カテゴリ:カイロプラクティック( 51 )
ツヴィンガー宮殿に行ってきました
12月2日~4日(日)に、九州カイロプラクティック同友会の忘年会があり「ツヴィンガー宮殿」を訪ねました。

ツヴィンガー宮殿とは、ドイツのバロック様式の宮殿で中庭には庭園があります。
ドイツのザクセン選帝侯(ポーランド王でもあった)が、1709年から23年の歳月をかけて建てられた宮殿です(現在のトレスデン市)。
この当時、ヨーロッパには磁器をつくる技術がなく、東洋から伝えられた有田焼が宝石のように重宝され、王侯貴族が収集したそうです。
中でも、ツヴェリンガー宮殿を建てたアウグスト王は欧州最大のコレクターで、そのコレクションや陶磁に関する資料や文献・その他の東洋陶磁が保管されている宮殿でもあるのだそうです。
アウグスト王はマイセン磁器をつくらせたり、古伊万里や柿右衛門の絵柄を取り入れたり、日本の陶磁と深い関わりがあったそうな。

同友会で我々が行ったツヴィンガー宮殿は、ドイツの実際の宮殿ではありません(念のため)。
実は、本家のツヴィンガー宮殿と深い所縁のある佐賀県の有田焼の地にある宮殿です。
「有田ポーリングパーク」に、実物のツヴィンガー宮殿をモデルに建築された建物なんです。
でも、立派な宮殿でした。
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その前で記念写真を撮りました。
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どうですか。
ドイツに行ってきたみたいにでしょう!

同じパーク内で、有田焼の絵付け体験もしてきました。
有田の街並を散策しながら有田焼の名品も見てきました。

前夜は、嬉野の「山水」という旅館に投宿。
ぬるぬるしたお湯の岩風呂で温泉気分を満喫した後で、恒例の忘年会。各地からの銘酒が持参され、酔いしれました。2次会、3次会と続いて、バタンキュウでした。飲みすぎました。おしゃべりも過ぎて、翌朝は声枯れ状態でした。

忘年会恒例のお楽しみ企画、なんと、私は昨年に引き続いて「同友会・会長賞」をゲットです。
「Atlas of Human Anatomy and Surgery」という手書きの解剖図譜の大著でした。
解剖書というよりも美術書というべき図譜です。
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同友会に参加すると、なぜか「善いとこ取り」が続いています。
実物は海外から送られてくるのだそうで、まだ手元には届いていません。
でも、ホントに届くのだろうか。でも、うれしい景品でした。

ご提供いただいた荒木寛志会長に感謝です。

いや~、楽しかった!
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by m_chiro | 2011-12-07 13:55 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(4)
「九州カイロプラクティック同友会」の夏期合宿に出向く(7月30~31日)
東北の震災以後、県外に出向くことが億劫になってしまった。
そんな時に、学兄・馬場先生から今年も「九州カイロプラクティック同友会」の夏期合宿の予定が知らされてきた。
「今は積極的引きこもり傾向で、九州まで出向くのがおっくうだ」と告げたら、馬場先生にやんわりと叱咤された。
そんな経緯があり、重い腰を上げることにした。

決心したと思ったら、今度は身内の仲間から長岡で勉強会をするから出てくれという話が来た。
何でも、私が記事に少しだけ書いている「センタリングの技法」とやらを教えて欲しいという依頼である。「センタリングって、どんな軸だろう?」と思ったらしい。
これはテンセグリティの概念を治療の技法として用いたもので、「軸の無い状態」を目指す手法である。
軸がないと言っても、実際はそれぞれの動きに応じて動きの軸変化はあるにはある。ただ、特定の軸が身体に作られると、そこから停滞が拡散す。
あるいは代償されたアンバランスが広がるので、その見える軸、あるいは感じられる軸を無くしてしまわなければ、身体のエネルギバランスが作れないという発想に基づいた手法である。
予想外な話だったらしかったが、さわりを実習した。

それが7月24日の日曜のことで、夏期合宿は翌週の土日(30~31日)である。
結局、連続してこの「引きこもり」が出かけたことになった。

さて、この夏期合宿は、臨床検討を行う企画である。
九州カイロプラクティック同友会が発足から間もなくして「CCR」という名目で開始されたわけだから、かれこれ10年を超えた実績を持つ企画である。
最初は学会発表の訓練として「症例報告」を特徴としていたのだが、3年ほど前に私が余計な口を出してしまった。「症例検討会」として、全員参加型の進め方によるカンファレンスを目指すべきではないか、と口走ってしまったのである。

