープンします。
夏までスキー場が開かれているほど雪が豊富なスキー場です。
赤川の河川敷では、野球にサッカーとスポーツに興じる少年たちや家族連れが楽しんでいました。
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by m_chiro | 2009-04-20 01:11 | 庄内の記 | Trackback | Comments(6)
「草取り症候群」雑感
Syarurukさんが「鍼治療8回目」で、草取りをした後のアチコチの痛みを「草取り症候群」と名づけていた。
なるほど言いえている。

東北も一気に春が来ると、みな浮かれ出したように庭いじりや家庭菜園をはじめる。
だから、この時期は腰痛の患者さんが特に多くなる。
特にご婦人方は、決まったように屈曲/伸展障害の腰痛である。
「何もしていない」と言うが、聞き取りをすると「草取り」に行き着く。
そんな患者さんたちは、やはり膝や肩の痛みも併発している。
「草取り腰痛」、「草取り症候群」、いただきです。

「むち打ち症」も「頚椎捻挫」だの「加速/減速障害」などと呼ばれるが、「むち打ち」と言うだけで分ってもらえる便利な呼び方である。
腰痛もアレコレ説明するより、「草取り腰痛」の方がピンと来るかもしれない。
膝や肩などの症状もあれば「草取り症候群」でいい。なまじ仰々しく「椎間板」だの「軟骨」だの「脊柱管」だのと診断されると、打ちひしがれるような感じがするのかもしれない。

やっと春が来て伸びだした草も、ようやく陽の目を見たと思ったら引き抜かれてお終いでは、気の毒でもある。
根こそぎやられた草の悼みを、始末した人が身体で請けたと思えば、アチコチの痛みも諦めがつくかもしれない。

ところで、植物には脳がない。つまり神経系がない。植物の情報系は遺伝子系が担当している。
なぜ脳がないかと言えば、行動する必要がないからだろう。
ところが動物には脳を欠かせない。捕食などのために行動しなければならないからだ。
人間が仕事を持つのも、ひとつには食うためである。
行動には、神経系という情報系が重要な役割をしている。
その情報系の入出力を取りまとめているのが脳である。

情報の入力は五感から入る。その入力された情報を処理して出力する。
でも出力系は一つである。筋肉以外にない。
ものを見る行為も、話をすることも、筋肉が始動してはじめて意味を持つ。
歩いていて水溜りを見つけたら回って通るのも、視覚情報を脳が処理し回避行動をとらせるからだ。
動きにも無意識的な部分があり、意識が介在する行動もある。
草が邪魔だ、という意識が介在するから「草取り」行動に精を出す。

だから身体と脳は切り離せない。脳は身体という末梢の情報に依存している。
身体性を抜きにして、脳はその役割を果たすことは出来ないのである。
筋肉が重要なのも自明の事である。

「草取り症候群」にうなづきながら、そんなことを考えた。
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by m_chiro | 2009-04-17 17:48 | 痛み考 | Trackback | Comments(4)
「痛み学・NOTE」24. 「椎間板ヘルニアガイドライン」の不可解
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

24.「椎間板ヘルニアガイドライン」の不可解

日本整形外科学会は、日常の診療で頻繁に遭遇する疾患と重要度の高い11の疾患を選び、2002年にその診療ガイドラインの作成に着手した。そして2005年には、「腰部椎間板ヘルニア」をはじめとする5疾患の診療ガイドラインが出版されている。

その「腰椎椎間板ヘルニア・ガイドライン」の前文には「患者と主治医がよりよい解決策を探って行こうとするときに、その手引きとして傍らにあるのが診療ガイドライン」とある。

つまりは診断基準ということであるが、最初に腰椎椎間板ヘルニアの突出が坐骨神経痛を引起し得ると考えたのは、1911年のGoldthwaitに遡る。ところが、腰部椎間板ヘルニアという診断名が統一されたものではないことに気づいた。
そんな事情から診断基準として提示されたのが、以下の5項目である。

腰椎椎間板ヘルニア診療ガイドライン策定委員会提唱の診断基準
1. 腰・下肢痛を有する(主に片側、ないしは片側優位)
2. 安静時にも症状を有する
3. SLRテストは70°以下陽性(ただし高齢者では絶対条件ではない)
4. MRIなど画像所見で椎間板の突出がみられ、脊柱管狭窄所見を合併していない
5. 症状と画像所見とが一致する
 

この診断基準によれば、腰部椎間板ヘルニアに特有の症状は腰・下肢痛ということになっている。
麻痺症状はどこにも出てこない。ならば、ヘルニアで麻痺を起こすことはないのだろう。
ヘルニアで痛みが起る生理学的機序も明らかでなく、そのうえ麻痺も起こさないとなれば、結果的にヘルニアは無害だということにならないのだろうか。
実際、無症候性のヘルニアに関する論文や報告も多いのである。
この状況を整形外科医なら知らないはずはない。
にもかかわらず臨床の現場では、ヘルニアを下肢痛の原因とする診断がなくなる気配すらない。

それは兎も角として、SLRはヘルニア診断にとても有用な所見らしい。
何しろ、「推奨度B」にあげられているのである。
ところが、「神経学的所見としてヘルニアに特異的なものはない」と更に注釈を付けているのだ。
一方ではそう言いながら、「SLR70°以下陽性」とする項目をしっかりと診断基準にあげている。
その根拠はどこにあるのだろう。

確かにSLRは神経学的所見を診るものではない。
股関節や仙腸関節周辺の軟部組織のスパズムや緊張の亢進を示しはするが、坐骨神経との関与については否定的なのである。

項目4に至っては、椎間板の病理所見だけが注目されている。
椎間板突出と脊柱管狭窄の両者の画像所見が同時に診られたら、何を基準にして分類するのだろう。
おそらく、続いての項目5の「症状と画像所見が一致する」と言うのだろうが、画像所見はあくまでも病理所見を診るものであって、電気信号としての痛み症状を読影できるものではない。
そもそも画像に一致する症状とは、どんな症状なのか。
不合理なことが、臆面もなく書かれているのである。

では、下肢痛は椎間板ヘルニアに必発の症状なのだろうか。
「推奨度C」とする注釈では、「腰痛のみで下肢痛を認めない椎間板ヘルニアの症例が存在する」としている。更に続けて「坐骨神経痛は膨隆型に比べて脱出型椎間板ヘルニアにより強く認められ、発現機序としては圧迫より炎症との関連が考えられる」のだそうだ。

つまりは椎間板ヘルニアの痛みは、髄核からの種々の炎症起因物質が関与した炎症症状だとする新興の仮説に含みを持たせているのである。

しかし、どんな仮説を持ち出してみようとも、受容器でもない神経根や軸索が炎症物質をどのように受容するのかを検証してみせなければならない。それも正常な神経で実証することが絶対条件となる。

椎間板ヘルニアなるものが「痛み」を生むのか、あるいは「麻痺」をつくるのか、それとも全く無症候性なのか、ガイドライン作りの前に徹底的な生理学的検証や議論が必要なのではなかろうか。
病理的分析ばかりしていても、本質を見誤りかねないだろう。
このような診断基準で、「患者と主治医がよりよい解決策を探って」行けるとは到底思えない。
このガイドラインには、ただ不可解さが残るだけである。
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by m_chiro | 2009-04-17 12:18 | 痛み学NOTE | Trackback(1) | Comments(0)
幽霊はいるか、いないか/痛みはあるか、ないか
最近、ご近所の親しい友人が亡くなったという中高年の婦人がみえた。
その婦人に異変が起るようになった。亡くなった友人の声が聞こるようになり、その人の気配や物音を感じて具合が悪くなるのだ。
家族の人からは何も聞こえないし何も感じないと言われが、本人は「霊が来ている」と言うのである。いつも頭がボーとしていて、首や肩も締め付けられるように苦しい。眠れなくなり、寒気や吐気がすると訴える。友人が自分を迎えに来ているのでは、と思うと気分も優れないらしい。

幽霊はいるのか、いないのか? そう聞かれれば、確かに「いる」と答えざるを得ない。
外界にいるのではない。その人の頭(脳)の中にいる。そこへもって、「幽霊なんていないんだから、気にしない!」と諭しても意味がない。この婦人にとっては、幽霊の存在は現実なのだ。

幻聴や幻覚があるからといって、必ずしも精神の異常というわけではない。正常な人間でも幻覚や幻聴を経験することがある。それは脳の情報処理活動の一環の中に起る異常な発火の結果なのだろう。この婦人のケースでも不安情動系が作動して脳内の異常な発火が起り、ついには自律神経系が反応しているのだろう。

先ずは、脳内の発火を沈静化してみようというわけである。頭蓋療法によって信号系を安定させてから、イメージング&リセット法を用いた。リセットの正否は、筋活動が抑制されるか安定しているか、および症状の再現の有無を指標とした。
幻聴が起った状況をイメージングによって再現させると、首や上胸背部が冷たくなり締め付けられるような症状が再現される。その信号を沈静化させると筋活動が安定する。ところが、再びイメージングをさせると、また症状が再現され筋活動も抑制される。筋活動の抑制や症状の再現が見られなくなるまで反復するのだが、通常は2回ほど安定することが多い。このケースでは症状の再現が完全に消え、筋活動も安定化するまでに5回のイメージング&リセットを一気に行った。

結果、治療後から幻聴や物音もなくなり身体の不調も安定したようだ。
そんな報告を受けながら、幽霊騒動も痛み論争も似たようなものがあると思えた。

痛みにも視覚系の原理は通用しない。痛みを視覚で捉えることが出来ないからである。
だから、痛いと言われれば痛いのである。そこで治療家は、痛みの再現や消失を頼りに機能的な問題を身体所見に求めている。

ところが整形外科領域では、身体機能よりも眼に見える痛みの証拠がどうしても欲しいらしい。だから画像に痛みの根拠を求めている。それでも、画像で判明するのは「形態(器質)」の問題に過ぎない。痛みは「働き(機能)」に関わる症状なのである。
この「形態」と「機能」の問題は、「脳」と「心」の問題に置き換えることもできる。
「脳」をいくら調べても、「心」は見えてこない。たとえ脳を画像に撮っても、その人の心は見えてこない。痛みも同様で視覚化できない。痛みは機能に関わる症状だからである。

画像に撮っても問題が見つからなかったら、「どこにも問題はないですよ」で終わる。したがって、触診などまずはしない。患者さんの身体には、ほとんど眼もくれない。ただ画像に執着する。よほど証拠とやらが欲しいのだろう。それでも湿布薬と鎮痛剤を処方されるのが常のようだ。
もしも画像に椎間板ヘルニアや変性、構造異常が見つかったら大変である。先行きの不安を煽るような説明を受けることも稀ではない。そんな患者さんの声をよく聞く。

最近、形態異常はそのままでは疾患とはならない、としているようだ。例えば椎間板ヘルニアが見つかっても、それだけではただ椎間板が出っ張っているという現象に過ぎないとする。それが神経根症状あるいは馬尾症状が伴って、初めて疾患となるのだそうである。
それならば、痛みという現象に絞って、痛み問題を捉えたらよさそうなものだが、そんなに単純にはしたくないようだ。どこかで両者を一致させないと気がすまないのだろう。

画像に痛みの根拠を求める医師には、画像の陰影に「痛みという幽霊」が見えているのかもしれない。だとすれば、幻覚が見えている限り、痛みと形態異常の一致はその人にとっての現実でしかない。この現実を変えるのはなかなか大変そうである。
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by m_chiro | 2009-04-16 08:07 | 症例 | Trackback | Comments(2)
我が愛しの犬たち② 再び、「バル(1989~2001)」のこと
ハスキー犬は、漫画「動物のお医者さん」で一躍人気犬種になったが、その人気もアッという間に下火になった。ほとんどの人が、「バカ犬」と言って蔑んだが、私は一緒に暮らすごとにとっても好きになった。
ほんとに愛すべき性格の犬だった。

いつもブログでお世話になっているsyarurukさんの妹さんが、犬の訓練士をしていたという。syarurukさんの愛犬「ホナ」ちゃんは、実は、その妹さんが育てた「わんちゃん」なのだそうだ。
ホナちゃんは、もう老犬だがとても可愛い表情やしぐさである。癒し系なのだ。
ホナちゃんが、syarurukさんとこのわんちゃんになったのには訳がある。
妹さんが、自分の闘病生活を優先せざるを得なくなったのだ。
最近、「ぐちゃ」さんという名で「ホナいこか」というブログを開設した。
その「ぐちゃさん」が、ハシキー犬が大好きだ、とsyarurukさんから聞いて、うれしくなった。
ぐちゃさんのところへコメントしたら、ぐちゃさんが訓練士時代に撮ったハスキー犬との写真をブログに載せてくれた。
それを見て、またうれしくなった。
ぐちゃさん、ホントに逞しくカッコイイ!!
写真のハスキーはまだ若い犬だが、このハスキー犬もらしくて素敵だ!

写真を見ながら、バルとの生活がとても懐かしく思い出されて感激だった。
ハスキー犬は誇り高く、気はやさしくて力持ちで、雪景色がよく似合う。
雪が降ると散歩の速度が一段と早くなる。ウキウキして小走りになる。
同行する私は、滑って転ばないようにと必死だ。でも、そんなことはお構いなし。
早く野原の雪原に行って、雪の中を思い切り駆け回りたい。ただそれだけしか頭にない。
吹雪の日でも、野原へ引っ張られて行ったものだ。
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ホントに雪景色が似合う犬だった。
雪の雪原を悠然と見回してから、狙いを定めて一気に駆け出すのだ。
ひとしきり駆け回って、戻ってくる。
除雪作業では、スノーダンプを引っ張って手伝ってくれた。
優れた労働犬でもあった。
夏の暑い日には、少しでも涼しいところを探してはだらしなく寝転がっていた。
クーラーが入ると、その下でやはりだらしなく寝転がった。

