人気ブログランキング | 話題のタグを見る
どこかで見たような、聞いたような....
「新正体法入門」感想
http://sansetu.exblog.jp/tb/17885924
http://sansetu.exblog.jp/tb/1788660
http://sansetu.exblog.jp/tb/17916130


いつもブログで学ばせていただいているsansetu先生が、「新正体法入門」の本の感想を寄せておられた。それを読みながら、「どこかで見たような...、聞いたような....」と思いながら、ノドに棘が引っかかったみたいに気になってしかたがなかった。

数日経ってもなぜか気がかりで、この本を取り寄せることにした。
先日、本が届いてパラパラと開いてみて驚いた。
「新正体法」の創始者のことが書かれていて、写真が掲載されていたのである。

「あっ、宮本さんだ!!」

実は私が30歳前の時で、治療界の新参の時代の一時期を宮本さんと共に学んだことがある。
その当時、彼はすでに自分の研修グループを持ち指導的立場にあった。

共に学んだ研修会とは「有終会」と称し、私の義父である山田博士(やまだひろし)が主宰していたものだ。そこには200名ほどの研修生がいて、毎月40~50人ほどが入れ替わり参加していたのである。宮本さんはいつも数人を連れて参加していて、新参の私は研修会の案内やら会場の準備やらを手伝っていたのであるが、年齢が近いこともあり親しくさせていただいた。

その「有終会」の忘年会が高尾山で行われたことがあった。
藁葺屋根の佇まいが数棟と水車小屋の里が作られていて、そこは焼き鳥料理がメーンであったと思う。私と宮本さんは偶然にも同じテーブルの隣り合わせに座ることになり、大いに語り痛飲し、酔うほどに肩を抱き合って笑い合い、あんなに愉快な時を過ごした記憶がないほどに楽しかった思い出として残っている。
その時以来、またよくしていただいた。小金井の治療室にも招かれたことがあるが、新参の私には治療の中身を理解するまでには至らなかった。

それから間もなくして、私は実家の事情で帰郷せざるを得ない状況になり、義父も引退して郷里に引っ込んだ。
そんなわけで宮本さんとの交流も途絶えていたが、あるとき突然私の治療室に顔を出したのである。

何でもボランティア運動の途中に、近くを通ったので立ち寄ったとのことだった。立ち話で挨拶をして、彼はすぐに慌ただしく去って行かれただけだったが、それから間もない昭和56年に、今度は「新正体法」という本が送られてきた。

「御無沙汰いたしております。私此の度、今迄の研究の一部を自費出版致しました。御一読いただければ幸いです。御元気で」と添え書きが寄せられていたのである。
宮本さん、35歳の時の著書である。

どこかで見たような、聞いたような...._c0113928_16513822.jpg


この出版から3年後に「図解 続・新正体法」が届いた。精力的な活動であったが、彼がこの著作で願ったことを、私はこの時点でもよく理解できないでいたのである。
何しろカイロプラクテイックに夢中になっていた時であった。

そして平成3年4月に、宮本さんの訃報が届いた。クモ膜下出血だったそうだ。44歳という余りにも若すぎる死であった。
数々の治療法に学びながら、宮本さんの本質を見抜く彼の眼力には敬服させられるものがあった。患者さんのためにと、一生懸命で誠実な彼の努力は、短い期間の交流の中にも十分に窺えた。この時の無念な思いを、今でも鮮明に覚えている。
この同じ年の11月に、私は「リ・ボーン-等身大のカイロプラクティック-」というムック版の本を著したが、この本を宮本さんに見てもらうことは出来ないでしまったのである。

宮本さんの2冊の本は、やがて本棚の片隅に置かれたまま、あまり顧みられることもなく過ぎて、先日来のsansetu先生の感想記事を読むまでは、宮本さんの目指した意図を知らぬままに終ったかもしれない。

本棚から再び引き出して読み始めて、改めて彼の意図したとても大切なことの一端に気づかされたのである。更に、学びを深めることにしたいと思う。

併せて、Sansetu先生の記事に深く感謝したい。
by m_chiro | 2012-03-13 16:56 | Books
<< 身体平衡機能系を統合する技法①... 心に留めておくために >>



守屋カイロプラクティック・オフィスのブログです

by m_chiro
外部リンク
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル