人気ブログランキング | 話題のタグを見る
「筋活動の遅延」から脳の警告系をみる
わたくし達が生きていく上で重要なこと、それは第一に食べることです。食を取らなければ、生きて行けません。そのためには、食べ物を得るための行動が必要になります。これは人間だけに限らず、すべての生き物に共通したことです。

今では、スーパーにでも行けば何でも手に入ります。でも大昔は獲物を捕りに、男たちは狩に出かけました。狩猟採集時代のことです。そして獲物を求めて移動していましたから、定住の地もありませんでした。行動することは、すなわち生きるということでした。

この時代、狩猟は命がけの仕事だったに違いありません。多くの危険が待ちかまえていたことでしょう。それでも生きるために、食を求めて行動します。また、快適に暮らせる土地や季節を求めて移動しなければなりません。生き延びるためには、時には危険な戦いに身を投じながらも、自然と共に生きたわけです。

生きるという行為、生きるための行動に欠かすことができないものって何だろうと考えていくと、情報の収集とその判断がとても大切であることに気づきます。物事を判断する能力は、行動力にも大きく影響します。そのためには、脳は危機を回避する「警告」を出して、生き延びるための確かな情報信号を発動させているのでしょう。

たとえば、こんな光景を想像してみてください。野鳥が森に巣を作り、やがて卵を産みヒナがかえります。ヒナは生き延びるために食べ物を捕らなければなりませんが、ヒナにはまだ餌捕り行動ができません。餌は親鳥が運んできます。その間、ヒナは餌を求めてピーピー鳴いて親鳥を待ち続けます。

そんなヒナを狙う生き物がいます。そんなとき、ヒナは本能的に危険をキャッチします。ヒナは生まれたばかりで自分を狙うもの達の存在を知る由もなく、経験もありません。でも、「なんか危ない!」という先読みするプログラムが、警告信号として脳が発信するのでしょう。ヒナはピタリと鳴き止み、体を 動かさずに小さくなり、生き物がいるということを気づかれないようにします。これも行動抑制の表現と言えます。

さて、狩猟採集時代が去り、ヒトも定住する時代を迎えます。農耕牧畜に、生活の糧を求めたのです。農耕牧畜の時代は、人間の生活や文化を大きく変えることになりました。食物を栽培し、牧畜をはじめます。この時代の農耕民と牧畜民の対立は、西部劇のメーンテーマにもなっていますが、形を変えた生存競争です。

やがて集落ができ、都市が生まれます。集団生活に秩序をもたらすために、法律や慣習、制度が整備されていきます。こうした都市化の向かう先は、徹底した自然の排除に他なりません。自然なものは草でさえ邪魔ものです。徹底的に道路はアスファルトで固められました。人間の意識が作り出した都市に、ヒトという自然物が生きて行くことになるのです。食の確保に向けた意識は、便利さを追求する意識に変わりました。

食の確保に危険が伴わなくなっても、生存競争は形変えてヒトを悩まし続けています。でも、それはヒトが作り出したものに他なりません。こうして、ヒトの身体的・精神的危機は、より複合しながら伝播しています。そして脳は、常に警告を出し続けることになります。

こうして脳から警告信号が発せられると、生き物は行動を抑制し、危機が去るのを待つか、あるいは体調が戻るのをじっと待つのです。人間も、思い当たる原因もないのに腰痛で動きがままならなくなったり、気持ちを前向きにして暮らす元気がなくなったりすることがあります。これなども行動抑制の表現ですが、人間は意識を優先させて対応して生きています。つまり本能的な古い脳が発信する警告信号を、上位脳が無視して意識下に封じ込めてしまうのです。「こうしていられない。あれもしきゃ。これもしなきゃ」と。

警告信号の発信が固定されると、身体の恒常性を保つ神経システムが揺らぎます。それが筋活動の遅延となって現れるのでしょう。行動の抑制が起こり始めます。こうして、わたくし達の意識〈新皮質〉と身体の自律機能(古い脳)は調和を欠き心身の問題として現れるのではないかと推論しています。
by m_chiro | 2008-02-05 23:25 | BASE論考
<< 神経根症のゴールド・スタンダー... 頭が痛い、目の奥が痛い女性 >>



守屋カイロプラクティック・オフィスのブログです

by m_chiro
外部リンク
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル