「解体新書」再び
私が「解体新書」の初版本らしきものを初めて見たのは、秋田県角館の武家屋敷の桜並木を見に行った2010年5月のことだった。

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そのときのことをブログの記事にした(「桜を求めて角館へ」 ③角館・青柳家と「解体新書」

あれから3年が過ぎて、先日みえた患者さんが新聞の切り抜き記事を持ってきてくれた。
その患者さんは秋田県からみえた方で、記事は読売新聞の秋田版9月5日のものである。

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日本で最初の西洋医学の翻訳書である杉田玄白の「解体新書」、その挿絵を担当した小田野直武の話だった。
「解体新書」は「ターヘルアナトミア」の翻訳本とされているが、10冊ほどの西洋の解剖書が参考にされて完成した日本では最初の解剖書だとされている。

私がブログで書いた記事のことを覚えていて、有難いことに気に留めてくれていたのだろう。

小野田直武(1749~1780)という人は秋田藩・佐竹北家角館の武士である。
平賀源内に師事した画家でもある。
その源内の紹介で「解体新書」の図版の原画を描くことになった。

小野田直武は「解体新書」の開版(1774)まで半年という短期間に、挿絵を描きあげたのである。
藩命を受けて、それが江戸での最初の仕事だった。日本学術史上に残る仕事だ。

養老猛司先生は、「解体新書」の出版を日本の解剖学の近代化と位置づけている。
そして直武の挿絵も、翻訳作業のひとつとして評価していた。

この「解体新書」の初版本は、角館・武家屋敷「石黒家」12代当主の所蔵だという。
とすれば、ブログ記事で紹介した青柳家の庭園内にある「ハイカラ館」で展示されていた「解体新書」は、はたして初版本だったのだろうか。

小野田直武にはミステリアスな逸話が多くある。
最大のミステリーは直武の死をめぐる経緯だ。
直武は「解体新書」の挿絵で大出世するのだが、その4年後に佐竹藩は直武に無期限の自宅謹慎処分を言い渡す。

一方、直武を画家として紹介した平賀源内が獄死し、直武も謹慎処分の身で謎の死を遂げる。
34歳だった。
あまりにも若い死であったが、その死を巡っては他殺説など、さまざまに憶測されている。
記録も少ない。
功労者が、なぜ謹慎処分にされたのか、その短い生涯が一層ミステリアスにしているのかもしれない。
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by m_chiro | 2013-09-09 15:08 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
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