それが切っ掛けになって、言い出したら責任を持てとばかりに幸か不幸か協力する羽目になってしまったのである。

今年も、その進め方を検討することになり、プロトコルについて話をすることになった。
併せて、自分の症例からの具体的なカンファレンスも行なった。
OS(オープニングのための最低限の情報提示)から、重篤な疾患の危険因子を除外し、治療に至るまでの欠かせない事項の推論を促すのである。

OSだけから発症因子を特定していくのは、かなり難しい作業である。
それを反復していくことで、推論しながら行うべき検査を選択し、治療を進めていく手順が身についてくるのだろうと思う。
まだまだ課題があるが、何とか定着させたいと思うのだが...。これも試行錯誤である。

夏期合宿は福岡天満宮の近くで行われたので、馬場先生と同友会会長の荒木寛志先生から天満宮を案内していただいた。
道真公ゆかりの国宝展も見て回り、何かとお気遣いいただき恐縮の2日間だった。
前夜は、同友会の先生方と痛飲、歓談、議論、ミニセミナーなどの趣向があり、楽しい夜も過ごした。
出向いて皆さんから元気もいただき、思いがけず私自身にひらめくものもあり収穫の多い2日間だった。
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by m_chiro | 2011-08-02 08:01 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(2)
マニピュレーションを正しく教育する責任の所在はどこにあるか?
「カイロもどき病」で紹介した患者さんがみえた。
1週間間隔で1か月ほど治療し、随分調子を取り戻した。
頭痛や吐き気も消え、時に首の痛みが残る程度に回復した。食欲も出てきて体重も大分戻したようである。
この患者さん、過剰な頸椎の関節マニピュレーションの被害者である。
ハイパー・モビリティが完治したわけではないが、過剰な刺激の入力が無くなっただけでも良い方向に向かったものと思う。
関節マニピュレーションを行う者は、その原理原則論を踏まえて熟練した操作を行なわなければならない。同時に、その教育の重要性については改めて言うまでもないことである。

さて、最近のカイロプラクティック業界でチョッとした議論が賑わしかった。
WFC(世界カイロプラクティック連合の略称)が承認するカイロプラクター以外の者に、関節や軟部組織のアジャストメントおよびモビリゼーションを教えてはならいらない、という声明が日本のセミナー主催者(科学新聞社)側に行使されたことである。

よく事情が飲み込めないでいた私は、WFCが所属メンバーに紐を付けるというのであれば、止むを得ない話ではないかと思っていた。が、どうも事はそんなに単純ではないようである。何しろ、日本のカイロプラクティックをどうするのか、という基本的な問題含みのようなのだ。

そんな折に、科学新聞社が発行する「カイロジャーナル69号」が届いた。
櫻井京D.C.が、「論壇」というコラムに「日本の多数派を切り捨てWFC声明に沿うのは難しい」と題する論説を述べておられた。
この記事を読んで、鈍重な私にもようやく背景が理解できた。
更に20ページの新聞記事の随所に、日本のカイロプラクティックを考える意見や、世界のカイロ界の動向までもが織り込まれていて面白かった。

WFCとは、世界90ヶ国のカイロプラクティックの業界団体が参加する国際的な非政府組織(NGO)である。そしてカイロプラクティックの団体としては、唯一、NGOとして世界保健機関(WHO)の会合にオブザーバーとしての参加が認められている。
このWFCの目的は、科学的研究、教育、法制化で、各国が情報交換を行いカイロの基準や職業としてのアイデンティティを守ること、としている。
ところでWFCに所属する日本のカイロ団体は「JAC」である。一国から一団体の加盟という制約があるのだ。だから、JACは重い責任を背負っている。
そして、WFCに参加する約90カ国中、カイロプラクティックの法制度化された国は34カ国のようである。

法制度化されていない国では、それまでの間の移行措置としての教育が求められている。そのためにWFC代表団体(日本ではJAC)に特別な権限が明記され、その国におけるカイロ教育プログラムの設定および承認が委ねられている。
その他に、「関節アジャストメント・コース」については「正規のカイロプラクターと学生のみに教えるべきであり、違法行為には、代表団体および関係者が全力で立ち向かうべきである」と声明が出されている。

これって、法制度化された国の話ではないのだろうか。
WFC声明を金科玉条に実施したのは、実はJACだろう。何しろ特別な権限が与えられている。それにしても、なぜ科学新聞社だけがターゲットにされたのだろう。メディアの活動を押さえた方がメッセージ性も強いとでも判断したのだろうか。

で、日本にどのくらいの数のカイロプラクターと称する業者がいるのか。
正確な実数は分からないが1~2万人いるとされている。
この中で、WFCが言うところの「正規のカイロプラクター」は精々5%ほどだろう。少なくともカイロプラクター「である」と称する大多数は、WFCの言う「正規のカイロプラクター」ではないことになっている。

日本のカイロは特殊な発達をした国である。
しかも憲法22条「職業選択の自由」や、最高裁による「医業類似行為は人の健康に害を及ぼすおそれのあるものでなければ禁止処罰の対象とならない」の昭和53年判例に後押しされ、カイロプラクティックの規制など無きに等しい国である。
更には「カイロプラクティック」を施術内容に掲げる「療術師」の歴史と実績もある。
今では「財団法人・療術学会」も設立され、独自の成長を見せている。
療術も苦難の道を開いてきた。戦後アメリカの占領政策に辛酸を舐めさせられてきたのである。もし戦後も療術行為が保障されていたら、カイロプラクティックは日本で別の発展を遂げたかもしれない。
また、マニピュレーションを用いる徒手療法の領域も多々ある。
そんな中で、法制度化された国に向けたと思われる声明を、そのまま日本でも対応させることに何の意味を持つのだろう。

この多数派の人たちが、正しく関節アジャストメント(マニピュレーション)を行うことが出来るように指導する責任が、それを生み出した日本のカイロ業界には当然あるだろう。
冒頭紹介したような不幸な患者を作らないためにも必然の対策だと思う。
JACが日本のカイロ教育を確立しようと願うのであれば、多数派との差別化を図るのではなく全体の底上げを目指すべきであろう。対話を拒むのではなく、同じテーブルについて歩む道筋を求めるべきだろう。解決のアイデアを出し合い、共に進む意思が必要だろう。でなければ、いつまでも溝は埋められない。今の状況を打開することにも窮しかねないように思えてならない。
どうも、そうした動きが見えてこないところが気にかかる。
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by m_chiro | 2010-11-20 13:17 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(6)
横粂議員(民主党)の「カイロ国家資格化」発言に思う ② カイロの独自性とは何か?
② カイロの独自性とは何か?

カイロ界で使われる「サブラクセーション」の同義語が100を下らない。
M. Gattermanが自著である「カイロプラクティック・サブラクセーション」に、その同義語の一覧表を表示している。
この原著 ”Faoundations of Chiropractic Subluxation” は、カナディアン・メモリアル・カイロプラクティック・カレッジでの「サブラクセーションの再検討」(1992年)という学会がきっかけとなって著述された。
サブラクセーションに関するカイロプラクティックの教科書である。
サブラクセーションに科学の篩(ふるい)をかけようとする、まともな考えを持つ指導的立場の人たちも少なからず居るのである。

にもかかわらず、「サブラクセーション」というカイロの基本的な概念に対するコンセンサスは未だに得られていないのは何故なんだろう。
対話と議論の不足も大きな理由のひとつかもしれない。
どうも、この業界は議論を通じて同意を得て行く作業が苦手なのだろうか、と思えるふしがある。
なぜ正攻法の手順が疎かになるのだろう?

その疑問がカイロの原理の中に見え隠れする。
カイロプラクティックの基本原理は3つに集約されている。
「1.哲学、2.科学、3.アート」の3つである。
とかく「原理」というやつは厄介で、とらわれ過ぎると原理主義の罠にはまる。

カイロプラクティックの哲学は壮大な自然観でもある。
ヒトの内部世界(小宇宙)は「イネイト・インテリジェンス」によって、外部世界(大宇宙)は「ユニバーサル・インテリジェンス」によって秩序と調和がもたらされている、と説く。

こうした自然観は、決してカイロプラクティックのオリジナルではないが、その小宇宙たる人間を統一するものを「イネイト・インテリジェンス」としている。
これは「先天的叡智」と訳される概念があるが、先天的にヒトが持つ「治癒力」と言うべきものだろう。あるいは「恒常性」と言ってもよい。

つまり、「病い」は「イネイト」が治すのであり、「サブラクセーション」の存在はその「イネイト」の働きを阻害すると考えられている。
だから、サブラクセーションをアジャストすることは「イネイト」を十全に働かせるためであり、単なる分節レベルの障害とは看做さない。この「哲学」と「科学」の関係は、カイロプラクティックの原理を構成する独自な考え方で、「哲学」と「科学」を結びつけ完結させるものが「アート」である。

これらの原理が問題を厄介にしているようにみえる。
サブラクセーションをアジャストして、後はイネイトの働きに委ねるわけだから、事細かにサブラクセーションを明らかにする意義をあまり感じていない。
メジャー・サブラクセーションを見つけることが重要で、そこにアジャストメントを行い、イネイトを賦活させるところにカイロプラクティックのアートがあるとされる。

だからこそ、哲学派のカイロプラクターにとっては、サブラクセーションを分節レベルで解明してもカイロプラクティックの科学には成り得ないのだろう。
「サブラクセーション」と「イネイト」の関係性こそが重要で、そこに独自性が強調されるところでもある。カイロの科学派と哲学派の確執が今でも続いている理由が、この辺にあるように思えてならない。

