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「質感」、この極めて曖昧ながらクリアな感覚
先週の今頃は、WBCで大好きな野球を存分に楽しんだ。
その後もニュース番組などで裏話などが紹介され、その度に感動を新たにした。
決勝リーグのときは、日頃、野球に関心なさそうなおばさん達までが、待合室でも賑々しく話題にしていて関心の高さが窺われたものである。

イチロー選手には、プレイだけでなく言動にも注目した。
大会前に視力の低下が指摘されていたが、彼は「ボールを見るのは眼だけで見るのではない。身体全体で見るのだから問題ない」と周囲の雑音を振り払っていた。
「身体で見る」という物言いは極めて曖昧な表現ではあるが、とても含蓄があるリアルな感覚のように思われた。

ところが大会がはじまると、イチロー選手の状態は絶不調が続いた。
2割にも満たない打率で信じられないような成績である。チャンスにはことごとく凡退した。
天才も寄る年波には勝てないのかなぁ~と、白いものが目立ち始めて来た頭部を見ながら思ったものである。期待の大きさの分、苦しみも大きかったのだろう。
「痛覚にはない痛みを感じた」とも語っていた。これも専門家のような物言いだ。
独自の領域を築いた人の言葉というのは、なかなか味わい深いものがあるようだ。

話は変わるが、先週末は大阪にいて頭極堂先生と親しく話す機会があった。
頭極堂と名乗るくらいであるから、頭部のセラピーとその身体に及ぼす影響については独特の手法を開発しており、並々ならぬ努力の跡を窺うものがある。
とても独創的な発想で頭部や身体を診ているので、中には常人の理解を超えるものもある。

一体何を診ているのだろう?
膜系、神経系、関節などの運動系、循環系、...、何を指標にして診て、どこをターゲットにしてアプローチをしているのだろう。
いろいろな疑問が湧いてきて尋ねるのだが、なかなか私の理解はピンポイントで核心に近づけない。
結局、印象的にではあるが、部分だけど部分ではなく全体だけども全体ではない、ということなのだろうか? イチロウ選手が言った「身体で見る」という感覚に近い表現なのだろうか?
そんなことを考えながら思いをめぐらせていた時である。頭極堂先生が発した「質感」という言葉がひっかかった。

なるほど「質感」とは、治療家が極めてクリアな身体の感覚として感じているものに違いない。
リアリティとも違う。現代の脳科学的に言い換えれば「クオリア」ということになろう。
クオリアを感じる脳は決して特異的な部位が担当しているわけではない。
形や色、動きや深度など、脳内でバラバラに処理されたものを再統合することで出来上がるとされている。
こうした質感の変化をインデケーターにする方法論が確立されているとは言えないだろう。

でも、この曖昧ではあっても、個々には妙にクリアな感覚として納得できるものを感じることができるのである。
視覚でも、触覚でも、あるいは体感でも、その身体感覚として感じる「質感」、そしてその変化を楽しむと、また違った治療観が生まれそうな気がしてきた。
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by m_chiro | 2009-03-31 17:22 | 雑記 | Trackback | Comments(4)
「痛み学・NOTE」23. 圧迫性神経障害の症状は「麻痺」か「痛み」か?
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

23.圧迫性神経障害の症状は「麻痺」か「痛み」か?

菊池臣一教授は、神経の圧迫については「圧迫する側」からではなく、「圧迫される側」の視点が重要だとする。圧迫された神経根の内部で何が起っているのか。
そのような視点でみると、圧迫性神経根障害の病態は2つに分けられると述べている。
ひとつは神経根の伝導障害としての「麻痺」であり、もうひとつは「痛み」である。
根性痛は、神経根内部の変化として浮腫が生じ、そのために異所性発火によって下行性の「痛み」が認知されるという仮説である。

痛みと麻痺は生理学的にも全く異なった病態である。感覚受容器は身体組織における物理的・化学的・熱刺激を電気信号に変換する器官で、その伝達は脱分極と再分極に依存する。
痛みはその分極活動が活発に頻発されるもので、麻痺はこの分極活動が起らない。
このまったく異なった生理学的変化が、同じ病態に共存するはずはない。もしも麻痺と痛みが共存しているというのであれば、違う病態が混在した状態と言わざるを得ないだろう。

この問題を考える上で、話題になった医療過誤事件を参考にしたい。
2008年9月3日、新聞各社は次のニュースを伝えている。鳥取県立厚生病院における医療過誤により、医療賠償4500万円を支払うという記事であった。
2005年3月、頚部痛と両手の痺れを主訴とする女性が鳥取県立厚生病院を受診した。
検査の結果ではヘルニアによる「脊髄の圧迫」が原因とされ、減圧手術が行われた。
手術は成功し脊髄を圧迫していたヘルニア組織は摘出されたが、右手足に麻痺が現れた。
これは術後の浮腫によって「脊髄を圧迫」したことが原因とされ、再び減圧する再々手術が行われたのである。
ところが再々の術後には更に浮腫が広がり、今度は両手足の麻痺が起った。
病院側は手術に落ち度はなかったと主張したが、結果的に両手足の麻痺になったことを認めて賠償することになったというのである。

さて、ここで疑問に思うことは、「脊髄の圧迫」という病態を「痛み」と「麻痺」という生理学的に正反対の症状で同列に考慮していることである。
脊髄の圧迫症状は麻痺をもたらすのか、痛みを作るのか、第一にその実態は明確にされていないが、実際には脊髄の圧迫で麻痺が起ることを認めた結果になった。

では、主訴であった「首の痛みと両手の痺れ」の病態とは一体何だったのだろう。
問題とすべきは「両手の痺れ」である。実際、ベッドサイドでは「しびれる」と表現する患者さんの訴えをよく聞くことがある。この日本語表現は複雑だ。正座のあとの「しびれ(知覚異常)」も、知覚鈍麻を伴った知覚脱失(神経麻痺)も同じく「しびれ」と表現されるからである。

新聞報道で見る限り、その痺れの実態も範囲も窺い知ることはできないが、推論するならば椎間板ヘルニアによる神経麻痺(しびれ)の症状に、痛みという別の病態が混在していたのかもしれない。
あるいは、主訴とした首の痛みも両手のしびれ(知覚異常)も、頚椎ヘルニアとは全く別の病態による症状だったのかもしれないのである。
明らかなことは、血腫や浮腫による脊髄の圧迫で苦しんだ症状は、痛みではなく麻痺であったことは事実のようだ。

もうひとつ、次ぎの報告も暗示的である。
日本整形外科学会安全推進委員会が、2006年6月までの3年9ヶ月間で腰痛治療に頻繁に用いられる「神経ブロック」で3人が死亡、5人が両足の麻痺になっていると発表した。
この発表は、整形外科関係の事故316例の分析結果に基づいている。
2名の死者は、神経ブロック後に全身麻痺になり、呼吸困難により死亡した。
もう1人は注射器を体内に埋め込む方法のブロック注射で、挿入口からの感染症により敗血症で亡くなった。2例は麻酔薬の挿入部位を誤ったわけだが、いずれも不測の事態に対する適切な対応の遅れが死亡につながった。

さて、両脚の麻痺が起った5人のうち3人は注射のやり方に問題があり、後の2名は注射による血腫が「神経を圧迫した結果として麻痺」が起った。
こうした事例では、「神経の圧迫」という病態が「麻痺」症状を起こすことを示している。
どこにも、神経圧迫と「痛み」症状の関連は取り上げられていない。
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by m_chiro | 2009-03-31 17:15 | 痛み学NOTE | Trackback(1) | Comments(1)
加茂先生著書の書評
科学新聞社が発刊する「カイロ・ジャーナル」に、加茂先生の著書「トリガーポイントブロックで腰痛は治る」が第64号に取り上げられ、書評が掲載されていた。
一般に流通する新聞ではないので、参考の為に書評記事の全文を紹介しておきたい。

腰痛原因は筋スパズム奮闘数十年で治療法確立

徒手療法家なら、「トリガーポイントブロックで腰痛は治る!」と言われても、「そういう腰痛もあるでしょうね」程度が普通の反応だろうか。しかし、本書は、数ある「これで腰痛は治ります」タイプの本として見過ごすことはできない。腰痛とは何か、痛みはどこから来るのか、という問題に真っ向から取り組み、数十年にわたる臨床現場での奮闘から導かれた治療報告と提言だからである。
加茂整形外科医院院長の著書は臨床医として、現在の一般的な整形外科で行われる診断と治療に疑問を投げかける。整形外科に腰痛で来院すると、必ずレントゲンを撮られ、さらにMRIなどを撮り、そこに映る骨の変形やヘルニア、狭窄が痛みやしびれの原因と説明される。しかし、例えばヘルニアに関しては①ヘルニアの手術をしてもよくならないことがある②健常人でもヘルニアはある③痛みがあってもヘルニアがないことがある④保存的療法で簡単に治ることがある、との理由から、痛みの原因をヘルニアとする理論はつじつまが合わないことを説明する。
そしてほとんどの腰痛、筋骨格系の痛みの原因は、筋肉のスパズムである、と言い切る。様々な症状を伴った重症症状の原因が筋スパズムで、その病名として線維筋痛症(MPS)が当てはまるという説明は「パンチに欠ける」ということは著者も認めている。自律神経失調症、過敏性腸症候群、緊張型頭痛など、様々な“病気”を伴って、長い期間慢性痛に悩まされてきた症状の原因が筋肉の状態だったとはあまりにもシンプル過ぎるのである。しかし、問題の筋肉を突き止め、そこへブロック注射をし、確実に、時には劇的に症状をよくすることで、著者は原因を確信するのである。
「画像上にヘルニアがあるとか、狭窄や変形があるということと、痛みやその他の症状とは無関係である」ということは、カイロプラクティック大学では口が酸っぱくなるほど教えられる。画像診断を決定するためのガイドラインにも書かれている。カイロ大学で教えているのだから、当然医学部でも知識として教えられている。本書の中にも、画像の異常が痛みに結びつくとは限らないことは、ほとんどの医師が知っていると書かれている。しかし、事実に反する説明と治療が大多数の現場で行われている。その理由として、本書は医療保険システムの問題も指摘する。
しかし、痛みと画像上の発見とは相関しないということが、治療現場で無視される理由は、現行の治療以外のアイデアがないからではないだろうか。著者のすごさは、原因に基づいた治療法を工夫し、成果を上げ、治療法を確立したことだろう。
今後、本書に述べられた考え方と方法を実践する整形外科医は増えていくのだろうか。もしそうなれば、徒手療法よりブロック注射で解決しようとする人が増えるのかもしれない。しかし、痛みに対する神経筋骨格系のケアの大切さを理解する人が増え、カイロを合理的で身近な療法として利用する人も増えるだろう。医療関係者のカイロへの理解も進むだろう。そう考えると加茂医師の取り組みは、目が離せないのである。


文中のMPSは線維筋痛症ではなく、「筋筋膜性疼痛症候群」のことである。記者の勘違いではないだろうか。

トリガーポイントブロックは医師としてできる手法ではあるが、そこにはトリガーポイントを見つける技術が要求されてくる。見よう見まねで誰にでも出来る技ではないように思う。
そんなことよりも、著者の加茂先生が強調するのは、ほとんどの筋骨格系の痛みが「筋・筋膜」由来の症状だとする点だろう。

したがって、考え方さえ誤らなければ、トリガーポイントブロックだろうが、鍼だろうが、カイロなどの徒手療法だろうが、その手法を特定し限定するものではない。これは加茂先生自身が公言されていることでもある。

大事なことは、先ずは痛みを扱うすべての医療関係者や治療家が、痛みの本質を知ること、学ぶことにあると思う。そこから、治療家も自らの守備範囲の中で治療法を構築していくことが望まれるのではないだろうか。
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by m_chiro | 2009-03-24 19:31 | 雑記 | Trackback | Comments(8)
科学新聞社さんの御厚意
科学新聞社さんが、カイロプラクティックの専門図書を最初に出版されたのは1969年(昭和44年)である。それは米国カイロプラクティック大学の学長・DR.J.ジェンシーの翻訳出版であった。

長い間、日本のカイロプラクティックは学問的情報が乏しい状況が続いて中で、この本は日本におけるストレス学の権威でもあった藤井尚治先生(銀座内科・院長)が翻訳した。
藤井先生は既に故人になられたが、その後も深くカイロ業界に関わってこられた功労者でもある。

その出版刊行に踏み切った科学新聞社さんも、あれから今年で40周年を迎えることになった。私がカイロプラクティックの業界に身を投じたときには、この本は既にカイロのバイブル的な図書としての象徴的な存在でもあった。

科学新聞社さんの、その後の40年の歩みをカイロ関係者で知らない人はいない。カイロ関連図書の出版のみならず、カイロプラクターの資質向上にも尽力されて、業界の良きアドバイザーであり支援者のスタンスを貫いてこられたのである。
社長の斉藤信次氏には、私も随分とお世話になった。

その斎藤社長から、私がブログで記事にしている『「痛み学」NOTE』を科学新聞社が管理するカイロプラクティック&オステオパシー総合ウエブサイト「CHIRO-JOURNAL.COM」 に転載したい、との申し出があった。

私が勉強した備忘録のような書きなぐりの記事が掲載されるのは赤面の至りだが、少しでも多くの人に痛みについて考える機会になればいいかな、と思って承諾した次第である。間違いもあろうかと思うので、再度見直しながら随時の掲載をしていただくことになる。
また、科学新聞社が発行するカイロ関連の新聞・「カイロ・ジャーナル」にも第64号から掲載されることになるようだ。
これも斉藤社長の御厚意以外、なのものでもない。
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by m_chiro | 2009-03-24 19:24 | 雑記 | Trackback | Comments(4)
トーンと調整
Sansetu先生が『「調整」、この便利でいい加減なる言葉』の記事中で、カイロプラクターの使う「トーン」や「調整」の言葉が曖昧で主観的な表現である、と指摘しておられた。恐らく、私の記事中の書き方を指しているものと思う。確かに、「トーン」」という言葉はカイロプラクターの用語かもしれない。同業の間では阿吽の理解があるだろうが、誰彼に通じるもではない。反省すると同時に、手技の感覚世界をこうした形で表現することの難しさを感じた。

そもそも「トーン」と言う表現は、カイロプラクティックの創始者・D.D.パーマーがその理論の解説に核心的な用語として用いている。
カイロプラクティックの核となる考え方には2つある。
1つは「イネイト・インテリジェンス;先天的知能」として表現される自然治癒の哲学で、もう1つは「サブラクセーション」である。
「サブラクセーション」とは整形外科領域で使われる直訳の「亜脱臼」とは違っている。カイロプラクティックの独自の概念である。その定義によれば以下の意味になる。

「2つの隣接する関節構造が異常な位置関係にあることを示す。直接的または間接的に影響を及ぼす関節構造、その近位にある構造や身体全体の生体力学ないし神経生理学的な反射に変化が生じて、機能的および病理的結果を招くことがある」(ACA、1987)。
ここでは隣接関節構造の解剖学的位置関係の異常のみならず、神経生理学的反射による機能的・病理学的異常を招く要因が指摘されている。
今日的表現をするならば、「バイオメカニックス(生体力学)」と「神経学」が織り込まれているのである。

バイオメカニックスはカイロプラクティックの基本的な学問でもある。また、独自の学として構築されている分野でもある。が、ここでは話題から離れるのでひとまず置くとして、「トーン」は神経学の視点を表現している用語である。
ところが残念なことに、「トーン」に関する神経学的視点が、カイロ学における1つの学問として構築されて、コンセンサスが得られているとは言えない。Dr.Carrickという天才的なカイロプラクターが、神経学的な現象と徒手による刺激の果たす役割について一分野を確立しているようである。神経学の教育プログラムが作られ、「カイロプラクティック神経学専門ドクター(DACNB)」という資格制度もできている。だからと言って、それが医学の分野でのコンセンサスを意味するものではない。

それでも、カイロプラクティックの科学を表象する2つの学問(生体力学と神経学)を天秤にかけると、カイロでは圧倒的に生体力学に学際的発展のウエイトが置かれていると言っても過言ではないだろう。
したがって、カイロプラクティックに対する一般的あるいは医療分野の認識は、構造障害に対する治療法とされている。
生体力学は構造主義的視点であり、神経学は機能主義的視点であるが、この機能的視点については発展途上であるとは言えても未だ業界に浸透したものではない。
極論すれば、D.D.パーマーの「トーンの過不足が病気の根源である」という提言から、私の頭の中はさほど進歩しているとは言えないのかもしれない。
更に言えば「サブラクセーションは結果であり、原因ではない」というD.D.の言葉からも、生体力学と神経学の相関について確立されてきたものは何も出ていないのだろう。
百数十年前に出されたD.D.パーマーの考え方を、後に続く者たちが未だに模索し続けているというのが現状なのではないだろうか。

