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揉めば揉むほど悪くなる②
70代の老婦人Sさんは、両膝の痛みで整形外科の治療を受けている。軟骨が減っているからだと言われ、2年間通院したお陰で膝の痛みが治ったようだ。でも軟骨が増えたわけではないが、痛みは治まった。その痛みは、軟骨が減ったから起こったのではない、という証拠でもある。

ところが、このSさん、今度は両肩が痛み出した。X-rayで問題ない。注射をすればよくなるからと、肩に注射と電気治療を続けてきたらしい。注射の後は楽になるが、すぐに又痛む。今度は、指圧マッサージに通院し続けた。毎回、肩や腕の痛む筋肉を随分丁寧に揉んでもらったようだ。すると、今度は腕の上げ下ろしでも痛み出した。余計な介入をしたのだろう。

それから1ヶ月も経って治療にみえた。
上僧帽筋や三角筋は、筋のトーンが低下して他の筋群とは異質な感じがする。あまりにも揉みすぎたのだろう。揉むほどに悪化して行ったようだ。

膝の痛みはないというが、左膝関節は軽度屈曲位で固着している。当然、座れない。
右肩は、右上肢を上げる動作(屈曲)で45度位から上腕部に痛みが走る。下ろす動作でも同じである。発痛部位は上腕部大腸経のラインである。左上肢の運動痛は顕著ではない。
左膝関節の固着といい、右上肢の大腸経ラインといい、陰陽交叉の対応となる典型的な症例のように思える。

そこで、左下腿の脾経ポイントに反応点を探ってみた。正確にはわからないが、陰稜泉と三陰交に相当する穴なのだろうか? 左下腿の陰稜泉らしき反応点に持続圧を加えながら、右上肢を挙上させたら、スムーズに挙がる。患者さんはビックリして、「何でだ?」を連発している。
ところが、下ろす動作で痛む。今度は三陰交あたりのポイントにも持続圧を加えて、上肢の上げ下ろしをさせると、結構スムーズな動きが出来るようになった。

固着した左膝関節は伸展位でも浮き上がった状態である。関節面を合わせて軽く圧縮し、内部からの律動を促す手法を用いて可動させ、逆に可動亢進気味の足関節は安定させて、下腿関節の動きを調整した。その後に、再び陰陽交叉の反応点と発痛部位を同調させると、更に上げ下ろしがスムーズになった。
でも、同じラインに僅かに重苦しさが残る。そこで同側の大腸経の指の先端と発痛部位を軽い振動を与えながら同調させた。
今度は違和感もなく上げ下ろしができる。関節の機能的な問題は、エネルギー系の流通にも問題を増幅させるのだろうか。
患者さんは「鼻クソほどの痛みしかなくなった」と喜んだ。
これには笑えたが、分かりやすい表現だった。

痛む場所を治療しても良い結果が出なければ、別の治療的見立てを考えた方が良い。
今回の結果にしても同様で、良好な変化も持続できなければ、治療的見立てを再考しなければならないだろう。
変化しない発痛部位に、これでもかと刺激を繰り返しても、その筋肉に新たな障害を作るだけになってしまいかねない。
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by m_chiro | 2008-08-29 23:42 | 症例 | Trackback(1) | Comments(6)
揉めば揉むほど悪くなる①
一週間前にみえた中高年の婦人は、よく肩こりになる。
書道をやるので、出品作に取り掛かっている時は悪化するらしい。
半年前から肩こりが悪化する一方になり、首から両肩、上腕部まで痛むようになった。
夜明け前から痛みはじめ、当初は起きて動いているうちに気にならなくなったが、最近は日中も痛くなってきたようだ。
高血圧で降圧剤を服用している。見るからに肩こりタイプの体型をしている。

首や肩、上腕部の触診をすると、特に右の僧帽筋や肩甲挙筋のトーンが低下している。
肩がこっていると言うわりに、当該の筋群は他の部位と比べてハイポトーンだ、ふにゃけている。聞くと、毎日毎日、肩を揉んでもらっていると言う。
半年も同じ筋を揉み続けたら、筋の収縮作用に問題が起こって当然である。過度に弛んだ肩甲挙筋は肩甲骨を引き上げることも辛くなって、肩甲帯をぶら下げた状態を作らざるを得なくなる。
治療のあと、この方にアドバイスした。一切、揉むことを止める。そして逆に頚背部を縮める反復運動を指導した。

それから一週間後の今日は2回目の来院である。ずいぶん楽になったようだ。
揉むことも止めた。辛いときはエクササイズで動かした。
揉みすぎて、筋の正常な緊張度が失われた症例である。

このような症例には、たいした治療の必要もない。揉むことを止めて、伸張反射で緊張した上背部の筋肉を逆に縮める運動をすることで、無理なく調整できる。
揉めば揉むほど悪くなる。
揉みすぎると、凝った痛みとは違って痛だるい感覚になる。
気持ちがいいからと、度を越してはいけない。
揉んで痛む筋肉も訳ありだが、揉んで気持ちがいいと感じる筋肉も訳ありなのだ。
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by m_chiro | 2008-08-27 23:54 | 症例 | Trackback | Comments(5)
痛みの下限と上限
お盆が過ぎて雨模様が続いている。
時にはスコールを思わせる集中豪雨になったかと思うと、まるで梅雨空のようにジトジト降り続く。
この頃では、すっかり秋風が吹きはじめ、半袖の衣類では凌げないほどである。
稲穂も立ち上がってきたきたが、日照時間の必要なこの時期の雨模様は実りの秋にも影を落としそうだ。
こんなに気候の変化が激しいと、体調不良も如実になるらしい。
お盆疲れも重なって、慢性の痛みを抱える人にも具合の悪くなる人が多くいる。
そんな人をみていると、痛みには下限と上限があることを知る。

慢性痛の患者さんにとっては、いつも抱えている痛みこそが生理的な痛みなのだろう。
それが様々な外因や心理的な内因に修飾されて、上限の痛みとなる。
強い痛みと弱い痛みが2つあるときは強い痛みしか感じない、とはヒポクラテスの言らしい。ゲート・コントロール説は、その根拠を示した。
いくつも痛みを抱えている人は、最も強い痛みの方を意識してる。
その一つが楽になると、今度は別の痛みを訴える。

痛みはいつも同じ強さに感じるとは限らないようだ。
こうして下限と上限の痛みを繰り返す。
上限の痛みはその時々の急性の痛みのようなもので、治療にも比較的良好に反応してくれる。気分転換やセルフコントロールで上手に痛みから意識を離すことができれば、上限の痛みを紛らわせることもできるのだろう。

例えば、子供は痛みに対応するときに大声をあげて泣く。
それで呼吸が大きく動く。緊張と弛緩の波が身体内部を律動させる。
大きな声が声帯や喉を震わせ身体中に共鳴振動が起こる。注意も移る。
子供は、痛みが消えてケロッとする。これは生得的な鎮痛法なのだろう。
だから大きな声で歌を唄うのも、子供の「大泣き鎮痛法」に通じるものがあるのかもしれない。
上限の痛みには上手に付き合って対処することが望ましいし、治療家は生理的な痛みにどう対処すべきかを学ばなければならないのだろう。
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by m_chiro | 2008-08-24 11:21 | 痛み考 | Trackback | Comments(2)
科学とは何か
昨年9月に開催された「日本カイロプラクティック徒手医学会」に関しての投稿原稿を元に、学会誌第9巻を制作した。
編集長として約1年近くも付き合ってきて、やっと印刷製本があがってきた。
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今回の内容で特に感銘深かったのは、東洋大学教授・河本英夫先生の基調講演からの論文・『生命の「科学」と治療的介入』であった。
文中で「科学」について触れ、科学哲学者のカール・ポパーの「反証主義」を引いて説いている。反証主義は、私が日頃お世話になっていsansetu先生のスタンスでもある(「反証主義 雑感」http://sansetu.exblog.jp/tb/8016207)

反証主義とは何か。それは「反証される可能性を持つものこそ科学である」とするポパーの科学哲学論による。ポパー(1902-94)によれば、科学を科学たらしめているのは「検証可能性」ではなく「反証可能性」こそが重要なのだとする考え方である。
河本先生は分かりやすい比喩で次のように書いていた。

例えば「神は全能である」という証明に対して、これを反証しようとした時、反対の「神は全能ではない」を証明しなければならなくなるが、神=全能であれば、なんでもありなので、反証する対象がなく反証不可能である。このように間違いを証明できない言明は、実は科学ではなくむしろ信念である。むしろ間違いを証明できることが科学の基準であり、間違いをつうじて訂正を行い、それにより進歩するものが科学であることになる。

そう考えると、人の身体を扱う世界には、外見上まともに見えながら、実は唯の信念にすぎない説や概念、あるいは意見が少なからずあるようだ。
この学会誌も、学術雑誌のレベルからみれば程遠く稚劣ではある。本格的なRCT(無作為対象試験)などはあがってこない。それでも、治療家が論文にまとめるという慣れない作業に取り組み、自らの臨床的知見を検証あるいは反証しながらまとめている。
投稿者は論文査読委員会からの手厳しい指摘にもめげず、何度書き直して最終原稿に仕上げたことだろう。
こうした活動が10年続いてきた。たった10年と思うかもしれないが、カイロプラクティックの学術活動が10年の一区切りを迎えたことは、この業界の歴史には例を見ないことなのである。

日本のカイロプラクティック事情は、諸外国と大きく違っている。
先ず、制度がない。国が定めた基準がないということは、この国でのカイロプラクティックを社会に対して保障するものがないということでもある。
確かに、個々人がそれぞれに自らの意思で自助努力をしていることだろう。
だが、それは自分の治療室の患者さんに向けて保障するものではあっても、カイロプラクティックそのものが社会に対して保障するものではないからである。
そんな中で、社会や国民に対して担保し得るものを敢えて挙げれば、こうした臨床的知見の検証や反証をまとめた学術活動であり、その記録としての「学会誌」だろうと思う。
稚劣ではあっても、少なからずそこには科学する者の態度表明があると思うからである。

出来上がってきた学会誌を眺めて、つくづくと科学とは何かを思った。

「日本カイロプラクティック徒手医学会誌9巻」の主な目次は下記の通りである。

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by m_chiro | 2008-08-14 08:21 | Trackback | Comments(4)
むち打ち症患者の奇妙な症状
42歳の女性が運転中、交差点から飛び出してきた車に急ブレーキをかけたが、間に合わずに衝突事故になった。
直後から頭が重く、両上肢のだるさが出る。次第に咳き込むようになった。
そのうち奇妙なことに、ゲップともつかず、吐き気ともつかず、上気道から空気が逆流するような不随意の反復する運動が起こるようになった。

整形外科を受診すると、先生から「こんなの整形外科の分野なのか?!」と投げやりに言われて、彼女はカチンときたらしい。
それでも、しかるべき科を紹介してくれるわけでもなく、お薬と電気治療を勧められたようだ。
「事故にあって来たのに、それはないだろう」と、勧められたお薬も電気治療も断ってしまったと言う。
この奇妙な症状は、ますますひどくなっていった。

当院にみえたときにも、頻繁に咳をしていた。
その咳きも、身体のどこに触れても発作のように咳が出る。足首の背屈でも伸展でも咳き込む。頭部、顔面や前頚部、腹部に軽く触れても起こる。
そのうち不随意に、ウッパー、ルッパーとまるで金魚の口パクのようになってしまう。
私が「まるでウーパー・ルーパーみたいだなぁ~」と言ったら、彼女は「可愛い名前をありがとう」と笑ったが、実際、笑い事ではないのだ。

咳は膜系の障害のように思えたが、ウーパー・ルーパーには悩まされた。
何しろ不随意に起こるので、それがどんな状況で起こるのか分からない。不随意の動きには痛みは伴わない。
先ずは膜系をターゲットに治療をすすめることにした。そのうちに例の不随意の動きの状況が見えてくるかもしれないと踏んだのである。

案の定、咳は5割がた落ち着いてきたが、それでも何かすっきりしない。
不随意の動きも活路を見出せない。どうも頚部の屈曲・伸展の動きに関係して起こることが多いようだ。その上、舌を左側方に出させても、眼球運動で左上方への動きでもぶれている。当然、筋の抑制も起こる。
それで、頭蓋と顎関節の調整をするようにしたが、咳き込みが起こってままならない。ふと、下顎下に触れたとたんに、ウーパー・ルーパーがはじまった。はじめて刺激と現象が一致した。何度も再現された。どうも前頚部の下顎下に問題があるようだ。
いろいろ手を尽くしたが好転する気配もない。

途方に暮れて、単純に考えた。直接、圧刺激を下顎下筋群(顎二腹筋や舌骨上筋群)に加えた。すると、筋の痙攣が起こり、押した指を跳ね返すほどの暴れようである。まるでそこに別の生き物が生息しているかのように、どんどん指を押し返してくる。
私はその反動に負けないように力を緩めることなく押し続けた。1分位も押していただろうか、次第に反発してくる間隔があいてきて、2分くらいで痙攣がおさまった。
すると、身体に接触してもほとんど咳こまなくなり、動きでもウーパー・ルーパーが起こらなくなった。

それから4日目の今日、不随意の動きは日常でも起こらなくなり、咳も8割がた出なくなった、と報告された。でも、下顎下の筋群を押圧すると、まだ痙攣が起こる。ウーパー・ルーパーの機序はわからないが、良くなる兆しが見えただけでホッとした。
まるで、のど版「エクソシスト」のような症状だった。
人体はほんとに不思議です。
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by m_chiro | 2008-08-08 23:42 | 症例 | Trackback(2) | Comments(5)
九州カイロ同友会の夏期合宿(柳川)に招かれて
8月2日から九州カイロプラクティック同友会の招きで、福岡県の柳川市に出かけてきました。この会は、学兄・馬場信年先生が創設し牽引してこられた組織で、今回は夏期合宿研修でした。福岡空港で馬場先生と落ち合い、電車で柳川へ。

