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「おくりびと」を観に行く
酒田で撮影した映画「おくりびと」を観に行った。
重たいテーマを扱った映画だったが、随所に笑いあり、涙あり、ほのぼのとした温かさもあって、とてもいい映画だった。

全編を通じて、とても気に入った場面とセリフがあった。

主人公が納棺師の仕事についたことを親友から蔑まれ、妻からも「一生の仕事にできるの?」と問われ、「普通の仕事をして!」と迫られる。
遂には「さわらないで!」、「けがらわしい!」と拒絶された挙句、妻は実家に帰ってしまう。
1人暮らしの寂しさに、厳しい冬の天気と仕事のトラブルが追い討ちをかけ、打ちひしがれた主人公が納棺師の仕事を辞める決意をする。
仕事を辞めると告げるために社長のところに出向くと、奥さんに先立たれて1人住まいの社長は、観葉植物に囲まれた温室のような部屋で食事をするところだった。
長火鉢を前にして、「飯を食っていけ」と勧められて対面して座ると、社長は長火鉢に網をかけて河豚の白子を焼いた。
焼きあがった大きな白子を箸でつまんで、「これだってご遺体だよ」とつぶやきながら白子の汁をすすった。
「生き物は生き物を食って生きている」
社長は観葉植物を見渡して、「こいつらは別だけど」と言いながら、「死ぬ気になれなきゃ食うしかない」。
「食うんなら、うまい方がいい」
と、アツアツの白子を頬張る。
そして一言、「うまいんだなぁこれが! 困ったことに!」

このシーンとセリフがとても印象的でした。
人の「生と死」がテーマの映画だったが、そこにユーモアがあり、感動があり、笑って泣いた後の親子と夫婦の愛情に胸を熱くしました。
酒田で撮影したからというわけではなく、ぜひ多くの人に観て欲しい映画です。

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先日、「おくりびと」の写真展があったので、主演の本木雅弘さんが鳥海山をバックにチェロを弾くシーンを携帯で撮りました。この場面とチェロの音楽がとても素敵でした。
下の写真は今年の春に撮った同じ背景の写真です。菜の花が咲き、山麓の桜並木もキレイでした。

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by m_chiro | 2008-10-30 23:04 | 雑記 | Trackback | Comments(4)
のどぐろ
行きつけの魚屋さんでとてもキレイな色の魚を見つけた。
「のどぐろ」らしい。あまりキレイなので携帯で写真を撮らせてもらった。
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「これは釣り上げた魚だから色が鮮やかなんだ! 網ものはこうはいかない」と魚屋さん。
地物の「のどぐろ」である。しかも釣った魚である。
写真写りがイマイチだが、実際はもっとキレイな赤で、あちこちが金色にピカピカ輝いていた。
「最後の一匹だ。まけとくから買ってきな。刺身に作ってあげるよ。あらは澄まし汁にするとウマイよ」と言われて、刺身にしてもらった。
脂が乗って最高の美味だった。澄まし汁も絶品の味で、「うまいなぁ~」を連発しながら大満足の夕食になった。

「のどぐろ」は一般的に「アカムツ」と呼ばれる魚らしく、咽喉が黒色をしていることからこの名がついた。
通常は底引き網であげるようだ。
日本海側で珍重する魚で、その脂の乗りようは白身の「トロ」と言われているのだそうだ。「キンキ」が太平洋側での「赤い宝石」ならば、「ノドグロ」はさしずめ日本海側の赤い宝石だろうか。
寿司ネタとして食べたことがあったが、刺身で堪能し、お吸い物で舌鼓を打ち、何と贅沢な夕食になった。お酒もうまかった。
高値で取引されるのもうなづける味だった。
やみつきになりそうな旨さだった。
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by m_chiro | 2008-10-25 22:42 | 雑記 | Trackback | Comments(4)
筋肉はどこまでも無視されるのか。
日本整形外科学会が打ち出した「運動器の10年:世界運動」は、世界保健機構(WHO)が提唱した「BONE AND JOINT DECADE 2000-2010」(骨と関節の10年)を「運動器」と翻訳して標語したものである。
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TVの湿布薬などのコマーシャルの片隅にも、この運動のシンボルマークが出てくるので見覚えがあることだろう。

日本整形外科学会が、WHOの「骨と関節」を「運動器」と訳したことには関心させられた。
この世界運動も、そもそもはアメリカの「バイオメディカル振興策」に倣ったものだろう。
アメリカ発の「脳の10年」があり、「痛みの10年」が続き、並行して「運動器の10年」となれば、その先にあるADLやQOLといった活動性と質に関する方向性が伺えて素晴らしいことだと思った。
特に「骨と関節」を「運動器」と修正訳語したことには、拍手したい気持ちだった。

