人気ブログランキング | 話題のタグを見る
「カイロプラクティック・コンセプト」ひとり語り(3)
「カイロプラクティック・コンセプト」ひとり語り(3)続き
3.D.D.パーマーの素性②


ガルの「骨相学」は怪しい理論ではあったが、19世紀ヨーロッパの科学界まで巻き込んで普及していく。
この理論が出てきた背景には、当時、人種や性別や民族性による優位性と序列の説明に比較解剖学を利用しようとした風潮があったようだ。
こうした民族や人種の優位性を社会的・政治的に牽引する背景は、医科学の領域にまで及んでいた時代だったのだろう。
それがどのようにしてアメリカに普及し、そしてD.D.は「骨相学」に何を学ぼうとしたのだろうか。

骨相学は比較解剖学を踏襲した理論として普及したわけではなかった。
観相学や心理学の要素を取り入れてアレンジされたのである。
次第に似非科学の意味合いが一層色濃くなって、その観相・心理的な流行がより顕著になるのはアメリカにおいてである。

その切っ掛けとなったのが、骨相学の創始者であるガルの弟子・シュプルツハイム(1776-1832)による全米講演ツアー(1832)である。D.D.が生まれる十数年前のことであった。
シュプルツハイムはアメリカ講演行脚の途中にボストンで亡くなったが、彼の死に影響されることなく骨相学は普及していく。
ボストン医学会なども骨相学を評価し、称賛したと伝えられている*)。

そのアメリカで、骨相学をより大衆的に普及させたのがファウラー兄弟だった。
彼らはニューヨークで骨相学を広めるためのビジネス会社を立ち上げ、機関誌の発行やブック商法などを媒体として大衆向けに事業として展開していく。
頭蓋の特徴的な観相をパターン化し、「心身の健康法」を広めていったのである。

こうして骨相学は科学的思考から頭蓋の観相とパターン化に応じた能力や心理、思考、知性、性格診断、職能適正などを結び付けて、占い的商法の理論になったのではないかと思われる。
本の売れ行きも「骨相学」の人気を裏付けるものであった。
骨相学が似非科学とされて、表舞台から消えた今でも信奉者はいるらしい。
1934年のシカゴ万博では、骨相学の計測機械が20万ドルもの値がついたというから、隠れた信奉者の存在は確かなのだろう。

脳の局在的機能という視点からみれば、骨相学は正しく発展させる意義を持ってはいたのだろう。
しかし当時は脳研究の基盤も不備であり、ヨーロッパの骨相学者は「脳器官の構造」、「精神機能」、「頭蓋の形状」を恣意的に結び付けてしまった感がある。
それとは対称的に、形態と体質や気質の研究を行ったエルンスト・クレッチメル(1888-1964)は、精神疾患などの関連性について医科学に功績を残している。

さて、D.D,が骨相学に何を求めたかは分からない。
D.D.が残した文献には、骨相学からの影響を窺わせる内容も見当たらない。
ただ、人骨標本のコレクションには尋常ではないマニアックぶりであった。

私がパーマー・カイロ大学を取材したときに(1990)、大学付属図書館に陳列されていた、
そのコレクションを見せてもらった。
以下の写真は、その時に撮影したもの。これらコレクションはアメリカ医師会(AMA)調査団によって「まぎれもなく、現在最高の人骨コレクションである」と評価されている。
「カイロプラクティック・コンセプト」ひとり語り(3)_c0113928_1555082.jpg

「カイロプラクティック・コンセプト」ひとり語り(3)_c0113928_15552369.jpg
「カイロプラクティック・コンセプト」ひとり語り(3)_c0113928_15553858.jpg

D.D.は、E.クレッチメルのように、骨形態と精神気質や病気との法則性を真摯に求めていたのかもしれない。

D.D.は医学の学歴を持っていなかった。すべては独学であり、その勉強の深さや幅を窺わせる蔵書もパーマー大学付属図書館に収められている。
その独学の人がカイロプラクティックを創世し、今では多くの国で医療に組み込まれるまでになったのである。

もうひとつ、D.D.の素性を語る上で避けて通れないこと、それは「マニピュレーション」を学んだことである。このことは項を改めて紹介したい。


*)骨相学とアメリカ社会での影響については、小川正浩氏らの調査に概略紹介されている。
by m_chiro | 2013-07-12 16:01 | カイロプラクティック
<< 腰痛の心理社会的な背景を探る「... 「カイロプラクティック・コンセ... >>



守屋カイロプラクティック・オフィスのブログです

by m_chiro
外部リンク
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル