カテゴリ:痛み学NOTE( 79 )
「痛み学」NOTE⑨ 痛みに特異的な受容器がみつかった
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

⑨痛みに特異的な受容器がみつかった

痛覚の入力部である受容器の存在について考えてみたい。

19世紀末から20世紀にかけて神経組織医学の研究が著しく進み、いろいろな感覚受容器が発見されている。それまでは痛みの概念も時代とともに変遷してきた。

例えば、アリストテレスは「痛みは感覚ではなく不快な情動」であるとして「心臓説」を唱えたし、ダ・ヴィンチは「脳室説」を主張した。デカルトが痛覚系の本質的な発想を行ったのは、17世紀のことだった。痛みは、足先に飛び散った火の粉のエネルギーが、体内の管を通って頭の中の鐘を揺らした結果生じる、というものである。哲学者の発想、恐るべしである。

今日、「痛みを感じるところはどこか?」と問えば、それは痛覚受容器であるとなる。その受容器は、皮膚や他の組織などに枝分かれした神経の終末部にある。

痛み刺激によって終末の受容器に興奮が起こると、その痛点から伝導経路に乗って脳へ伝えられる。そして脳で「痛み」として認知される。侵害を受けた痛覚受容器が痛みの「第一現場」で、痛みを認知する脳が「第二現場」だ、という話である。ここは重要な押さえどころである。

もう一つの争点は、痛みの「特異的な受容器」の存在である。19世紀末からは「非特異説」が形を変えて度々提唱されていく。

受容器の特異性とは無関係に、どんな受容器でも過度の刺激を感知すれば痛み感覚になるとする「強度説」、あらゆる種類の感覚は神経インパルスの時間的・空間的な興奮パターンにより生じる「パターン説」、末梢からの求心性ニューロンの入力干渉によって痛覚が生じるとする「ゲート・コントロール説」(1965)へと展開された。

「非特異説」が覆された背景には、20世紀後半に2種類の受容器の発見があった。一つは「機械的受容器」で、もう一つが「ポリモーダル受容器」である。

例えば、こんな実験報告がある。刺激素子を鈍磨と鋭利な素子に分けて、圧迫による反応で比較すると、「機械受容器」の遅順応性タイプでは優位な差はなかった。一方、高閾値タイプでは、鋭利な刺激素子を用いると微弱な力による刺激でも放電反応がみられた。この実験から、「高閾値機械受容器」は痛覚専任の特異的な受容器であることわかった。

これは一次痛を伝える速い痛みの受容器であるが、痛覚受容器の存在が明らかになったからといって、病態時の痛みが解明されたというわけではないのである。
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by m_chiro | 2008-01-16 00:05 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)
痛み学NOTE⑧ 慢性痛には2つのタイプがある
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⑧ 慢性痛には2つのタイプがある
急性痛と慢性痛という分け方がある。
どこがその分岐点かと言うと、一般的には痛みの発症からの期間で分けている。
米国政府研究班がまとめた「急性腰痛のガイドライン」ではマニピュレーションをBランクの効果と判定したが、そこでは6ヶ月をその境界にしていた。
ところが、2~3週間から数週間で治癒する急性疾患も多いわけで、必ずしも6ヶ月が目安になるとは限らない。
大体、急性痛と慢性痛を期間で分けることに意味があるのだろうか。確かな意味など何もないように思える。

急性の痛みは生体の防御・警告系とされ、身体を傷害や危害から護るために不可欠の生得的システムであるが、通常は一過性である。基礎疾患が治れば、痛みも消えるはずなのである。
問題なのは、組織の傷や炎症が治癒したにもかかわらず痛みが持続する慢性痛症で、これには二つのタイプがある。

ひとつは急性痛が単に長引いている慢性痛「タイプⅠ」と、もうひとつは神経に可塑的変化が起きた「タイプⅡ」の慢性痛症で、このタイプⅡこそが「神経因性疼痛」である。
この二つのタイプの発症メカニズムは全く違うが、明確にタイプ分けをするのも臨床的には難しい。
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(愛知医科大学・熊澤孝朗教授の作図より)

純粋な「タイプⅡ」が高率で発生するとも考えられない。
印象としては、慢性痛には多くの「タイプⅠ」が含まれているように思える。
だとすれば、「侵害受容性疼痛」が多分に混在しているのではないだろうか。
では、なぜ除痛に失敗したのか、という疑問が残る。
おそらく、その痛みの病態が捉えきれていないか、侵害された受容器の見落としか何かがあるのだろう。
兎にも角にも、慢性的な痛みに悩まされるのは辛いことである。
ましてや神経が歪む神経因性疼痛の病気になったら、もっと不幸なことである。
痛みは、警告系の役目を終えたら消えなければならないのだ。
慢性痛症になる前に、出来るだけ早く痛みを取り除くこと。
これを痛み治療の大原則としなければならないのである。
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by m_chiro | 2008-01-04 18:17 | 痛み学NOTE | Trackback(1) | Comments(1)
痛み学NOTE⑦ 神経が歪む病気としての痛み
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⑦ 神経が歪む病気としての痛み
受容器が侵害されなければ痛みが起こらないのか、と言えば、そんなことはない。
痛覚受容器の侵害と関係なく起こる痛みがあり、それが「神経因性疼痛」である。
神経系の可塑的変化によって起こる痛みで、難治性の、言わば「神経が歪んだ」状態とみるべきだろう。
生理的な痛みの機序では説明することができない痛みなのである。

例えば痛覚過敏であるが、本来は痛みを発生しないような軽い蝕刺激でも痛みを引き起こすアロデニアがある。
私も、十数年も前にアロデニアと診断された患者を診たことがある。
後にも先にもアロデニアの確定診断を受けた患者を診たのはその一例だけであるが、私にはお手上げだった。

とにかく1分と同じ姿勢を保てない。
ベッドに背中が触れただけでも、身体に触れただけでも痛がった。
座っていても、じっとしていられないようだった。
ありとあらゆる診療科目を回り、ドクターショッピングを続けざるを得ないといった気の毒な患者だったが、さりとて私にはどうすることもできなかった。
今ならば、何らかのアオバイスなり方法を試みることが出来るようにおもうのだが...。
でもこの患者が、痛みという病気の存在に関心を向けさせてくれたように思う。

他にも帯状疱疹後神経痛、癌や糖尿病の患者、術後神経痛、幻肢痛などが神経因性疼痛とされる。
神経因性疼痛は、発症の詳しい仕組みも分かっていない。
消炎鎮痛薬(NASIDs)や医療用麻薬(オピオイド)も効かない。
今のところ効果的な治療法も見つかっていない。
痛覚受容器は関与していないとされているようだ。

なぜ神経が歪むのか。
よく分かっていないとは言え、強い痛みが「持続」すること、末梢あるいは中枢神経の「損傷」、そして「心理学的機序」が基盤になって、神経系に可塑的変化がもたらされたのだろう。
それでも、なぜ痛みが広範に伝搬していくのか。
例えば細胞レベルの問題とか、少し違った視点からみることも必要なのかもしれない。
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by m_chiro | 2007-12-20 22:18 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(4)
痛み学NOTE⑥ TMSも痛風も「侵害受容性疼痛」である
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⑥ TMSも痛風も「侵害受容性疼痛」である

実際のところ、痛みを生理学の視点から捉えることに意識が向くようになったきっかけは、J.E.Sarno,M.D.の「TMS理論:Tension Myosits Syndrome(緊張性筋炎症候群)」である。それも10年来続いた私の腰痛が極限に至り、ほぼ1ヶ月も寝込んだことが痛みを考え直す契機となった。

Sarnoは、「Mind Over Back Pain:背腰痛を支配する心」というTMSに関する著書を1984年に発表し、1991年には「Healing Back Pain:The Mind-Body Connection」を発刊してベストセラーになった。それだけでなく、アメリカでは30万人以上の腰痛患者が、指一本触れることなくTMS理論を受け入れることで治った、と話題にもなった。私もTMS理論をカイロ業界などの雑誌に書き、講演等で紹介したこともある。

TMS理論とは「心の緊張が痛みをつくる」ことを生理学的に仮説したものである。では、TMSは一体「痛みのカテゴリー」のどこに分類されるべきものなのだろうか。よもや、「心因性疼痛」とは考えてほしくない。TMSはまぎれもなく「侵害受容性疼痛」なのである。

私たちはどのようにして痛みを感じるのだろう。簡単に言えば、身体に無数に存在する痛覚受容器が、機械的刺激あるいは熱、あるいは化学的刺激によって侵害されることで興奮し、その信号が脳に送られて「痛み」として認知されるということになる。これが「侵害受容性疼痛」である。

TMSの場合は、交感神経系の緊張によって細動脈が収縮し、酸欠状態となって痛み物質を誘発する。それが受容器を侵害し圧痛点をつくる。したがってTMSは侵害受容性疼痛であり、徒手療法にもよく反応するのである。そんなわけで、痛みには心理・社会的側面からのフォローが不可欠とされている。

「心身症」とされる疾患にも、痛み症状を持つ疾患名が見受けられる。日本心身医学会の定義によれば、心身症とは、その発症や経過に心理・社会的要因が密接に関係するもので、器質的あるいは機能的障害が認められる病態である。

例えば、「痛風」も強い痛みを訴える整形外科領域の心身症とされている。痛風は身体の中に尿酸がたまる病気で、尿酸値の基準が最も有力な診断の手がかりであるが、尿酸は単なる暴飲暴食が誘因とは限らない。腎臓障害とそれに関連する循環器の疾患も内包していたりする。また、尿酸の排泄を抑制する作用を持つ投薬が行われていても発症する。それでも痛風が心身症とされるのは、身体的・精神的ストレスによっても尿酸が誘発されるからである。その痛みも、痛みの分類にしたがえば、尿酸による「侵害受容性疼痛」に他ならない。
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by m_chiro | 2007-12-08 22:41 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(2)
痛み学NOTE⑤ 心因性疼痛の怪
⑤ 心因性疼痛の怪

心因性疼痛

心因性?精神論?違います。痛みのメカニズムです


確かに、胡散臭いのは「心因性疼痛」である。「心因性」という痛みの分類名称が、果たして的を得たものかどうかさえ疑わしい。

痛みには両義性があると定義されているわけで、そうなると痛みには常に「心」の側面がついてまわる。

純粋に心に起因する痛みの線引きは何を基準にして行われるのだろう。それすら不鮮明で、心因性という用語だけが一人歩きしているように感じられてならない。

おそらく、生物医学モデルで説明のつかない痛みがあり、その病態を精神医学的疾患として理解されてきた背景があるのだろう。

精神疾患の診断基準(DSM)では、1980年に初めて痛みを「心因性疼痛障害」として、精神障害のひとつに認めている。それも1987年には「身体表現性疼痛障害」と改定され、94年以降は「疼痛性障害」とされた。ここにも混迷の跡が窺える。

上記のブログにもあるように、「心因性」を冠する疾患・症状名は多い。それも眼に見える心因性の症状である。心因性蕁麻疹、心因性嘔吐、心因性の咳や下痢なども実存する。つまり眼で見ることができる。

ところが、痛みには視覚系の原理が通用しないから厄介である。
視覚系は構造主義の原理なので、親近性があるのは実存主義だけである。
瞬間か永遠か、どちらかである。
痛みが実存しているかどうかは知る由もない。
だから、心因性疼痛の分類は胡散臭い。