ところが、その趣旨を読んでアレッと思った。やはり「骨と関節」に重点が置かれている。筋肉などは、総称としての運動器のひとつぐらいにしか位置づけられていない。しかも総論的には無視されている。

運動を表現する出力系は「筋肉」以外ない。
運動器と言うからには、筋肉を第一に取り上げて然るべきだろう。
特に筋肉の痛覚線維は、運動器の疾患を考える上で避けられない課題であるべきなのだ。
ところが、どこまでも筋肉は無視されるようだ。

痛みの生理学者である熊澤孝朗先生の著書では、筋神経への刺激がいかに脊髄に影響を与えているかを論じている。そこに痛みの可塑性の発生する要因がある、としているのである。
下の図は、神経を電気刺激したときに、脊髄での興奮がどのように違うかを研究したものである(1984年にWall.P.D.とWoolf.C.Jが発表した研究)。
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一目して分かるように、皮膚神経を電気刺激した時と筋神経を刺激したときとは脊髄での興奮の度合いがこんなに違っている。
筋肉における痛覚線維の興奮は、それだけ脊髄での痛み過敏を増強しやすいということである。
痛みは、「痛み行動」へと拡散して慢性痛に移行する。
運動を阻害し妨げるものとしては、運動出力系としての筋肉を無視できるものではない。運動を表現する器官としての筋肉は、軽からざる存在なのである。

痛みの可塑性が問題視されている。
慢性痛がはびこる状況の中で、痛覚受容器の存在する筋肉は重要である。それは治療上の問題だけではない。痛みの可塑性に関する機序を学び、対応すべき方法を求める上でも、患者さん自らが自覚すべき課題でもある。
臨床的な痛みの問題については加茂整形外科医院のHP http://www.tvk.ne.jp/~junkamo/が最適の学びの場になるだろう。
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by m_chiro | 2008-10-23 23:16 | 痛み考 | Trackback | Comments(0)
「無知の姿勢」を学ぶ
「第10回・日本カイロプラクティック徒手医学会」における基調講演では、富山大学・斉藤清二教授による「物語の医療学-NBMとEBM-」についてのレクチャーを受けた。
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斉藤清二教授には、「はじめての医療面接」「ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践」「健康によいとはどういうことか―ナラエビ医学講座』などの著書がある。

NBMは1998年に英国における一般診療医が中心となって提唱された。
これは全人的医療をめざしたもので、学際的な専門領域との広範な交流を特徴としている。
NBM(ナラテイブ ベイスト メディスン)の「ナラティブ」とは、「物語(語り)」と訳されており、ある出来事についての言葉(言語記述)を、何らかの意味を持つと思われる記述を継いでいくことで「意味づける」行為のことである。
医療では、患者さんの何らかの目的を持った行動について、時間配列を持った語りや記述から物語を紡いでいく手法が使われてる。

特に、印象深かったことは「論理実証モードVSナラティブ・モード」についての説明であった。
ある語りや記述について、それが正しいか間違いか、あるいは合理的か非合理か、といった視点から出来事や言葉を評価し、検証し、最終的にひとつの真実に至ろうとするスタンスを「論理的実証モードの思考様式」とするならば、「ナラティブ・モードの思考様式」は「この人はどのような物語を語りたいのか」を深く理解しようとする姿勢で接することだというのである。
つまりは「無知の姿勢」で臨むことなのだろう。
前提として、不確定で複雑しかも偶有性のある事象の多様性を認めた上で、世界をより豊かなものにしようという哲学が伺われる話であった。
NBMは、あくまでもEBMの過剰な科学性を補完するものとしての意義を持つもので、患者さんの「病の体験の語り」を最も重要なものとして尊重していくことにある。

確かに、慢性痛の患者さんは積極的な治療に思った効果が期待できずに悩んでいる。そんな患者さんの「病の語り」を聞いて行くと、痛みそのもの以上に、痛みの為に行動できない苦痛が浮かび上がってくる。
痛みの新しいモデルである「生物・心理・社会モデル」に照らすと、その実態がよく理解できるだろう。
病よりも「人」そのものにより焦点をあてて診ること、言葉かけや個人的な問いかけを通して、「物語の医療」というもう一つの視点を持つことが重要な姿勢であることに気づかされた。
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by m_chiro | 2008-10-23 18:12 | Trackback | Comments(2)
「砂川直子ソプラノ・リサイタル」を聴きに行く
酒田出身の新人オペラ歌手・砂川直子さんのリサイタルを聴きに行きました。