そもそも「カイロプラクティック哲学」などというものは存在しないのであり、「イネイト」の概念も「ホメオスターシス」に集約されるものであろう。
それでも、カイロプラクティックの哲学的概念が、サブラクセーションの科学的発展の隠れ蓑にされてきたのである。

サブラクセーションを分節レベルだけで解明していくと、カイロのオリジナリティは薄められてしまいかねない。
関節障害に対するオステオパシーとの違いも不明瞭になる。
整形外科領域では、そこに徒手療法を用いるコメディカルとの違いも明らかにしなければいけない。
こうした生気論的な考え方を根源にもつカイロプラクティックを、すんなりと医科学に組み込むほど甘くはないのである。

こうした問題解決の糸口が、カイロプラクティック神経学の発展にあるように思えるのだが、この領域は緒に就いたばかりである。
カイロプラクティックの科学性も独自性も、自ら明確にする必要性も残されているのである。
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by m_chiro | 2010-10-20 23:24 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
横粂議員(民主党)の「カイロ国家資格化」発言に思う
① 不思議の国の「サブラクセーション」

民主党の1年生議員である横粂氏がカイロプラクティックの国家資格化に取り組む意向だという。
横粂議員は自身のブログに、『「脱ガラパゴス」の立場から、カイロプラクティックの国家資格化に取り組んでいきます。』(http://ameblo.jp/katsuhito-yokokume/entry-10665151686.html)と書いている。

何をどう思慮したものか、あるいは誰に煽られたのか知らないが、寝ぼけたことを言うものだ。

ガラパゴスとは、「日本国内で独自の進化を遂げながら、海外では採用・利用されない商品のこと」を象徴するらしい。
カイロプラクティックが、日本国内でどんな独自の進化を遂げたと言うのだろう。
あるいは逆に考えて、海外のカイロプラクティックが医学的に何のエビデンスを示している、と言うのだろう。はなはだ疑問である。

法制化には、必ず「科学性・独自性・独立性」が問われる。
国家資格化を叫ぶならば、先ずは、カイロプラクティックとは何をする治療なのか、を質さなければならない。

カイロプラクティックが最も得意とする治療法は、身体の関節、特に脊柱の関節のアジャストメントだと長い間主張されてきた。どんな関節病変に対するアジャストメントかと言えば、それは「サブラクセーション」と言うことになる。

では、サブラクセーションとは何か、これが肝心の問題である。
カイロの先進国・アメリカのカイロプラクティック団体(ACA)が、いろいろな概念的変遷を経て1972年に定義したサブラクセーションとは以下の通りである。

「サブラクセーションとは、隣接関節構造における正常な動力学的、解剖学的あるいは生理学的な関係の変調である;A Sabluxation is the alteration of the normal dynamics, anatomical or physiological relationships of contiguous articular structures.」

これ、どんな病変か理解できますか?

隣接関節構造であるから、椎間板も筋・筋膜や靭帯も神経・血管・リンパ組織も含めた関節を構成する複合体のことである。
そして解剖学的に正常な状態からの変調とは、レントゲン写真で確認できる病態を指すのだろう。

レントゲンで確認できなくても、つまり明らかな解剖学的な変調が見られなくても、動力学的に正常な状態からの変調も含むのである。

それはどうやって確認するのかと言えば、検者の可動触診で決められる。
つまり正常な関節可動に動力学的な変調があるとする感覚である。
個人の感覚であるから、必ずしもその感覚は術者に共通のものとは限らない。
変調があると感じる検者にはサブラクセーションが存在するが、感じない検者には存在しない、とも言える。

更に、生理学的に正常な状態からの変調もサブラクセーションに含まれる。
極端な話、そこに腫瘍があっても生理学的な変調であるし、感染などによってそこに発熱があっても生理学的な変調と言える。

そうなるとサブラクセーションとは、まるで不思議の国の「打ち出の小槌」のようにどんな病態にも適応できる。
そもそも正常な状態とはどんな状態を指すのだろうか? 先ずは正常の状態を定義する必要がありそうだ。

この定義を作ったACAという組織は学術団体ではない。カイロプラクティックの政治団体である。
だからカイロプラクティックの業務を拡大するためなら、あるいはカイロプラクターの利権を守るためなら、こんなご都合主義の定義を臆面もなく主張する。
したがってカイロプラクターにとっては、とても有り難く便利な概念ともなるだろう。
そこからどんなテクニックも導き出せる。だからこそカイロプラクティックのテクニックは、まるで玉手箱のようにあらゆる方法がある。

その上に、世界のカイロプラクターがサブラクセーションの同義語とし著述している用語が100を下らないのである。
ここに至ると、「サブラクセーション」は不思議の国の話になる。
不思議の国の話は、医科学の領域には馴染めない。