さて、私が「トーン」と書いているのには、そんなカイロプラクターの思い以外の何者でもない。だから、主観的概念だと言われれば頷くしかない。

機能は神経の活動に依存している。煎じ詰めれば「受容器」の活動である。それが脳に伝えられ、動きとして表現される。
しかし、受容器は単なるセンサーではない。比較する器官である。だから閾値がある。ここに受容器の特性がある。しかも、この閾値は万人に共通のものではない。個々に設定された閾であるのだが、身体のどこでこの閾値を決めているのかは謎である。
この一連の回路の信号系に膜電位の過不足が生じることを「トーン」として表現した。
「トーンが高まっている」というのは膜の電気的興奮性が高まり閾値に近づき興奮しやすい状態で、逆に興奮しにくい状態は「トーンの低下」として表現している。
中には、痛みなどのように発作性に興奮して脱分極を頻発している膜電位もあるだろう。
だが、何も膜電位は神経細胞に限ったことではない。

こうした膜電位におけるトーンの変化している部位を見つけて、その受容器に適切な刺激を送る。その刺激によって神経回路の信号系を安定させること、それがカイロプラクターの治療であると考えている。
そして、こうした神経のトーンに視点を置いた一連の手法を「調整」と言う言葉で書いたまでである。

では、そのトーンとやらをどのように定量化しているのかと問われれば、私には客観的なデータとして提示できるものは何もない。筋活動の始動をチェックしたり、運動学的分析をしたり、神経反射による動態反応をみているだけである。もちろん、圧痛も含まれる。

カイロプラクティックの構造主義的手法から抜け出して、私は「神経のトーン」という機能主義的視点を取り入れたのだが、悲しいかなそれを客観的に表現したり提示する術を持っていない。私はDCでもないし、昨今盛んに輩出されているカイロプラクティック理学士(B.C.Sc)でもない。カイロプラクティックを勉強してきた一治療家に過ぎない。業界から見れば、私のような半ば独学の徒は、こうした場でカイロについて語る資格などないのかもしれない。誤解を招く物言いには気をつけなければと思うが、アホな頭は斟酌している余裕すらないようだ。
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by m_chiro | 2009-03-19 08:58 | 雑記 | Trackback(1) | Comments(0)
突然の腰痛で屈曲・伸展ができない
61才の婦人が、3日前に椅子から立ち上がろうとしたら腰が痛くて立ち上がれなくなった、と言って来院した。
寝起きが特に辛い。からだを前屈することが窮屈である。起きてしまえば問題なく動けるが、立ったり座ったり、靴下を履く動作も困難である。思い当たることもない。明日は申し込んでいた旅行に出かける日で「あせっている」、と言って来院した。

屈曲/伸展障害であるが、痛みは胸腰移行部に強い。
屈曲/伸展障害は、通常「頭蓋―C1、2」と「仙骨-L5」の連動する動きが注目される。頭部と仙骨部のどちらを優位に考えるかは、意見が分かれるところである。
印象的には、屈曲/伸展障害の多くが腰仙部(仙腸関節を含めたL5との連動)にあるように思えるのだが、決定的なものではない。頭蓋―C1,2の連動を回復することで解消されることもよくある。

腰仙部の可動触診では大きな問題を感じなかったので、頭蓋圧をみようと側頭泉門に触れた途端に咳き込みだした。聞いてみると、腰痛の前に風邪をひいて咳に苦しめられたらしい。
風邪はよくなったが、時々発作的に咳き込むことがあると言う。当然のごとく、咳のたびに腰に響く。
横隔膜をみると、トーンが高くなっている。
先ずは横隔膜をリリースした。横隔膜の問題は腸腰筋にも影響する。

問題点を調整した上で頭蓋をみると、頭蓋―C1,2は問題含みである。
その上に胸隔膜の過緊張がある。
これらをリリースすると動きが随分スムーズに行えるようになったが、まだ深い前屈で痛みが誘発される。