ミステリー作家の夏樹静子が、自らの腰痛の闘病記を「椅子がこわい ―私の腰痛放浪記―」という本にした。
現代医学でもあらゆる代替療法でも治療すべき悪いところがない、とされた重度の腰痛が、心療内科医の行う森田療法で治ったのである。
このことを知れば、脳内の内的な要因で起こる「心因性」なる痛みの存在を否定することはできないようだ。それでも、どうもその呼び名だけは腑に落ちない、と私も思う。
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by m_chiro | 2007-12-05 23:41 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(5)
痛み学NOTE④ 痛みには3つのカテゴリーしかない
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

④ 痛みには3つのカテゴリーしかない

痛みの定義(IASP)によれば、痛みには二面性がある。
感覚的な側面と情動的な側面であるが、後者がこの痛み感覚をより複雑にしているようだ。
痛みが「個人的な経験」とされる所以でもある。
更に深刻なことは、痛みを「病い」としては捉えない状況が医療サイドにあることだろう。

痛み症状を持つ疾患を数えあげても随分の数になる。
その一つひとつの疾患を痛み症状との関連から捉えようとすると、更に悩まされてしまう。

でも、痛みそのものを分類すると3つのカテゴリーしかない、という単純な話になる。
 その3つとは、
1.侵害受容性疼痛、
2.神経因性疼痛、
3.心因性疼痛、
である。
なかには「癌性疼痛」を別にして4つに分類する向きもあるが、「神経因性疼痛」に含めている場合が多い。

 さて、わたくし達のように徒手療法で扱う痛みはどれか、と言えば、そのほとんど全部と言ってもいいくらい「侵害受容性疼痛」を治療していると断言してもいいだろう。
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by m_chiro | 2007-12-03 23:45 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(1)
痛み学NOTE③ 痛みが必須のバイタルチェックになった
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

③ 痛みが必須のバイタルチェックになった

 痛みの尺度を、QOL評価尺度に置き換えて評価する動きがではじめた。代表的なものがRDQ(Roland-Morris Disability Questionnarie)で、これは腰痛の特異的なQOL尺度である。

 開発したのはRoland博士とMorris博士で、多くの国で活用されている。日本でも今年2004年3月に日本版マニュアルが発表された。背景には、やはりアメリカの動向がある。

 2004年に刊行された腰痛に関するRDQマニュアルは24項目の質問にイエス・ノーで答えるものである。痛みの個人差にかかわりなく、腰痛による生活の質(QOL)を評価することで個々の患者の活動状況を知り、その腰痛の程度が割り出されるアンケート様式である。

 こうしてアメリカの「痛み10年宣言」は、痛みを確かな治療対象として俎上に乗せ、医療の現場にも変化をもたらした。医療に義務づけられたバイタルチェックが現行の4項目(体温、血圧、心拍、呼吸数)から、痛みを加えた5項目チェック(Fifth Vital Sign)が義務づけられることになったのである(アメリカ医療施設評価合同委員会:JCAHO)。

 今やアメリカでは「痛み」に対する治療基準が設けられ、痛みの治療が重要な医療行為であるというコンセンサスが得られた。それが21世紀に入って決められたことにあらためて驚くと同時に、鎮痛に対する医療の役割を再認識しなければならない時代になったことに気づかされる。

 痛みの定量化は、今や避けては通れない評価尺度でもある。RDQもそのひとつとして汎用されているのであろう。
 
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by m_chiro | 2007-11-23 23:33 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(2)
痛み学NOTE② 「痛い!」と言われれば痛いのである
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

② 「痛い!」と言われれば痛いのである

 国際疼痛学会(IASP)の「痛みの定義」によれば、「痛みとは、組織の損傷を引き起こす、あるい損傷を引き起こす可能性のある時に生じる不快な感覚や不快な情動を伴う体験、あるいはそのような損傷が生じているように表現される感覚や情動的体験である」としている。