そのバルが、7歳の頃に、初めて病気になった。
1997年に、この時のことを業界会報のコラムの原稿にした。
「二種類の専門家」とタイトルをつけたが、このときに迫られた選択は今でも私の重いテーマになっている。

「二種類の専門家」はこちら
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by m_chiro | 2009-04-06 23:27 | わん・にゃん物語 | Trackback(1) | Comments(6)
我が愛しの犬たち① 初代わんこ・「バル(1989~2001)」の思い出から
私が長年の腰痛で苦しんでいた頃に、友人の獣医師から「それは運動不足だ!」と断言されたことがあった。
運動も含めて自分の健康管理をしっかりしなければ他人の治療などできない、と叱責されたのである。
そして彼は、お節介にも「強制運動用」と称して、犬を連れてきた。
それがハスキー犬だった。まだ子犬だったが、それでも大きな犬だった。

私は、確かに犬を飼うことに憧れていて、それは学生時代に読んだ一冊の本の影響だった。
書名や著者などはすっかり忘れてしまったが、その本の中に男子の生涯で「豊かな人生を送るために欠かせないものが3つある」、といったようなことが書かれていた。

一つは「よき伴侶」を持つこと。2つめは、無人島で暮らすハメになった時でさえも、これだけは持って行きたいと思うような「座右の書」を必ず一冊は持つこと。3つめは「犬を飼う」こと。出来れば大型犬がいい、と説かれていた。

犬は、君がどんな逆境に立たされようとも、どんなに辛い時だろうとも、決して君を裏切らない。生涯の本当のよき友となるだろう。犬を友として暮らすことは、男子の人生における不可欠の要素のひとつなのだ。そんなことが書かれていた。
なるほどと思いながら、いつか犬を飼いたいと思ってはいたのだが、それがこんな形で実現したのだった。

こうして私の憧れの犬は、他人から半ば強制的に「強制運動用」にと連れてこられたのである。私がその犬に何がしかの思いを膨らませて選んだわけではない。「強制運動用」なので、確かに運動量は豊富な犬種ではある。
腰が痛い、痛い、と言いながら、次第に動くことを恐れていた私に、突如やってきた犬という鞭だった。
思えば、私が腰痛というアリ地獄から抜け出せたのは、散歩というこの強制運動のおかげが皆無とはいえないように思う。バルと過ごした13年ほどは、とても至福の時でもあった。
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              愛しのバルドー      

1995年の日記に、バルへの思いを次のように書いている。

その日記はこちら
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by m_chiro | 2009-04-03 21:22 | わん・にゃん物語 | Trackback | Comments(8)
小児病的書評 VS 医師の責任と良心
加茂先生の記事の「書評」に、先生の著書「トリガーポイントで腰痛は治る」がamazonからのカスタマ・レビューの一つとして取り上げられていました。

レビューは「臨床医」と名乗る人のものですが、「独善的で根拠に乏しい内容」と断定しています。「独善的で根拠に乏しい」とする根拠は何だろう。加茂先生ならずとも、「そのココロは?」と突っ込みたいところです。

ホントに「臨床医」であれば、科学する人であるはずです。ところが、科学者らしさのひとかけらも披瀝していないのです。

それでも「何がしら役に立つ内容が書かれているのかと思い購入した」というのですから、腰痛に対して何かを求めたい心境ではあるのでしょう。
要するに、自身では決定論的な治療法も確信も持ちえていない状況なのだろうと推測できます。でも、購入したが役に立たなかったのであれば、その根拠を述べるのがカスタマレビューに投書する上での読者への責任ではないでしょうか。
それを僅か1行で、しかも、まるで駄々っ子の小児病的な乱暴さで「期待はずれ」と断じています。読み取る側からは「悪意」しか見えてきません。
そんな根拠の見えない一言を投書することの意味すら理解できません。

そんな書評に対してまで、加茂先生は医師としての責任と良心を以ってその一分を述べていました。
加茂先生の自説に対する根拠は、先生のHPやブログを読めば明らかです。
何よりも、多くの患者さんたちの声がその治療成績を物語っています。
これだけ意を尽くされているのですから、この書評の「臨床医」さんも根拠をあげて加茂先生に反論するのが科学者としての態度ではないでしょうか。
あまりにも無責任な言い草は論評者が科学者であれば尚のこと、傍で見ていても腹が立ちます。
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by m_chiro | 2009-04-02 17:02 | 雑記 | Trackback | Comments(3)



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