それでも、政治的に強引に線引きをしようという意見なら、今の日本の医療行政には問題が山積している。政治家としてやるべき優先順位が違うのでは?、と思わざるを得ない。

一方、日本のカイロ業界は、足元を固める作業を自浄努力として先んずるべきである。
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by m_chiro | 2010-10-19 01:10 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
「熊澤孝朗先生・追悼セレモニー」(第12回カイロ学会より)
「日本カイロプラクティック徒手医学会」の大会2日目、午前の部の最初のセッションは「熊澤孝朗先生・追悼セレモニー」が行われました。

熊澤先生からは、今学会に大変心強いご支援を頂いてきました。

その熊澤先生がこの7月26日に急逝されたのです。

福岡学会を目前にして、われわれ実行委員会では「熊澤先生に良い結果報告をしたい」と思っていた矢先の出来事でした。

実行委員会でも、ただ驚きで呆然自失と言ったところでした。

そこで、予定のプログラムを少し変更して時間を取り、私が熊澤先生と今大会との関わりや経緯をエピソード交じりに紹介し、参加者と共に熊澤先生を偲ぶひとときを過ごしました。

経緯を辿りながら紹介している内に、様々なことが思い出されて声が詰まってしまいました。
熊澤先生の御支援がなければ、われわれの当初の企画を全うすることができませんでした。
ただただ感謝のほかありません。

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2002年、愛知医科大学に「痛み学・講座」を開講された頃の熊澤孝朗先生。
「サイエンスだから分かりやすくなければならない」を信念に、痛みの科学に大きな足跡を残された。
私も多くの学びを頂きました。
「痛みの治療は痛みを知ることからはじまる」ということを忘れずに、微力を尽くしたいと思います。
心からの感謝と哀悼の意を込めて、ご冥福を祈ります。


尚、熊澤先生の最後の原稿となったインタビュー記事は「日本カイロプラクティック徒手医学会」のHPにアップされています。
是非、熊澤先生の最後のメッセージを噛みしめながら、多くの人にお読みいただきたく思います。
今学会で基調講演を行いました吉村恵先生にも、「構成と内容ともに、とても良くまとめられた原稿」と評価していただきました。
この原稿の制作に係れたことを誇りに思っております。


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by m_chiro | 2010-09-14 17:02 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
住谷昌彦先生の「CRPSに対する神経リハビリテーションとそのメカニズム」(2010年・カイロ学会より)
c0113928_16194224.jpg「日本カイロプラクティック徒手医学会」の第12回学術大会では、実行委員として企画面のお手伝いをさせていただいた。

「痛みを考えるー最新の感覚受容器の研究に基づいてー」をテーマに、盛況の大会だった。

学会は9月4~5日の両日にわたり福岡市で行われ、猛暑にもかかわらず多くの参加者が熱心に聴講し、活発な議論もあってとても良い学会になったと思う。

実行委員を務められた九州カイロプラクティック同友会メンバーの統率された活躍も印象に残った。

これも多大なお力添えを頂いた故・熊澤孝朗先生のお陰である。
熊澤先生の御支援がなければ、とても当初の企画を全うすることが出来なかったろうと思う。

招待講演も、熊澤先生が世界的にも著名な基礎研究者・吉村恵先生(熊本保健科学大学大学院・保健科学科教授)と、次代を担う臨床研究者のホープと期待される住谷昌彦先生(東京大学医学部付属病院・麻酔科・痛みセンター助教)の両先生を推挙して下さり、とても興味深く内容の濃い講演を聞くことができた。
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私には、住谷先生の講演が特に印象深く残っている。それはCRPSなどの神経障害性疼痛に対する大脳生理・認知神経科学的手法を試みている臨床現場からの報告であった。
難治性の痛み患者の「脳と身体」の関係性を研究したものである。

要するに、身体を動かしているという知覚は身体情報が大脳に入力されて、その情報に基づいた運動指令がだされ運動が実行されるわけだが、この「知覚―運動の協力応答」を認知神経学的に調整する方法である。

ヒトの身体性は、身体周辺の環境と身体の内部感覚によって固有の位置情報や姿勢の知覚が保たれている。こうした入力としての感覚系と出力としての運動系は、相互に情報の伝達が繰り返されて保たれているのである。

この「知覚―運動ループ」は本来、生理学的に整合性を持っているわけで、そのループに異常が起こると痛みなどの異常感覚が起こるのだろう。
この痛み発症の起源に迫って、ヒトの情報系のプログラムを再統合する試みと受け取った。