肺経をみると、右は孔最に左は列缺に反応点がある。
その反応点から動きと同調させると、痛みも動きも更に安定した。そこにバイオを貼らせておいた。

脊柱近傍の症状に対して経絡の遠隔を使う方法は、なかなか思うように行かないことが多い。素人の応用だから、当然と言えば当然の結果なのかもしれない。
でも、こうした併せ技を使うと、結果がいいように思う。
経絡はこうした応用も可能で重宝している。
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by m_chiro | 2009-03-16 18:21 | 症例 | Trackback | Comments(2)
「アナトミー・トレイン」、待望の訳本が刊行された
c0113928_16182688.jpgこの本の翻訳を久しく待ち望んでいたが、ようやく医学書院から翻訳本が刊行された。筋筋膜とその膜系連鎖を学ぶには格好の教科書だと思う。「徒手運動療法のための筋筋膜経線」というサブタイトルがついている。
著者のThomas W. Myersは臨床生理学者でロルフィングの創始者であるアイダ・ロルフに学んだ。
ロルフの概念を発展させて、包括的な結合組織網の身体図を完成させ、その心身の健康に影響する意味づけをしたボディワーカーであり、ロルフ研究所のメンバーでもある。

筋膜の全身的連結には、交差点や駅に相当するようなポイントがいくつかあり、これらは身体の触診や検査のポイントとしても重要である。同時に重要な治療点でもある。
Myersの興味は単に形態学的な解剖にとどまらずに、スポーツや芸術的な運動学全般を評価する視点を提供している。

著者も本文中で述べているが、筋筋膜経線の概念は循環系や神経系に匹敵する反応系である。こうした考え方を学んでいると、いろいろな治療の手法が湧いてきて、とても楽しいテキストである。既存の治療法を受売りで学ぶよりも、基本的な治療の広がりに貢献できるように思える。

5つの視点がコラムで用意されている。その視点とは、徒手療法および運動療法の手技あるいはノート、徒手療法と運動療法に関する考え方、視覚的評価ツール、筋筋膜経線の用語や定義などである。これも治療家には実用的な押さえどころになっている
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by m_chiro | 2009-03-12 16:17 | Books | Trackback | Comments(2)
「日本文明の謎を説く」を読んで
ぶらりと本屋さんを覗いていたら、「日本文明の謎を説く」という本が目にとまった。表紙のデザインに「エッ?」と思ったのである。
日本文明論に、なぜモナリザの絵なの?
と、不思議に思いながら手にとって開いてみた。
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第2章に「ダ・ビンチの水循環トリックーなぜモナリザは永遠の美を獲得したかー」が書かれている。
注目しているのはモナリザその人ではなく、背景の河川にあるようだ。
読み進むと、これがなかなか面白い。買い求めて読んだ。

背景の河川と言っても、川の上流はどっちで、下流はどっちか、という問題である。
多くの謎を秘めていると言われるモナ・リザ。
多くの芸術家がモナ・リザの贋作を描いている。何しろ美術品の中でも、模写の多さではモナ・リザに及ぶものはないと言われる。100点以上もの模写やパロディの展示会が開かれるくらいなのである。

ところが、背景の川の上下流についてはそれぞれで、一貫したものはないのだそうだ。この絵の背景の川は上下流のわからない川で、モナ・リザの絵の謎のひとつとされていて、この謎はモナ・リザの神秘である「永遠の美」に関わっている。そして、そこには「川の流れのトリック」があるのだそうだ。

結論を言えば、背景の川は一本の川ではなく、背景の左右両側から流れ込む別の2本の川だ、という仮説を立てている。
左右のこだわりに執着していたダ・ビンチならではの構図で、川の流れはモナ・リザの真の図に流れ込んでいる。湖から無限に流れでて来る2本の川を、自分の身体に取り込んで無限のエネルギーを吸収することで、モナ・リザの永遠の美、永遠の生命を描き出した、と言うのである。

そんなわけで、この文明論は河川にかかわる水というエネルギーを通してみながら、公共事業という社会インフラの道筋までを著者の考えとして披瀝している。

徳川家康が、大湿地帯でとても人の住む土地ではなかった江戸村を大江戸にした眼力、利根川を征した調査と構想力に敬服させられる。
そのくだりに関する章を読むと、日本という国土を劇的に変化させた家康の存在感を再認識させられた。

