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「写楽 閉じた国の幻」
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多くの研究者や作家が「写楽」の実像に迫るが、今だに謎に満ちた絵師である写楽の謎。何が謎かって、写楽の存在そのものが謎なのである。
何しろ「写楽」の名のもとに刷られた版画絵が残されているだけで、写楽の実像を示す文献が一つも存在しない。

唯一、「写楽斎」という絵師の存在を示す文献があり、これを「写楽」と見立てた説がある。
しかし、「写楽」は一度も「写楽斎」と名乗ってはいない。
「「写楽」の号は「東洲斎」である。「写楽斎」は、「しゃらくさえ~」をもじった江戸時代の洒落だろう。と言うわけで、「写楽斎」なる絵師が写楽だとする説は怪しいとされる。

写楽が活躍したのは僅か10ヶ月で、その間に多くの美術史上に残る絵を数多く残した。大した筆力だったわけだが、その後の消息は消えたまま。2度と江戸に戻ったという記録もない。

元来、浮世絵の役者絵は、スターのポロマイドのようなものであり、静止画である。だから、実物よりも綺麗に描かれている。ところが、写楽の絵は動体のワンカットの描写で、しかも無名の役者まで描いている。美しく描こうとすらしていない。むしろディフォルメを駆使している特徴的で斬新な絵で、これも通常の絵師とは異なる。

江戸の絵師は、無名な絵師を除いてみな春画を描いている。が、写楽は一枚も描いていない。

写楽絵を出版したのは、蔦屋重三郎という人物。
今で言えば最大大手出版社の社長であるが、この写楽絵を出した当時は発禁本が相次いで、しかも「身上半減の刑」を受けていて経済的にピンチの時である。
起死回生の一打として「写楽」絵をだしたわけだが、それも雲母刷りという超豪華本にした。
歌麿級の扱いの出版を、素性のしれない、しかも新人の絵師が何故にこうした超一級の扱いを受けたのか。それも謎である。

しかも、その蔦屋重三郎自身も一切「写楽」の実像には触れていない。
写楽本人が告白もしていなければ、出版の関係者すら沈黙している。

版元が経済的ピンチをかわそうとするなら、春画の出版が苦肉の策になったろうが、素性の知れぬ新人絵師の豪華本を出した。
これで成功したわけだから、蔦屋重三郎という版元はよほどの才覚があったのだろう。
これを自慢してもよさそうなものなのに、写楽本人も蔦屋も何故こうまで頑なに口を閉ざしていたのだろう。

日本の歴史上に名を残した絵師は二千数百人といわれるようだが、その中で素性も分からなければ、記録も残されていない絵師は「写楽」ただ一人である。
当時の絵師の口からも、写楽に関する告白は一言も出てこないという謎。
江戸に存在した形跡すらなく、ただ絵だけが残されているという美術史上の謎でもある。

この謎に挑んだのが作家の島田荘司氏で、684ページの大作に仕上げた。
島田氏自身が美大卒であるから、画家の視点で写楽の謎解きをしたことにも読書意欲をかきたてられて一気に読んだ。

1984年に、版画家の池田満寿夫がNHK取材班と取り組んだ「これが写楽だ」も面白く読んだが、島田荘司氏の本はそれを凌ぐ面白さだった。画家が絵師の謎を追う展開は一味違う。

まして島田氏は浮世絵の研究にも造詣があり、時代考証や文献交渉、絵画の鑑賞眼にも優れていて、小説というより研究論文に仕上げられそうな内容であった。

島田氏の写楽説は、思いもよらぬ、またこれまで誰も想定しなかった人物を写楽としている。可能性のある裏付けを、あらゆる文献を引いて推論しているが、ただ一つ最大の弱点がある。その写楽絵を描いたと想定した人物に、絵を描いていたとする証拠はひとつもないことである。そこが島田氏の推論で、この興味深い説も学術論文には致命的。で、小説として仕上げざるを得なかったのだろう。

それはそれとしても面白かった。
島田氏が、写楽なる人物を更に追って、絵を書いた証拠を掴む仕事をして写楽騒動に幕を引いてくれることを願いたい。そんな先行きを期待させる内容だった。

で、その写楽とやらは一体だれ? 
この本を読もうとしている人の興醒めになるので、それは内緒にしておこう。
謎解きはおもしろい。
本のタイトルにある「閉じた国の幻」に、島田写楽説のヒントが隠されている、とだけ言っておこう。
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by m_chiro | 2011-06-21 00:55 | Books | Trackback | Comments(0)
「体からのシグナル」(科学新聞社刊)
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科学新聞社の最新刊「体からのシグナル」を読んだ。
著者はジャン=ピエール・バレル(Jean-Pierre Barral,D.O)である。
バレルはフランスのオステオパスで臨床医でもある。
1999年の「Time」誌の特集号で、「新しい時代に期待される代替療法界のトップ100人」のうちの1人に紹介された。だからどうだという訳ではないが、代替療法界における体表的なドクターの身体観や健康感を知りたい、と興味を持った。

この本は一般向けに書かれたものであるが、内容は徒手治療家の手引にもなる。
臨床の現場で患者さんが縷々述べる不調の訴えを、身体機能の変調における指標としても学べる。私には根拠がよく分からない解説もあるが、指導管理上のアドバイスや愁訴の説明にも役立つ内容が豊富である。

バレルは内臓マニピューレーションの指導者としても有名で、本書の内容も各内臓臓器にかかわる身体機能との関係に集中している。
そこには心身一如の概念が織り込まれている。
その体と心が発する信号を正しく理解しよう、というのが本書の狙いでもある。

例えば、理由もなしに右肩が痛み出し、医師に「肩関節周囲炎」と診断された51歳の女性のケースを紹介している。彼女は鎮痛剤と消炎薬を処方されたが、「飲むとお腹が痛くなるし吐き気」がする。
バレルは、視診から「顔色が黄色っぽく、髪はやや脂性でフラット、肌にはつやがある」ことに気づく。触診では「肝臓と胆嚢の辺りが敏感である」ことを触知する。
ドクターの手は、肩ではなく肝臓に集中する。

患者さんは、「肝臓で、どうして肩が痛くなるの?!」と、当然のごとく問う。
その辺の推論を述べながら、肋骨内側の肝臓マニピュレーションを行い、胆嚢周辺を反復加圧して胆汁を排出させる手技を施すと、「肩はかなりの動きを取り戻しはじめる」。

治療後に、バレルはアドバイスを送っている。
「チョコレート、クリーム、ドーナツはだめ。アルコールには近づかないこと。野菜と果物は出来るだけたくさん取る。水は回数を多く、一度に少量を飲む。定期的に歩くようにして、ひと月もしたらまたおいでください」。

次の来院時に、忠告を守った患者さんの肩は「元どおりに動くようになっていた」。
閉経期の女性はエストロゲンがピークになり、肝臓に問題が生じやすくなるそうである。男性でも肝臓に問題が発生すると肩関節周囲炎が起こることがある、と記している。

肝臓のトラブルは肩への関連する症状だけに止まらず、腱炎やテニスエルボーのように肘の症状などとも関連することがある、とも述べていた。
私もこうした症例を度々経験したことがあって、納得した一節だった。

全編を通して「身体―栄養(化学)-精神(心理)」のトライアングルという視点から、著者の臨床的経験を踏まえて解説しているのであるが、感情反応と内臓機能との関連についての見解には不案内で何とも紹介し難いものがある。
それでも、感情であれ、内臓器官であれ、病的な一線は「過多」か「不足」に対する身体反応であるとする見方には納得させられる。

こうした内容が、主な内臓器全般について症例をあげて解説しているので、とても興味深く読めた。
体のシグナルとは、つまりはヒトの情報系の所作である。
ヒトの情報系には2つある。ひとつは「神経系」で、もうひとつは「遺伝子」で、そこには「流通する場」と「変換・翻訳する場」がある。
情報の流通については、多すぎるか、少なすぎるかのバランスが大事なことがよく納得できてくる。
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by m_chiro | 2011-04-06 23:32 | Books | Trackback | Comments(2)
「超思考」(北野武著)
北野武氏のフアンと言うわけではないが、本屋で氏の新刊本が目についた。「超思考」という書名の本である。「超思考」というのだから思索をめぐらした意見と言うよりは、身体に浸みついたものの見方や考え方を述べたものだろう。

多くの分野にそのマルチな才能を発揮している氏の、身体に浸みついている見方・考え方というのはどんなものだろうと関心を持って立ち読みをした。浸みついた見方とは、言わば「育ち」の問題で、そこには母親の「躾」が大きく影響していたのだろうと思えた。根底には、人としての矜持を持った生き方があるのだろう。

北野氏はTVで「家庭の医学」を扱った番組を持っているようだが、いたずらに不安心理を煽る番組のように思えて、私はあまり快くは感じていなかった。その北野氏が「医は仁術か、商売か」というテーマで意見を述べていた。これがなかなか面白い意見だった。
その要旨を以下に取り上げよう(北野氏の言葉を、そのままカギカッコにしている)。

「医療レベルの話で言えば、問題は二世にある」という切り口で始めている。
要するに、本当に医者が好きで医大に進んだのか疑問だ、ということである。
「単にいい暮らしがしたいだけ」で医者になる人が増えても医療レベルの問題は解決しない、ということのようだ。

この結論は手厳しい。どうしても「子供を医者にしたいなら、遺伝子組み換えをしてでも、子供を優秀な医者にするという覚悟がなきゃいけないのだ」、と勉強したくない子供を医者にしようとする親に「覚悟」を突き付けている。
「非人道的だ、なんて言わせない。医者は科学者なのだ。合理的に考えれば、医者みたいな職業がほとんど世襲になっている日本の状況はどう考えてもおかしい。馬鹿でもできる政治家とは話が違う」。

また、「医は仁術」も建前だろう、と言う。
いつの世もあくどい商売をした医者は居たはずで、「そんな医者が増えたら世は乱れる」から、「医は仁術でなくてはいけなかった」のだが、もちろん立派な医者はいつの世にもいる。
健康保険制度が確立すれば、病院の収入は安定する。「国が収入を保証してくれるようなものだから、こんな確実な商売はない」。そんなわけで「医療が投資の対象にもなる」。「医者が仕事の内容で尊敬されている」のかは疑問だと言う。

「いちばん喰いっぱぐれる心配がないのが老人医療」で、ここには医療ミスだのという訴訟の心配もない。医療レベルの低さは、こんな状況からもわかる。
「薬をバンバン出して、CTスキャンだのMRIだの撮りまくって、保険点数をどんどん稼いでも誰も文句を言わない。儲かって仕方がないから、みんなやりたがる」。
そこへいくと小児科や産婦人科は大変だ。昼夜関係なく呼び出される。「医療ミスをしなくたって、医療訴訟は起こされる」。それをニュースにされる。「何かあったら、すぐに親が怒鳴り込んでくる」。それでも「保険は平等だから収入には反映されない」。
「仕事が大変で儲からない商売が流行らなくなるのは当然なのだ。…昔の風刺漫画なら、宝石だの毛皮だので着飾ったよぼよぼの金持ちの老人に医者が群がっていて、その足元で赤ん坊が踏み潰されている絵を描くだろう」。

では、どうしたらいいのか。
能力さえあり、医者の仕事が好きであれば誰でも医者になれる環境を作ることで、そのために必要な改革案は次のことだと言う。
そうすれば、医療や医者のレベルの向上、無医村や医者不足の改善、医者を目指す若者の動機も改善などができるだろう、というわけで以下の改革案を提示している。

1.国立大学の医学部の定員を百倍くらいに増やす。
2.授業料は無料にする。場合によったら全寮制、生活費一切の面倒をみる。
3.その国立大学医学部を卒業した医者は、全員国家公務員にする。
4.国営の診療所や病院をどんどん作って、そこへ送り込む。
5.経営は国営病院全体で成り立たせる。
6.給料は、普通の公務員よりちょっと多いくらいでいい。
7.十年、二十年、国立の病院に勤めたら、その後はフリーエージェント制にして私立の病院に行くことも、開業することもできる。