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ご両親が治療にみえていて、今日はその娘さんの晴れ舞台です。

「プッチーニを歌うには理想的な声の持ち主」とは、恩師のマルチェッラ・レアーレ先生の評価だそうです。
彼女は2005年に東京音大の研究員となり、2007年に東京音大・大学院オペラ研究科修士課程を修了しました。
今年は、公演活動をしながら、2008年の第3回「マダム・バタフライ国際コンクールin長崎」のオーデションを受けました。
見事に、第一次審査を通過して、この11月の2次審査を控えています。
その合間に、故郷の酒田でリサイタルを行いました。
このリサイタルは、市民会館「希望ホール」開館5周年記念事業の一環として開催されたものです。

見事な歌声でした。
アンコールでは、おちゃめな一面をのぞかせながら、会場の笑いを誘い、とてもアットホームなリサイタルでした。
アンコールでは日本唱歌の「この道」などを披露してくれましたが、全編プッチーニの歌曲でした。
表情豊かで透き通った声色に酔いしれてきました。
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by m_chiro | 2008-10-19 21:59 | 雑記 | Trackback | Comments(6)
「私の考えるケア」② 「患者さんにとっての事実」を受け入れることからはじめる
とかく治療家は、自分の概念を患者さんに押し付けたり、あるいはその概念の中に押し込んでしまいがちになる。
一種の治療家の原理主義的な対応なのでしょう。
看板を掛けて標榜しているのだから、ある意味で当然のことなのだろうが、先ず初めに概念ありきの対応をやめることにした。
4年前に治療した患者さんとのエピソードから学んだことである。

患者さんの訴えを、「すべて患者さんにとっての事実」として受け入れよう。
そんなことは有り得ない、正しくない、間違いだ、善い、悪いなど、一切の評価をすることなく受け入れよう。
患者さんは自分の状況や病状を一番よく知っているはずなのだから。その事実を、先ずはそのまま受け入れよう。
評価せずに。

そこから、更に進めて、患者さん自身による「見立て」を聞き取ることに重点を置こう。
これは患者さんによる「解釈モデル」あるいは「説明モデル」でもある。

これまでは、聞き取る側に「損傷モデル」の前提があったように思う。
だから、患者さんも「損傷モデル」に思いが行き着く。
結果、「特に何も思い当たることがない」と言う言葉が返ってくる。

「解釈モデル」を上手く引き出せると、面白いことが見えてきた。
患者さんの思い違いや勘違い、健康に対する信念や信仰のようなもの、何よりも生活の有り様が見えてきて、とても参考になった。

生き物には「こうすれば、こうなる」という法則が通用しない。
だからこそ、根拠なく不安を煽るような説明はやらない。
できるだけ安心を与えることを第一義にするが、そのために嘘をついたり、誤魔かしたりはしない。
患者さんの何とかしたという真摯な気持ちからは、逃げない。
患者さんの治ろうとする「道筋」や「力」を邪魔するようなことはしない。
だって、よくなるものは、よくなるのだから。
その上で、よくなる最短距離を考える治療をして行きたいものである。

4年ほど前に治療した患者さんとのエピソードから、思い至ったことであった。
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by m_chiro | 2008-10-18 00:48 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
「私の考えるケア」① ある患者さんとのエピソード
「第10回・日本カイロプラクティック徒手医学会」(10月12日~13日)のメーンテーマは、「ケアの本質―徒手医学からのアプローチ」である。
大会初日(10・12)の最後のプログラムでは、パネルデスカッション・「私の考えるケア」が行われた。
1人の持ち時間7分の口演後に参加者との質疑応答という形で、6人のパネラーの1人として私も出演する羽目になった。
そもそも、こんなハードな問題を日頃考えているわけでもなく、確固たる見解を持っているというわけでもない。そこで、改めて振り返って考えてみることにしたのだが、いろいろな患者さんとの出会いがあり、その時々で考えさせられたエピソードがあって、そんな積み重ねの中に漠然と今のスタンスができているのかなぁ~、と思うしかない。それだけのことのようだ。
つまり、ケアについての確固たる見解など未だ持ち得ていないのだろう。
さて、困ったことになった。考えあぐねた末に、最もよく考えさせられた患者さんとのエピソードを紹介しながら、私が思い至ったことを話すことにした。

エピソードはこちら
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by m_chiro | 2008-10-17 20:29 | 雑記 | Trackback | Comments(6)
やっと終わった!
今年度の業界最大のイベント「日本カイロプラクティック徒手医学会」(10月12~13日)
が盛会裏に終了です。
私もパネルデスカッションのパネラーやら、ワークショップの講師と座長を務める羽目になり、忙しい日が続いてしまいました。やっと終わったという感じで、しばらく放心しておりました。