その他にも、誰が情報を作るのか? 何が寿命を伸ばしたか、本当に海面上昇はあるのか、なぜカラスは遊ぶのか、日本はなぜ道路後進国になったか、なぜ日本人はロボットが好きなのか、なぜ日本人は勤勉で無原則なのか、、、、などなど興味深い内容が眼からウロコで納得させられる。

著者の略歴をみると建設省の元お役人である。こんなお役人もいるんだ、と思ってしまった。
公共事業という社会インフラの世界で仕事をしながら、たどり着いた文明論を展開している。
とても面白く読んだ本だった
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by m_chiro | 2009-03-11 13:33 | Books | Trackback | Comments(0)
「痛み学NOTE」22. 「Nervi Nervorum(神経の神経)」は、どんな役割を演じるのだろう?
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

22. Nervi Nervorum(神経の神経)は、どんな役割を演じるのだろう?

神経因性疼痛や神経の圧迫説などの根拠に「Nervi Nervorum」が持ち出されることがある。
「Nervi Nervorum」は「神経幹神経」あるいは「神経の神経」と訳されているが、一般的な解剖書にその名を見ることはまずない。
しかし、論文や参考図書には散見することがある。

例えば、「臨床痛み学テキスト」(熊澤孝朗監訳)、徒手医学関連では「グリーブの最新徒手医学・下巻」、「バトラー・神経系モビライゼーション」などの図書にも登場する。
下の図は「系統別・治療手技の展開」から引用した。

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神経幹は神経線維が神経周膜で覆われ、更に神経外膜が包み込んでいる。
この周膜と外膜に神経線維から分枝しているのが「Nervi Nervorum;神経の神経」である。
その分枝した末端には受容器があるとされている。
また、神経幹外からは血管と血管周囲神経叢が、神経幹の周膜と外膜に入り込んでいる。

こうした「Nervi Nervorum」に関わるシステム構造が、神経幹を圧迫すると神経因性疼痛が起ることの根拠として論じられることがある。
しかし、「Nervi Nervorum」の役割は未だよく分かっていない。
それでも、この神経の末端受容器が神経幹を圧迫したり、絞扼するような間接的な機械刺激で簡単に異所性発火が起るとは考えにくい。その証拠もない。
したがって、「Nervi Nervorum」の受容器が通常の機械的刺激で作動することには疑問が残る。

「臨床痛み学テキスト」(391頁)では、「神経幹の圧迫では痛みを伴わない場合がある」としながらも、痛みが発症するためには力学的な異常の前に神経の炎症が必要だとしている。その炎症が起る可能性の1つとして、「Nervi Nervorum」の存在とその役割をあげている。

そう考えるとうなずける。神経外膜や周膜が損傷すると、神経の結合組織に入り込んでいる血管周囲神経叢の損傷が起る。
この炎症反応は、当然、「Nervi Nervorum」の侵害受容器を異常に興奮させることになるだろう。

神経生理学者・Howard L. Fields博士(カリフォルニア大学;UCSF教授)は、“Multiple Mechanisms of Neuropathic Pain”のレクチャーの中で、この「Nervi Nervorum」についても触れている。
Howard博士によれば、このような「Nervi Nervorum」における過敏な侵害受容体が神経因性疼痛の可能性となり得る1つのメカニズムだとしている。
それも損害された神経に起った炎症が前提になっている。

「Nervi Nervorum」は硬膜の延長とするならば、その受容器の反応する条件が明らかにされる必要があるだろう。
本当に神経幹が圧迫されて侵害受容性の痛みが起こるのか?
この受容器に炎症性物質がどのように関わるのか?
興味深いことではある。この「Nervi Nervorum」の役割が解明されてくることに期待したいものである。
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by m_chiro | 2009-03-09 12:54 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(4)
「痛み学・NOTE」21.  根性痛は本当に神経因性疼痛なのか?
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

21. 根性痛は本当に神経因性疼痛なのか?

「腰痛」で著者の菊地臣一教授は、神経因性疼痛を「末梢神経ないしは神経根が原因となる痛み」とする臨床神経学者の仮説を支持している。
なるほど、根性痛は侵害受容性疼痛ではなく、神経因性疼痛だったというわけだ。確かに、神経根も後根神経節(DRG)も受容器ではない。

では、神経因性疼痛とは何か。
それは神経系の一次的な損傷やその機能異常が原因となる、もしくはそれによって惹起される疼痛のことである。
その定義するところによれば、「主な機序が末梢神経ないしは中枢神経系の知覚異常にある疼痛」(「臨床痛み学テキスト」)とされる。
つまり、神経因性疼痛は神経に対する直接的な損傷であり、疾病であり、機械的な圧迫などにより痛覚伝導系自体が障害された病態なのである。
神経系の原初の「傷」が引き金になる神経系における知覚系の疾患というわけだ。その原因も、中枢神経系にあるものと末梢神経系にあるものがあり、慢性痛症のひとつに分類されている。

したがって、ボルタレンやロキソニンなどのNSAID(非ステロイド性消炎鎮痛剤)やオピオイドの効果も期待できない。のみならず、内因性の疼痛抑制系も無効なことが多いとされる治療困難な痛み系のひとつなのである。
もちろん、治療後に症状が消えることも稀で、症状も長期に及び治療困難な痛みとしてヘルスケア上の重大関心事とされている疾患である。

神経因性疼痛の病態生理学的機序としては、次の5つの基本的要件があげられている。
①痛み感受性のあるニューロンへの直接の刺激、
②損傷された神経の自発性発火、
③中枢神経系の感作と求心路遮断による神経系の再構築、
④内因性の疼痛抑制系の破綻、
⑤交感神経依存性疼痛、
でこれらの要因の一つから複数が関与するとされる。

さてここで、神経根の圧迫が末梢性に根性痛を起こす、という課題に話を戻そう。根症状は、本当に神経因性疼痛なのか。
上記の病態生理学的機序に関わる要件で考慮すべきものは、
①ニューロンへの直接的刺激と②の損傷された神経の2点が取り敢えずの注目点であろう。
確かに、後根神経節(DRG)は刺激に対して感受性が高い組織で、痛みとの関係に注目が集まっている。
しかし、菊地教授も自著なのかで、神経根の「機械的圧迫の存在が即、疼痛の原因を意味するわけではない」と述べているように、機械的圧迫に関連する複雑な要因が絡んでいるようである。

詳細は次の機会に譲るが、椎間板由来の髄核成分が発痛物質として根症状を引き起こすのであろう、とする仮説をその有力な原因の一つに上げている。だが、病態解明はまだである。

髄核からの液性物質が吸収されるまでに1ヶ月ほどかかるとみられており、このことは椎間板ヘルニアによる根症状とされる痛みが好転する時期と符合することも、有力な研究課題であろう。
「正常な脊髄神経根の圧迫は痛みを生じない」というのは、学者間の共通した認識には違いない。

いずれにしても根性痛が神経因性疼痛とする根拠は希薄であるが、百歩譲って神経因性疼痛だとしよう。
ならば、それはCRPS(complex regional pain syndrome;複合性局所疼痛症候群)ということになろう。
2005年以前までは神経損傷のあるなしでタイプⅠ、タイプⅡに分けられていた。そのタイプⅡはカウザルギーである。
カウザルギーは神経の切断や末梢神経の外傷後に起こる神経障害とされる疼痛症候群である。

どう考えても、臨床の現場で見聞きするヘルニアの症状とはあまりにもかけ離れている。
そして何よりも、ヘルニアとされる症状にカイロプラクティックなどの徒手療法がよく反応しているという実績がある。
また、患部に触れることなく遠隔的手法で改善させる反証的報告もそのことを裏付けている。

根症状を神経因性疼痛とするのは、あまりにも実態と違っている、と言えないだろうか。
カイロプラクティックの臨床でも比較的多く診られ、世間的にもポピュラーな疾患が神経因性の障害であるとは信じがたいことである。

それでも根疾患を神経因性疼痛だとするならば、カイロプラクティック手技がどのような機序で神経因性の疾患に影響するのかを構築し直さなくてはならない。
そして何より、カイロプラクティック手技が機能的な障害ではなく、神経病変に対応するという治療戦略を示す必要があるだろう。
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by m_chiro | 2009-03-09 12:31 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)



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