「見る」と「観察」すること
88歳のお婆さん素人カメラマンの写真が、世界中で話題になっている、というニュースをTVで見た。
カメラ好きだったご主人を亡くして、形見のカメラで写真を撮り始めたのがきっかけだったそうだ。 その時すでに71歳だった。 それからカメラに嵌り込んで自宅にスタジオをつくり、照明などいろいろ工夫を凝らして、自分をモデルにした合成写真なども撮っている。 カメラマンと言うよりは、農家の背中が丸くなって腰が折れたお婆さんという感じだ。 そんな我が身をモデルにした面白い写真がいくつも紹介されていた。 ネットを通じて写真がシェアされ、世界中から評判らしい。 お婆さんカメラマンは「興味を持ったら好奇心がトコトン旺盛になるのだ」、と語っていた。 我が身に置き換えて考えてみると、日々が当たり前のように流れて、好奇心など年々薄れていくことばかりだ、と気がついた。 若い頃、シャーロック・ホームズをよく読んだ。 思えば、これが臨床推論に大いに役立った。 例えば、「見る」と「観察する」こと。 難事件を解決してきた名探偵ホームズに、いつも付き添っているのがワトソンである。 ところがワトソンは、どうしてもホームズの推理眼について行くことさえできない。 「なぜだろう?」と思っているワトソンに、ホームズは「見る」ことと「観察する」ことの違いを教えるくだりが随所にある。 例えば「ボヘミア国王の醜聞」では、ホームズ探偵事務所に入るまでの階段を引き合いに出して、ホームズとワトソンの会話が続く。 ホームズの推理を聞くとあきれるほど簡単なことなので、ワトソン自身にも出来そうな気がするのだが、ホームズの引き出す結論の説明を受けるまで分からないのだ。 ワトソンには、それが情けないのである。 「僕の目だって、君と同じくらい、いいはずなんだがね」とワトソンは言う。 するとホームズは、「君の場合は見るだけで、観察しないんだ。見るのと観察するのとでは、まるっきり違う」と応える。 たとえば、玄関からこの部屋にあがる階段を君は何百回となく見ているだろう。 が、「何段ある?」と問いかける。 ワトソンは「階段の数は知らないなぁ~」と応える。 「ほら、君は見ていることは見ているんだが、観察していないんだ」。 そんな話などから、臨床でも「観察する」ことを心がけようと思ったものだった。 と言っても、鍵は「注意力」と「意識力」なんだろう。 我々は日々、さまざまな情報にさらされている。 日々、素通りするだけの情報が、どれほど多いことか。 それは「見る」という感覚情報だけに限らない。 そうなると多くの入力情報の中から、どれだけ注意して意識するかなのだろう。 ただ、日常的にそうしていないだけである。 きっと好奇心すらないのかもしれない。 観察には、1に好奇心、2に注意力、3に意識力、が必要なのだ。 「老いる」ということは、好奇心も奪いかねない。 老いの身にも「好奇心」。 観察する心を養わねば……。
by m_chiro
| 2016-06-14 16:07
| 雑記
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