CRPSの患者は明るい場所では視空間認知が正常に作用しているが、暗い場所では患側方向に視空間認知の偏位が起こっていると話しておられた。
「目の見えない人にCRPSが発症するのか?」との会場からの質問に、「今のところいない」と答えられた。これも驚きと同時に興味深く感じた次第である。

視覚情報系と身体感覚系の統合する高次の脳での神経系の統合不全が、難治性の痛みの発症に関わっているのだろう。
私も頭位と視覚情報系をチェックして統合させる手法を用いているので、住谷先生のお話は大変興味深かった。

CRPSは、かつてRSD(反射性交感神経ジストロフィー)やカウザルギーとされたもので、国際疼痛学会によってタイプⅠとタイプⅡと改められたが、両者の差異が分かりにくいことから、2005年に「CRPS」と統一された。症状に交感神経の依存性と非依存性があるものの、多くは損傷後のギプスなどで関節や筋肉の不動化がきっかけとなっている。

身体の部分的な不動化は身体情報も途絶えて、こうした難治の痛みや交感神経症状を合併する痛みを作るのだろう。

筋・筋膜や関節の不動化は難治の痛みに限らず、痛み症状の根幹にある問題とも言えるだろう。疾患や損傷によっては、必然的に安静・不動の部位をギプスなどで保たなければならない事態もあるだろうが、その状態にあっても、いかに損傷治癒後の難治な痛みを回避する対策を講じる必要があるのだろう。

いろいろと学び多い講演を拝聴した。
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by m_chiro | 2010-09-10 16:22 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(12)
身体という宇宙② からだは交響楽である 3.旋律
      THE BODY AS COSMOS
         身体という宇宙②
 
     からだは交響楽である。


3.旋律 The Melody of the Body

c0113928_22541223.jpg 旋律=メロディーとは、色々な高さの音が連続しているものであり、ギリシャ語のメローディア(歌う)に由来しますが、もともとはメロス(歌)と詩(オード)との合成で、詩を歌うという意味であるそうです。

最古の旋律パターンは、最高音から最低音までの広い音域を上下するものと、ほとんど二つほどの音域のせまいものに大別されるようですが、ヨーロッパにおいては、それぞれの時代の音楽様式と密接に結びつき、声楽旋律と器楽旋律とに分けられます。そして、1600年以前を声楽旋律優位の時代、以降を器楽旋律優位の時代とみるようです。

さて、旋律の変遷史とは関係のない話ですが、医学においても一種の流行というものがあります。例えば、デカルトによれば、人体は一種の「自動機械」でありました。その意味で、身体は医学の対象になるが、理性を持った人間は機械としての人体とは全く別のものである。という有名な心身二元論を1637年に「方法序説」の中で発表したのです。近代科学は、このデカルト的パラダイムに支えられ発展してきたと言えるでしょう。

こうした身体を部分に分割して可能な限り細分化しながら、身体全体を構成するメカニズムを解明する方法論は、医学の進歩に大きく貢献しました。病気になったら、悪くなった部分を治せば解明できるという基本的な考え方が今日の医療を支えているのはそのためとも思われます。一方、「心身一如」といった東洋の生命観などは、生命の本質を総括的に捉えようとする考え方であります。この論争も、医学の源流をたどると、古代ギリシャ時代にさかのぼります。

ヒポクラテスを中心にコス派と呼ばれた人々は、病気を持った病人を診ました。これに対立したのがクニドス派の人々です。彼らは病気や症状を病型分類し、患っている細分化された部分を治療していました。

部分にとらわれると全体が見えなくなる、全体をとらえると部分を見失う。両者の欠点を補完する立場で、今日のカイ ロプラクティックは、コス・クニドス両派の影響を受けているものの、その理論的源流はコス派の全体論(ホリズム)が根底にあると言えましょう。

そもそも生命は、全体として常に最適な恒常性を維持しようと働いており、D・D・パーマーは、ヒポクラテスの考えを踏襲して、こう推論しています。「人体はそれだけで完全な生物体であり、その置かれた環境の中で、それ自身の中に人体を生理学的平衡状態(恒常性)に保つためにあらゆる必要条件を生まれながらにして持っている。そうした状態に保たれている時には、本来あるべき姿として健康は維持されている」と。

この概念は近代に入って一層発展していきました。つまり、人間を取り巻く外部環境は常に変化していますが、その内部環境は常に一定に保ち、調和されるように動くとする、アメリカの生理学者W・B・キャノンが説いた「ホメオスタシス」理論であります。このホメオスタシスが正常に維持されていることによって、臓器や各組識が一つの自律的な統一性を持って機能を全うすることができるという主張です。

例えば、旋律からリズムを取り去ってしまうと、無味乾燥な音のかたまりにしかすぎないのですが、何の変哲もない分散和音にリズムを与えると、とたんに生き生きとしたメロディーになるように、音楽もやはり一つの自律的な統一性によって成立しているのです。

こうした「生体の自律性」と言うべき特徴を、小宇宙としての身体は持っています。その意味でも、人間の身体は、色々な器官や組織という部分が集積されてできていますが、それらは決して部分として独立した存在ではなく、相互に密接に関連した有機体としての存在なのです。部分はそれ自体、独立した部分でありながらも、相互の関連性を持った統一体としての全体なのです。この複雑な関連性と調和のリズムを一定に保つのが神経系であり、カイロプラクティックの学技は今後もその究明に貢献していくことでしょう。
(転載を禁じます)
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by m_chiro | 2010-04-16 22:58 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
身体という宇宙② からだは交響楽である 2.変調
        THE BODY AS COSMOS
            身体という宇宙②

          からだは交響楽である。

2.変調 Change of Conditions

c0113928_2303694.jpg音は、高さ、長さ、強さ、音色の四つの基本的な属性によって特定の音が規定されますが、その音から音楽を形成する には、一般的にリズム、旋律、和声の3要素が必要と言われます。

そして、その3要素の中でも、旋律を持たない音楽や、和声を持たない音楽はあり得ても、リズムを持たない音楽は考 えられないように、リズムこそが音楽の生命なのです。また、周期的に変動する身体の状態や現象を表す言葉として、「バイオリズム」という言葉があるよう に、音楽を超えた、より根源的な生命と直接かかわりを持つ力でもある。

しかし、規則正しいリズムやメロディーのみが音楽ではありません。シンコペイトされたリズムは千変万化のおもしろ さを表現しますし、モーツアルトの音楽の美しさはテーマが突然に変調するところにあると言う人がいるほどです。では、人間の身体にとってリズムに変調 をきたすということは、どんな状態を言うのでしょうか。

神経は、人間のあらゆる働きをコントロールする上で大切な役目を担っています。例えば、人が歩く時、足は交互 に前に出て身体を前進させていますが、右足と左足が先を争って出ようとしたなら、歩くことなど、おぼつかないことになるでしょう。

この時、右足と左足がお互いに話し合って、どちらが先かを決定するわけではありません。それを決めるのは人体の 総司令部である「脳」であり、脳の決議をそれぞれの足に伝えるのが、身体にはりめぐらされた情報ネットワークとしての「神経」であります。

この神経の通信網を微弱な電気エネルギーが身体の情報を運んで、時速400kmの超スピードで駆け巡っているの ですが、もし神経がなければわれわれはチグハグな行動を取ってしまうことになります。この通信網がスムーズに連絡することができなくなると、情報も滞 り、人間の身体は健全に機能することができなくなってしまうわけです。

これは病気やケガの場合でも同じで、もし転んですり傷ができると、その部分にばい菌という外敵が侵入しますが、そ の時、神経は超スピードで脳に「膝をすりむいた」と報告します。そして身の危険を察知した脳は、負傷した膝に白血球をたくさん集め、ばい菌と戦わせるの です。もちろん、こうした指令は神経によって全身に伝えられます。こうして、身体に起こった変化は神経を介して伝達され、防衛策もまた神経を介して指令 されるわけです。

こうした神経による身体の情報網は、内臓も含めて全ての身体の活動を支配しているのですが、神経を意識的に操作す ることはできないため、神経は寝ている間も休みなく働き、身体の内部環境に異常がないか、いつもパトロールを怠ることができません。

カイロプラクティック的にみれば、関節とその周辺の組織に発生したカイロプラクティック・サブラクセーションが、 神経系を介して全身にシグナルを送るということになります。人間の身体が有機的に結びついた存在だからこそ、身体に現われるそれぞれの症状は身体からの 警告シグナルだと言えるでしょう。

こうした、もの言わぬ身体の叫びとしての様々な症状は、神経の通信システムを通して様々な身体の不定な愁訴として現われてくるのです。

脳から出た神経は、すぐに背骨の中に入りますが、もしも背骨にトラブルが生じると、神経のネットワークにも混乱が起こり、身体の色々な組織や各臓器に機能 的な障害が起こってきます。そうなると、身体の修復作業も困難になります。こうして、身体はますます本来のリズムを崩してしまうことになります。

