「結果オーライ」か、合目的な所作によるものか
7月5~6日は京都に出向き、○○先生のセミナーに学んだ。
今回は基本的なことを含めて、盛り沢山の気づきを得たように思う。
こうした基本的な所作を教わることは、練習でも大事なプロセスである。
が、「結果オーライ」で良し、としているだけでは成長できないのだろう。
そんな思いを強くした。

例えば、教わった方法を練習するにしても、どうしても初めは所作の形にばかりに意識が向いてしまう。
それでも、厄介なことに変化を感じる。
こうした変化や結果は、必ずしも合目的性に合ったものとは限らない。
プラセボも含めて他から影響が介在することがあり得るからである。

私も練習中に○○先生のご指導を受けた。
私が行った練習での身体反応と、○○先生が行ったそれとは全く別物なのだと気づいた。
いろいろ教えられたことを総括すると、行った所作が目的に添っているかどうか、そこに練習での大事なポイントがあるように思えた。

生命も弁証法的に進化する。
合目的性があるかどうかは一つのカギなのだろう。
生体への刺激を行う治療も、合目的性への意識が欠けていたら「結果オーライ」で終えてしまう。
練習とは、その気づきが基本的に大切なのだと、あらためて思い知らされたのである。

在宅での鍛錬として行っていた「身体枠を創る」ことも、「如意棒」(勝手に私が名付けているのだが…)トレも、ただ漫然と行っていただけだったのかもしれない。
「身体の保ち方」、「意識の在り様」、「所作の合目的性」、これを三位一体として鍛錬を積み直したいと思う。
それがないと、階段を昇るように成長できないのだと覚悟した。

治療家人生も終わりが近づいてきて、これまでとは全く違った学びがはじまった。
この先どこまで身につくのか分からないが、私の先の猶予もたかが知れている。
理論的な根拠は自分なりに整合させてみたし、後はただ学びを得たことに感謝しながら、感覚の鍛錬を積んでいきたいと思う。

セミナーから帰って、とても心身の動揺がない静寂な自分に気がついた。
頭の中の質感もない(もともと中身は稀薄ではあるのだが….)。
緊張状態を感じていないのだろう。
これまで五感をめぐらして、知識や経験と照合しながら分析的に治療にあたってきたが、やたらに心身は緊張状態の中にあったのだろう。
そこへ、もうひとつ「直観」を意識するようになったら、そうした緊張状態も薄れていったのかもしれない。
なぜかは分からない。
分からないことがあると、それを追及しないでおれなくなるのだが、でも、わからないことがあっても当たり前なのだ。
だから.....、のんびり行こう…..。
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by m_chiro | 2015-07-10 14:06 | 守屋カイロ・オフィス | Trackback | Comments(0)
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