キューバという社会主義国は日本の本州の半分ほどの狭い国土に千百万人の人口があり、GDPは9500ドル/1人だそうだ。が、国民も外国人旅行者も医療費は全て無料、高度先進医療もすべて無料で、国民一人当たりの医師の数は日本の3倍、診療所も集落の1キロ以内に作ることが法律で定められているのだそうだ。北野氏の提案はこのキューバモデルを意識しての意見だろうと思われるが、いいアイデアだと思う。

他にも、死刑の是非、老後の問題、価値について、師弟関係、芸術論、人知の及ぶ範囲、などなど18考について語られている。

共感すべき意見が多くあり、胸のすく語り口で、購入して読んだ。
読後、「拍手!」だった。
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by m_chiro | 2011-03-31 17:24 | Books | Trackback | Comments(0)
「痛み学」・座右の書
c0113928_18114359.jpg2007年末に発刊された「臨床痛み学テキスト」(PAIN:A Textbook for Therapists)は、故・熊澤孝朗先生が監訳された痛み学の教科書である。

それもセラピスト向けに、あまり専門的にならずに肝要な押さえ所を網羅した痛み学のテキストでエンタプライズ社の発行である。その発行元が閉鎖されて、継続出版が出来なくなってしまったようだ。

せっかくの良書をこのまま廃刊に追い込むのは忍び難い、と考えた熊澤先生は新たな出版元として名古屋大学出版会と交渉し、今回のリニュアール出版に漕ぎ付けた。

残念ながら熊澤先生は、この本の完成を見ずしてお亡くなりになってしまったのであるが、先生の思いはこの本に受け継がれている。
リニュアールに向けて翻訳を見直し、書名も「痛み学」としている。表紙の装丁も変え、「臨床のためのテキスト」とある。そのためか臨床家向けに3大巻末付録も付けられている。

新たに書き起こされた「1.痛み治療に用いられる薬物」と、「2.痛み評価表」。例えば、フェイススケール、マクギル疼痛質問票、疼痛生活障害評価尺度、RDQ評価表など20ページにもわたって様々な評価表が添えられていている。
痛みの評価が必須バイタルチェックとされる時代のツールとして、臨床に携わる者には有り難い配慮である。
また、「3.痛みを表現する言葉」にはさまざまな表現が英和対訳語で表にされて、時代と共に変わってきた意味合いを引きながら、それぞれの表現の説明が書かれている。
これも臨床的にはうれしい付録だ。

この本は理学療法士向けに編纂されたものと思われるが、原著序文をゲートコントロール理論の提唱者であるPatrick.D.Wallが書いている。
その書き出しに、「私は、理学療法と作業療法は眠れる巨人であると確信している」とあり、痛みの治療における理学療法の役割に期待を寄せている。
痛みの知覚される部位が必ずしも治療の対象部位とは限らないことが明らかになった昨今、関連痛という観点から痛みの第1現場と第2現場の双方向性に向ける治療の必要が要求されるようになったのである。

Wallは、痛み治療に対する次の4つの変化をあげている。
Ⅰ.関連痛の極めて重大な意義の認識が大切であること。
2.痛みは固定した専用回路ではなく、可塑性と時間的変化を考慮しなければならないこと。
3.痛覚情報は下行性抑制系によって制御されること。
4.脳のイメージングという新しい技法によって変革がもたらされること。


こうなると、痛みを感覚系だけで捉えるのではなく、運動系を利用した治療が求められている流れを知ることができる。

熊澤先生もコメディカルの領域に大変な期待を寄せておられた。その意味で、Wallと同じ考えに立つものと考えるが、熊澤先生はコメディカルのみならず鍼灸やカイロなど、更に幅広い領域に期待を寄せておられた。
この本は、そうした領域の人たちの座右の書とも言えるものだろう。
熊澤先生がお亡くなりになる直前に書かれたと思われる「改訂増補版の刊行にあたって」に、最後の一文を寄せている。その文を、編訳者の山口佳子先生が補っている。
「読者諸氏には、痛みの研究や診察に対する彼の情熱を本書を通じて感じ取っていただき、そのことを臨床や研究に活かしていただきたい。おそらく、それが彼の期待するところであり、彼はいつも皆さんを応援していると思う。(2010年9月)」

と結んでいる。

私もこの本に学びながら、臨床に活かせるよう精進したと思う。
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by m_chiro | 2010-11-29 18:16 | Books | Trackback | Comments(1)
アヴィセンナ「医学典範」と檜學(ひのき まなび)先生のこと①
10月末に開催された「日本カイロプラクティック・セミナー」で、学兄・馬場信年先生にお目にかかった折に「医学典範」という683頁に及ぶ大部の図書を手渡された。
中世のイスラム医学の聖典のような本で、全訳としては初めての監訳本のようである。
「医学史における系譜をたどる意味でも興味深いので、ぜひ読んで欲しい」と言われた。檜學先生他の共訳である。
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檜學先生は、以前、研究会や学会等に招かれてのご講義を何度か拝聴し、多いに感銘を受けた先生である。コーヒーを飲みながら親しくお話を伺ったこともあった。島根医科大学の学長も務められた立派な先生で、平衡神経学の世界的な権威でもある。

檜學先生の著書にも多くの学びを頂いた。
最初に手にした著書は「めまいの科学―心と身体の平衡―」で、今の私の治療に多くの示唆を受けた。次に読んだのは「医学への夢―私の医学概論―」で、1958年(昭和33年)に岩手医科大学着任から1988年に島根医科大学の学長職に至るまでの30年間に書きためた論説をまとめた著書だった。

挿絵に令夫人の描かれた俳画が使われていて、そこに先生の句が寄せられている。
その令夫人も京大耳鼻咽喉科の教室で檜學先生と研究を共にされたご縁のようであるが、この本には御夫婦の医学に対する思いが詰まっているような著作だった。
とても好きな本で、いろいろと考えさせもした。

改めてその本を開いてみると、4章に「医学を支える思想」を論じていて、その中に「アラビア医学の現代的意味」と題した一文もあった。
平衡神経学にばかり気を取られて、医学の系譜という檜學先生の関連性の視点を、すっかり失念していたようだ。

科学はただ技術の開発に関与しておればよいというものではない。新しい技術の開発は有用性があるにはちがいないが、より重要なことはその技術の土台となる思想を創出することである。医学においてもこの原則は同じである。それ故、医学概論のカリキュラムが新しい医学教育の中でもつ役割の一つは、医学の思想とその思想によって拓かれた技術の是非を見る眼を養い、学習することにある。そして、そのような医学概論でなければ新しい医学教育の中で命脈を保つことは困難であろう。(「序章 21世紀の医学に向けて」より


とても深みを感じる言葉であるが、このような視点で「医学典範」を読み進めて行くうちに、カイロプラクティックの考え方の源流を覗いたように思えてならなかった。

D.D.パーマーがアヴィセンナの「医学典範」に学んだかどうかは知る由もないが、「医学典範」の底を流れる思想は明らかにカイロプラクティックの生命観や自然観に受け継がれているのだろう。
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by m_chiro | 2010-11-11 00:26 | Books | Trackback | Comments(0)
小山なつ先生の「痛みと鎮痛の基礎知識・上下巻」
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WEB上に「Pain Relief;;痛みと鎮痛の基礎知識」(http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/index.html)というテーマで、ご自身の研究と備忘ノートとして公開されている小山なつ先生が、関連の本を出版された。
技術評論社の「知りたいサイエンス」シリーズに、上下2巻の分冊刊行である。

私も小山なつ先生のWEBサイトでは、随分とお世話になり勉強させていただいた。
少なくとも痛みにかかわっている人には必見のサイトである。

小山なつ先生は動物生態学の研究からスタートし、滋賀医科大学で故・横田敏勝教授の生理学教室で痛みの生理学的研究に着手され、現在は滋賀医科大学医学部で教鞭を執られている。