カイロプラクティックは、こうした神経の作用に注目しながら、身体に起こったシグナルを読み取り、身体の内部環境 の調整に協力していく治療でもあります。その意味では、生命のダイナミズムとしてのリズム変化は認めるものの、大方は基調を設定する調律師といったところ でしょうか。
(転載を禁じます)
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by m_chiro | 2010-04-13 23:11 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
身体という宇宙② からだは交響楽である 1.基調
      THE BODY AS COSMOS
          身体という宇宙②
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        からだは交響楽である。
人間が音楽を発明するきっかけとなったのは、集団労働の際の掛け声や、会話の抑 揚、感情の興奮と共に発する音声、大勢の人が一度に声を発した時の老若男女の音程差など、諸説があって定説はありませんが、宗教的な心の平安と歓喜に源泉 があったことは確かなようです。そして無限の音の世界を展開する交響楽。
しかし、音が音楽であるためには、リズム・旋律・和声など身体の機能バランスと同様に、ある秩序が必要であること は言うまでもありません。
無限と秩序。こうしてみると、身体という宇宙には、あなただけが奏でられるシンフォニーが流れているのかもしれま せん。

 
1.基調The Keynote

c0113928_2356346.jpg見落とされがちなことですが、音が音として聞こえるためには、ある一定の静寂が必要です。そしてその響きが心地よかったり、躍動感を与えてくれるのも、背景に静寂という舞台があるからに他なりません。その意味において、静寂こそ音楽の基調と言えるでしょう。

では、喜怒哀楽を全身で表現する身体の基調とは? それは人間の身体の60%を占める筋肉・骨格系にあるのです。ここでは、その基調はどのようにできているのか、どう機能しているのかをみてみたいと思います。

人間には200個以上の骨がありますが、その中でも重要な役割を担っているのが背骨と骨盤です。背骨は24個の椎 骨が仙骨という土台の上に、まるで一家の大黒柱のように立っており、これが背骨が脊椎といわれる由縁でもあります。そして仙骨を安定させるために、両側で は寛骨という大きな骨が支えているのです。

この脊柱が人間の姿勢や動きを支える骨格ですが、肋骨や骨盤と協働して内臓も支えています。頭蓋骨の下には7個の 頚椎、12個の胸椎、5個の腰椎と、5個の仙椎が癒合した仙骨と、4個から5個の尾骨が集中して脊柱を形成しているのです。まるで、大管弦楽団を擁しているような壮観さです。

そして、この30個以上の骨は強靭で柔軟性のある組織で連結されており、その一つが、椎間板という軟らかい組織 で、1個1個の脊椎の間にあり、クッションの役目を果しています。もう一つは、靭帯というテープ状のすじが、脊椎の前後左右斜めから連結し、さらに小さい 筋肉や大きい筋肉がしっかりと脊柱をガードしています。

また、背骨は1本の柱として、人間の身体を支える重要な器官ですが、同時に、筋肉の作用が働いて、細やかでダイナ ミックな動きを演出する運動器官でもあるのです。特に頚椎は重い頭蓋を支えながら、全方向に対応して動きます。硬い骨でできている背骨に運動性があるの は、背骨の一つ一つの椎骨の間にある、柔らかくて強靭な組織である椎間板の作用によりますが、逆に言えば背骨はゆがみやすい造りでもあるのです。まさに、 椎間板は弾力性に富んだ「柔」と、重い身体を支える「強」と相反する二面性をもった組織で、音楽記号でいえば、瞬間的な強奏ののち、ただちに弱奏を要求す るフォルテピアノのようなものと言えるでしょう。

カイロプラクティックでは、特にこの背骨の運動機能単位である。関節間(モーター・ユニット)に注目しています。 中でも、骨のずれ、といった単なる構造的な関節障害のみならず、モーター・ユニットの機能的、あるいは動的な変調を重視しています。こうした関節間ユニッ トの変調は、その周辺を構成する筋肉、靭帯、循環系や神経系にも影響を及ぼすことになります。この概念は、臨床上でも重要な考え方になっており、既存医療 に対するカイロプラクティックの斬新な主張でもあります。

関節間ユニットの動的な変調は、日常ごく一般的に起こり得るのです。人間にとって、椎骨の一番最初のトラブルは、 出生の時であると言われています。赤ん坊は生まれる時に、首が捻じられ、鉗子で引っ張られ、大変困難な作業の中から産声を上げるわけですが、これが新生児 の脊椎不整列の原因となっています。

背中を不意に押されたり、何かにつまずいてバランスを崩したり、階段から落ちた、滑って転んだ、交通事故、スポー ツでのたいしたことがないと思われているケガ、悪い姿勢、重い荷物を抱えての旅行等々。何とも思わないで通り過ぎて行った、身体へのマイナスな刺激は、次 第に人間の身体を歪め、関節間ユニットに動的な変調をもたらし、それに関連して神経系、循環系、運動系のトラブルをつくり出していきます。

このように、背骨は、まさに人間の身体をコントロールする支柱であり、健康の基調をなすものなのです。そしてま た、身体の諸器官をオーケストラの諸楽器とみなせば、背骨はその指揮者であるとも言えるでしょう。
(転載を禁じます)


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by m_chiro | 2010-04-12 23:58 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)



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