柳川から合宿研修会場である「かんぽの宿・柳川」へは、舟でお堀を下りました。
水郷柳川は、今でも掘割が縦横に走っています。そこを「どんこ舟」で、船頭さんの竿にまかせての70分ほどの川下りです。
日差しが猛烈で、笠をかむって乗り込んだのですが、結構、川風があり吹き飛ばされそうな場面も。緑の田んぼを風が渡る風情も見られていいものでした。
舟を降りて、「北原白秋の生家」と「御花邸」を見学。
日が暮れて、先ずはの「懇親会」です。珍味づくしの有明料理にはじまって、天然うなぎの蒲焼、柳川どじょう鍋と、よくも食べられました。珍味に美酒と大歓待を受けました。
部屋に帰ってからも、夜遅くまで話が尽きず賑やかなひと時でした。
同友会の皆さん、本当に有難うございました。

翌日は、研修会本番です。
テーマは症例報告会ですが、そこで「症例検討に対するモデル」の提案とその模擬をしてきました。
内容の一つに、「除外診断」を入れました。
特に、痛みの除外では「1.癌、2、感染、3.骨折」です。身体所見では、馬尾神経圧迫障害、特に肛門周辺のサドル麻痺、尿閉や頻尿などの膀胱直腸障害、下肢のひどい神経症状など、除外診断の所なども挿入しました。
私は、今年2人を除外診断して病院の専門医に紹介しました。
二人とも夜間痛のある下肢痛でした。結果は、残念ながら癌性の痛みでした。
その経過も解説しながら、除外診断が大切であることを話しました。夜間の安静時痛の感度は0.90、特異度は0.46です。感度の高い症状です。
提案したモデルでは、症例検討の模擬をしながら、参加者も報告者と一緒に推論していきます。
報告者は「検事」で、参加者は「弁護士」、座長はさしずめ「裁判官」といったところでしょうか。
みなさんがそれぞれ意見を出すようになり、盛り上がりました。
どうなるかと思いましたが、うれしい結果でした。

以下は、舟下りと柳川観光の写真です。
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こんな狭い水路も巧みに通り抜けます。
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舟を下りて、北原白秋の生家見学。

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お花邸。ソテツの巨木が見事でした。
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宿泊・会場となった「かんぽの宿・柳川」。「かっぱ」を模した建物だそうです。
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by m_chiro | 2008-08-06 01:45 | 雑記 | Trackback | Comments(9)
痛み学「NOTE」⑯ 痛みに特異的な受容器がみつかった
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

⑮ 痛みに特異的な受容器がみつかった

ここまで痛覚の伝達/伝導路と鎮痛ルートについてみてきた。
今度は、この痛覚の入力部である受容器の存在について考えてみたい。

19世紀末から20世紀にかけて神経組織医学の研究が著しく進み、いろいろな感覚受容器が発見されている。それまでは痛みの概念も時代とともに変遷してきた。

例えば、アリストテレスは「痛みは感覚ではなく不快な情動」であるとして「心臓説」を唱えたし、ダ・ヴィンチは「脳室説」を主張した。
デカルトが痛覚系の本質的な発想を行ったのは17世紀のことだった。
痛みは足先に飛び散った火の粉のエネルギーが、体内の管を通って頭の中の鐘を揺らした結果生じる、というものである。

今日では「痛み刺激を感じるところはどこか?」と問えば、それは痛覚受容器であるとなる。
その受容器は、皮膚や他の組織などに枝分かれした神経の終末部にある。
痛み刺激によって終末の受容器に興奮が起こると、その痛点から上行性の伝導経路に乗って脳へ伝えられる。
そして脳で「痛み」として認知される。
痛覚受容器が侵害を受けた部位が痛みの「第一現場」で、その痛みを認知する脳の部位が「第二現場」だ、という話である。
ここは重要な押さえどころである。

もう一つの争点は、痛みの「特異的な受容器」の存在である。
19世紀末からは「非特異説」が形を変えて度々提唱されていく。
受容器の特異性とは無関係に、どんな受容器でも過度の刺激を感知すれば痛み感覚になるとする「強度説」、あらゆる種類の感覚は神経インパルスの時間的・空間的な興奮パターンにより生じる「パターン説」へと展開された。

「非特異説」が覆された背景には、20世紀後半に2種類の受容器の発見があった。
一つは「機械的受容器」で、もう一つが「ポリモーダル受容器」である。

例えば、こんな実験報告がある。
刺激素子を鈍磨と鋭利な素子に分けて、圧迫による反応で比較すると、「機械受容器」の遅順応性タイプでは優位な差はなかった。
一方、高閾値タイプでは、鋭利な刺激素子を用いると微弱な力による刺激でも放電反応がみられた。

この実験から、「高閾値機械受容器」は痛覚専任の特異的な受容器であることわかる。
これは一次痛を伝える速い痛みの受容器であるが、痛覚受容器の存在が明らかになったからといって、病態時の痛みが解明されたというわけではない。
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by m_chiro | 2008-08-01 16:39 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)



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