出掛けの飛行機から雲上に富士山の頂がみえたので、写真に収めました。
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朝の8時頃の富士山です。何か幸先が良い感じでうれしくなりましたが、実際には学会開催中も合間に科学新聞社の取材や役員会が入り、ヘトヘトでした。
久し振りの邂逅やうれしい出会があったり、情報交換の場ができたり、こうした全国規模の集会にも楽しみがあります。
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by m_chiro | 2008-10-15 12:52 | 雑記 | Trackback | Comments(11)
背骨のズレが痛みの原因になるという証拠は存在しない
10月に開催される学会が近づいてきた。また長い編集活動がはじまる。
と言うわけで、PCの周囲に無造作に積み重ねられていた昨年の資料や書類やらを整理した。
乱雑に積み上げられた中から思いがけない本が出てきた。「成人の急性腰痛治療ガイドライン」である。
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この本は、米国連邦政府厚生省ヘルスケア政策・研究局が行った調査をまとめたもので、1995年7月に翻訳出版された。
当時、翻訳に携わったのが7名のカイロプラクティックのドクター(D.C.)達である。
10年以上も前のことであるが、カイロプラクティックの業界ではこのガイドラインの内容をカイロの有効性が認められたと、随分と喧伝されたことを想い出した。そんな業界の風向きを確かめようと求めた本であったが、いつの間にか学会資料の中に紛れ込んだようだ。

この急性腰痛のガイドラインでは、「Bランク」に推奨される治療法として2つあげている。ひとつは、「アスピリンを含む非ステロイド系抗炎症薬(NSAID)は、急性腰痛症患者の治療に許容できる」としている薬理的効果である。ちなみに「Aランク」の確証度に相当するものはない。
もうひとつは「脊椎マニピュレーション」である。「マニピュレーションは神経根症状のない急性腰痛患者に対して発症1ヶ月以内に用いられれば有効である可能性がある」が「Bランク」の確証度とされる治療法としている。その他の理学的療法やエクササイズ、トリガーポイントブロック注射などは「Cランク」である。
どこにもカイロプラクティックの有効性が認められたとする表現などなかった。

一体、「マニピュレーション」とは何か?
このガイドラインでは「短い又は長い梃子の原理を利用し、脊柱に外力を加える手技療法」と定義している。そもそもマニピュレーションは、カイロプラクティックの専売特許ではない。多くの徒手療法の領域で使われている。この定義によるマニピュレーションの使用職域は広いのである。

関節の可動域を3段階に分けるとすると、1.自動的可動域、2.他動的可動域、3.副生理的可動域なる。自動的、他動的可動域だけを利用して行われる手技がモビリゼーションで、副生理的可動域まで踏み込んで「高速・低振幅」で行う手技が「マニピュレーション」である。

ところがカイロプラクティック業界では、マニピュレーションをカイロの独自の手技にすべく考えた。そこで提案されたのが「カイロプラクティック・マニピュレーション」という特異的手法である。何が特異的かと言えば、一つの椎骨に与える刺激の力動(スラスト)の方向(リスティング)を決めて、コンタクトの部位を設定して行う方法を、特異的なマニピュレーション、すなわちカイロプラクティック・マニピュレーションとしたのである。所謂「マニピュレーション」との区別化である。
結果的に、特異的なアジャストメントなど関係なく、一般的なマニピュレーションが推奨されたことになる。マニピュレーションとは、厳密に言えば副生理学的可動域(関節の最終可動域)で高速・低振幅のキャビテーション(ポキッと音がする関節腔液泡の破裂音)を引き起こすアジャストメントのことである。

研究デザインにも疑問が残る。ガイドラインの制作メンバー23名中に、カイロプラクティックとオステオパシーのドクターが各2名合計4名入っている。提出された論文も、カイロ大学の学生を被験者にしたであろうことは想像に難くない。当然、マニピュレーションに好感を持っている者達であろうし、良好な結果が出るのも当然だろう。
もしこれを日本で行ったら、恐らく「鍼灸」や「理学療法」がBランクの確証度になるだろう。

こんな結果を有難がったわけだから、日本のカイロプラクティックの関係者はおめでたかったわけだ。
そもそも背骨のズレ(サブラクセーション)が痛みの原因になるという証拠など存在しないのである。
カイロプラクティックも、研究の進歩と共に徐々に明らかになっている成果に耳を傾け、過去の捉われを捨てて、新たな理論を展開していくことが必要なのだろう。
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by m_chiro | 2008-10-01 23:25 | 痛み考 | Trackback(3) | Comments(2)



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