新刊本は、上巻には「基礎編」として痛みの神経科学や分子生物学に基づいて、痛みの生理学をとても分かりやすく解説されている。

下巻は「臨床編」で、多様な痛み症状について網羅し、その治療法についても具体的な紹介がされている。

更に専門的な勉強をする上での最適なガイドブックになるだろう。

いろいろな治療法や痛みの発達史にかかわるエピソードも紹介されていて、読み物的に知ることが出来るのもうれしい。

著者の小山先生は、「あとがき」で次のように痛みの研究者としての真摯な言葉を述べている。

このような基礎から臨床まで含めた痛みに関する本をまとめることは、無謀な挑戦だったように思います。以前から「痛みは」難解なものであると思っていましたが、学んでも学んでも、痛みについて知らない部分が増えていくばかりでした。ここ数年でメカニズムが解明された痛みの側面もありますが、まだまだ未解明な面が山のように残っているのが現状でしょう。


広く多くの人に読んでもらいたい本である。
痛みが、もっと身近な知識になること請け合いである。
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by m_chiro | 2010-03-07 02:00 | Books | Trackback | Comments(4)
「何もわからないことは、すばらしい出発点だ。願わくば、到達点でもあってほしい」
田舎町の書店は、漫画本、雑誌、文庫本が広いスペースをほとんど占拠している。
仕方なくアマゾンで注文するハメになるのだが、届いた本が予想したクオリティと違っていてガッカリすることもある。

先日、久しぶりに町の書店で本を買った。
シャノン・モフェットの「脳科学者たちが読み解く脳のしくみ」である。
著者は救急医療の女性レジデント(研修医)であるが、本の執筆当時はスタンフォード大学医学部の学生だった。

医学部の学生が、いわゆる素人目線で脳の専門医や科学者に取材した内容をまとめた処女作で、脳の誕生から死に至るまでを追っている。
各章ごとに、胎芽期、胎児期、幼少期、思春期、成人期、幼年期、死とサブタイトルが付いている。
脳にかかわる著名な医師や科学者に体当たり的インタビューをまとめているのだが、単なる脳の解説書的なスタンスでないところがいい。著名な科学者の人となりとその研究領域に食い込んでいる。

著者のそんな素人目線の感性に興味が湧いたのである。
何よりも引き付けられたのは、第1章の扉に書かれた次の言葉だった。

何もわからないことは、すばらしい出発点だ。
      願わくば、到達点でもあってほしい。
                 ノーマン・フィッシャー


ノーマン・フィッシャーという人物は、サンフランシスコ禅センターの住職である。
この本の最終章では、このノーマン・フィッシャーに「こころと身体」というテーマでインタビューしている。
脳の一生について医学生らしい興味でひっぱりながら、最後に心と体について座禅体験をしながら取材している。
脳を通して人間をみようとしている著者の「眼」を感じた本だった。

われわれは真実を知ろうと探求する。あるいは真実を生きようと思う。
だが、求めるものが得られたと思ってみても、結局、何が分かったのだろう? 
そんなジレンマを経験することがある。
ノーマン・フィッシャーの言葉を冒頭に掲げたそんな著者のスタンスに共感した。
真実を求めようとするプロセス、真実を生きようとする努力にこそ意味があるのだろう。
白か、黒か、と一元論的結論を急く必要はない。そんな思いがした。
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by m_chiro | 2010-02-22 22:49 | Books | Trackback | Comments(0)
「プルーストとイカ」 
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「プルーストとイカ」―読書は脳をどのように変えるのか?― 
この本、最近とても面白く読んだ本でした。
書名にある「プルースト」とはフランスの作家マルセル・プルーストのこと。「失われた時を求めて」という代表作がある。伝記研究書の最も多い作家なのだそうだ。
なぜ、プルーストなのか。
プルーストは著書「読書について」の中で、本を読む行為とその影響について書いた。読み取った文章から、情景をありありとイメージすることについて掘り下げたのである。

このプルーストの書いた内容を、認知神経科学者メアリアン・ウルフが脳の発達や読字・言語という視点から説いたのが、この本である。
文字を読む脳の発達と進化に関するものだが、特に著者の専門の領域であるディスクレシア(読字障害)や発達心理学に触れている。

一方、イカは20世紀後半の神経科学者の研究素材にされた。
ニューロンの発火、興奮、情報伝達の解明に、イカの長い中枢軸索が研究対象とされたのである。
この科学者たちの研究心を煽ったイカは、読字のプロセスの解明に相補的な役割を演じた生き物だという訳である。

本を読む行為では、人の認知プロセスがフル稼働する。
注意、記憶、視覚、聴覚など、言語システムが使われる。
文字が作られ、文章化され、大作の物語が書かれるまでの人の発達の歴史は、そのまま脳の進化の歴史として辿ることができるのだそうだ。

ところが昨今、読書離れが指摘されている。
そうなると、文字や読書によって発達・進化した人間の脳はこの先どうなってしまうのだろう。読書脳は衰退してしまうのだろうか。
この本のサブタイトルである-読書は脳をどのように変えるのか?-が推論されて行くわけで、とても面白い。

私たちは何気なく読み書きしているが、実はこの行為、そんな簡単に括れる話ではない。ディスクレシア(読字障害)の存在を知ると、そんな思いを強くする。
ところが、この障害は特に珍しいわけでもなさそうである。エジソン、ダ・ヴィンチ、アインシュタインは、ディスクレシアの三大有名人だそうだ。ロダンもピカソ、ジョニー・デップなどの芸能人、ガウディなどの建築家、技師や医科学、財界などあらゆる分野にいるのだという。彼らはパターン認識などに独特の脳の働きを持っているようである。特に右脳の使い方に特徴があるようだ。

ところが読み書きは、遺伝子が決めているわけではない。
生後5年間が、読み書き脳を作る重要な時期なのだそうだ。それを怠れば、読み書きが出来ないままで終わってしまうし、読み書きをすることで脳のシナプスの結びつきが発達する。人の成長の歴史は、そのまま脳の進化の歴史だとする所以でもある。

ところが、文字によってそのシナプスの配線も違ってくるらしい。アルファベット、漢字、カナ、ひらがな、シュメールの文字とエジプトのヒエログリフでも違ってくる。
特に注目は、日本人が漢字、カナ、ひらがなを用いることである。
これらの言語は、それぞれ別々の脳の回路を使っているのだそうだ。
この独自の脳の使い方が、その文化、世界観や感覚に大きく影響しているのだろう。読書は脳の発達・進化に大きな影響を持っている。本を読むことは、「奇跡のような体験」なのだと著者は強調している。
その奇跡が本離れで衰退すると、どうなるか、とても深刻な問題である。
「読書脳」は、今や「検索脳」あるいは「google脳」に変えられようとしている。
その行き着く先に、脳の進化はどんな様変わりをするのだろう。

著者は、最終章「結論―文字を読む脳から“来るべきもの“へ」の中で、「オンライン・リテラシーの進展によって何が失われるのか?」と問いかけている。
リテラシーとは、「読み・書き・そろばん」のようなもので基本的な能力のことであるが、今日では教養や理解力、知識を操る能力といった幅広い意味合いを持っている。

より多く、より速い、情報オンラインに慣れ親しむことで、文字を読む脳が育ててきた「一連の注意、推論、内省の能力」が衰退しないかと危惧もされる。
しかし、「オンライン・リテラシー」が新たな脳の進化をもたらす可能性も否定できない。
この膨大な情報を瞬時に受け取る新しい情報社会に生きている。このスピードと量は更に進むことは確実である。
そうなると、読字、文章化といった文字文化によってもたらされた推論し、考察する時間をどのように築くべきなのだろう。
オンライン・リテラシーが、更に新しい脳細胞の再編成をもたらされることで、未だ見ぬ能力が得られるのだろうか。また、それによって失うものとは何だろうか。

この辺を考えるヒントが読字文化の構造を脳科学の視点から紹介しているが、ここではこれ以上は触れない。是非、この本を読まれることを勧めたい。
なぜなら、著者は文末に「読者へ―最後に考えていただきたいこと」として一言添えているからである。
「人類が文章を超越する術をいかに学んだかという本に最終章はない。結末はあなた、読者の筆次第だ...」。
いろいろ考えされられた本であった。
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by m_chiro | 2009-05-13 10:14 | Books | Trackback | Comments(0)
「アナトミー・トレイン」、待望の訳本が刊行された
c0113928_16182688.jpgこの本の翻訳を久しく待ち望んでいたが、ようやく医学書院から翻訳本が刊行された。筋筋膜とその膜系連鎖を学ぶには格好の教科書だと思う。「徒手運動療法のための筋筋膜経線」というサブタイトルがついている。
著者のThomas W. Myersは臨床生理学者でロルフィングの創始者であるアイダ・ロルフに学んだ。
ロルフの概念を発展させて、包括的な結合組織網の身体図を完成させ、その心身の健康に影響する意味づけをしたボディワーカーであり、ロルフ研究所のメンバーでもある。

筋膜の全身的連結には、交差点や駅に相当するようなポイントがいくつかあり、これらは身体の触診や検査のポイントとしても重要である。同時に重要な治療点でもある。
Myersの興味は単に形態学的な解剖にとどまらずに、スポーツや芸術的な運動学全般を評価する視点を提供している。

著者も本文中で述べているが、筋筋膜経線の概念は循環系や神経系に匹敵する反応系である。こうした考え方を学んでいると、いろいろな治療の手法が湧いてきて、とても楽しいテキストである。既存の治療法を受売りで学ぶよりも、基本的な治療の広がりに貢献できるように思える。

5つの視点がコラムで用意されている。その視点とは、徒手療法および運動療法の手技あるいはノート、徒手療法と運動療法に関する考え方、視覚的評価ツール、筋筋膜経線の用語や定義などである。これも治療家には実用的な押さえどころになっている
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by m_chiro | 2009-03-12 16:17 | Books | Trackback | Comments(2)
「日本文明の謎を説く」を読んで
ぶらりと本屋さんを覗いていたら、「日本文明の謎を説く」という本が目にとまった。表紙のデザインに「エッ?」と思ったのである。
日本文明論に、なぜモナリザの絵なの?
と、不思議に思いながら手にとって開いてみた。
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第2章に「ダ・ビンチの水循環トリックーなぜモナリザは永遠の美を獲得したかー」が書かれている。
注目しているのはモナリザその人ではなく、背景の河川にあるようだ。
読み進むと、これがなかなか面白い。買い求めて読んだ。

背景の河川と言っても、川の上流はどっちで、下流はどっちか、という問題である。
多くの謎を秘めていると言われるモナ・リザ。
多くの芸術家がモナ・リザの贋作を描いている。何しろ美術品の中でも、模写の多さではモナ・リザに及ぶものはないと言われる。100点以上もの模写やパロディの展示会が開かれるくらいなのである。

ところが、背景の川の上下流についてはそれぞれで、一貫したものはないのだそうだ。この絵の背景の川は上下流のわからない川で、モナ・リザの絵の謎のひとつとされていて、この謎はモナ・リザの神秘である「永遠の美」に関わっている。そして、そこには「川の流れのトリック」があるのだそうだ。

結論を言えば、背景の川は一本の川ではなく、背景の左右両側から流れ込む別の2本の川だ、という仮説を立てている。
左右のこだわりに執着していたダ・ビンチならではの構図で、川の流れはモナ・リザの真の図に流れ込んでいる。湖から無限に流れでて来る2本の川を、自分の身体に取り込んで無限のエネルギーを吸収することで、モナ・リザの永遠の美、永遠の生命を描き出した、と言うのである。

そんなわけで、この文明論は河川にかかわる水というエネルギーを通してみながら、公共事業という社会インフラの道筋までを著者の考えとして披瀝している。

徳川家康が、大湿地帯でとても人の住む土地ではなかった江戸村を大江戸にした眼力、利根川を征した調査と構想力に敬服させられる。
そのくだりに関する章を読むと、日本という国土を劇的に変化させた家康の存在感を再認識させられた。

その他にも、誰が情報を作るのか? 何が寿命を伸ばしたか、本当に海面上昇はあるのか、なぜカラスは遊ぶのか、日本はなぜ道路後進国になったか、なぜ日本人はロボットが好きなのか、なぜ日本人は勤勉で無原則なのか、、、、などなど興味深い内容が眼からウロコで納得させられる。

著者の略歴をみると建設省の元お役人である。こんなお役人もいるんだ、と思ってしまった。
公共事業という社会インフラの世界で仕事をしながら、たどり着いた文明論を展開している。
とても面白く読んだ本だった
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by m_chiro | 2009-03-11 13:33 | Books | Trackback | Comments(0)



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