 この定義によれば、痛みとは生体に実在する障害あるいは潜在的な組織障害に伴って起こる知覚的、情動的な不快体験ということである。からだのどこかに神経を刺激する有害なものがあるとする知覚と、不快感を示す心の表現をさしているのである。つまり、痛みは二面性を持っていることになる。

 これは実にやっかいな問題でもある。痛みが知覚的かつ情動的なものであるとすれば、まったく個人的な体験と言う以外ないのだ。

 痛みを愁訴とする患者の症状が良くなったと言われても、良くなった痛みが本当はどの程度の痛みで、それは多くの人に共通の強度なのか、あるいは疾患によって同じものなのかを計り知ることはできない。痛いと言われれば、それまでのことなのである。
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by m_chiro | 2007-11-20 09:13 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)
痛み学NOTE① 今、なぜ痛みなのか?
「痛み学・NOTE」は、日々の臨床で痛みと向き合っている医師や日本を代表する研究者の著作あるいはホームページを通して学んだり考えたりしたことを、私の「学習ノート」としてまとめ、書き綴るものです。

①今、なぜ痛みなのか?

 今さら痛みなんて、と思われるかもしれないが「忌まわしきもの汝の名は痛み」で、いまだに未知の部分が多い。日々、臨床で親しんでいる症状ではあっても、手ごわい存在である。このことはすべての医療にかかわる者にとどまらず、研究者にとっても、社会経済上でも、今なお難題なのである。

 そんなわけで、アメリカ議会は21世紀初頭の10年を「痛みの10年(Decade of Pain and Reserch;2001~2010年)」と位置づけるバイオメディカルサイエンス振興策を宣言した。アメリカ政府が如何に痛みの研究を最重要課題にしているかが窺えるであろう。

 今なぜ痛みなのか。実は、アメリカでは痛み対策に莫大な国家予算が導入されてきた背景がある。それもこれも痛みの実体やメカニズムが本当はよくわからず、決定的な治療法もないという実情を反映している。痛みに対する不適切な治療など、社会経済の国家的損失は莫大で、損失推計だけでもなんと年額650億ドル(約9兆円)にものぼると言われている。そのためにアメリカでは1970年代から疫学調査を行い、適切な痛み治療によって1996年には個人的医療費は約60%も節約できるだろう、という推計も発表した。

 1998~1999年にかけて行われた全米における実態調査によると、高度の慢性痛に悩まされている患者は成人人□の9%に及んでいたのである。
 
同様の社会事情を抱えている日本やヨーロッパでも、痛みの調査研究はやはり重要な課題である。

 こうした取り組みは、おそらくアメリカがさきがけであろう。このバイオメディカルサイエンス振興策が最初に宣言されたのは、クリントン政権化の1990である。それは「脳の10年(Decade of Brain)」としたスローガンで、20世紀最後を飾るにふさわしい振興策であった。
その成果が今日の脳科学ブームの下地になっている。なにしろ脳の研究が大きく展開した。

 痛みの研究も、このアメリカの国家的プロジェクトによって進展することが予測される。それと関連して、整形外科領域では「運動器の10年」(Bone and Joint Decade)として21世紀初頭が位置づけられており、医科学に関する視点は活動性に向けられるようになっている。 こうした研究が、国家的プロジェクトで進められていることには注目である。

 日々、痛みを持つ患者と向き合うことが多いカイロプラクティックも、痛みのメカニズムを再構築するときが早晩くるように思われる。

 人間の歴史と共にはじまった痛みは、研究、考察そして治療の対象であった。カイロプラクティックも人間の日常的な痛みを取り扱ってきたし、その解明にも自説を主張してきたように思う。しかし、カイロプラクテックが言及してきた痛みの根拠には、大きな疑問も見え隠れする。

 痛みの生理学的な解明が待たれるところだが、21世紀に入って痛みは古くて新しいテーマとして浮上してきたのである。
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by m_chiro | 2007-11-19 14:48 | 痛み学NOTE | Trackback | Comments(0)



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