「雷鳥や 下界は 人の住む処」 十雨
家内の祖父は「五風庵十雨」と号し、俳諧宗匠として伝系では芭蕉の9代目を継いだ人のようだ。愛媛県松山市の子規堂にその資料も保存されている。
その祖父が1942年に四国88カ所巡拝に出た。66番札所・雲返寺にて作句をした。 雲辺寺は霊場中で最も高地(927m)にあり、当時は難所中の難所だったに違いない。鎌倉時代には関所の役割も兼ねていたそうだ。 1956年に、その祖父が暮らしていた自宅前の五色浜公園に句碑を建てた。 家内は、その時の祖父の面映ゆそうな、それでいてとても嬉しそうな表情を今でも憶えているらしい。 それから55年の歳月が流れた。 昨年のある日のことである。 娘から電話があった。あるお寺の娘さんと友達になった、という話になった。 よくよく聞いていると、どうも祖父の菩提寺のようだ。 その菩提寺の当時の住職と祖父は、お互いに敬意を持った付き合いをしていた、と家内は聞いていたらしい。 偶然とはいえ妙な巡りあわせだと思いつつ、家内は娘に曽祖父の残した句碑のことなど、諸々話して聞かせていた。 しばらく経って、また娘から電話があった。 曽祖父の句碑を尋ねて、句碑の建つ五色浜に来ていると言う。 が、「句碑は見当たらないヨ!」。 家内が、電話で現地とのやり取りをしながら、記憶をたどりながら句碑の建つ方へ誘った。 すると、長い歳月が過ぎて風化し、土台の石組が崩れて倒れてしまっていたのだった。 公園の管理をしている市の方では遺族を探している最中だったようで、市からは大変喜ばれるという顛末になったのである。 なんでも、遺族が分からなければ市役所で再建しなければならない、と見積りをお願いしたところだったらしい。 そう考えると、娘と菩提寺の娘さんとの出会いは偶然ではなく、娘とそのお友達にとっては、お互いの曽祖父同士の引き寄せだと腑に落ちさせるしかなかった。 結局、家内と兄が遺族として句碑の再建をすることになった。 土台の石は取り替え、また半世紀以上は持ちこたえるようにと頑丈に立て直した。 家内はこの夏に帰省し、修復後の句碑と対面してきたのである。 「雷鳥や 下界は 人の住む処」 十雨 家内の脳裏には、何かにつけ頭をよぎる句だったようである。 新たになった句碑を前にして、祖父のおっとりした口調が聞こえてきたように感じたらしい。 「人間の世界なんて、小さい、小さい、俯瞰せよ!」 門前の小僧らしく、家内も句や歌を詠んできたようだ。 半世紀 暦廻りきたる碑に けふふたたびの 命吹きたり 風雪に 耐えし碑 朽ち果てん 縁者の吾ら 護り継ぐなり 天高し 十雨の墨跡 甦る 郁子
by m_chiro
| 2012-09-13 17:11
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