痛みは脳の中にある①
1.同じ痛みを共有することは誰にもできない
①フリーダ・カロの痛み


人の一生の間には、運命的な出来事が少なからずあるようだ。メキシコの女流画家フリーダ・カーロ(1907-1954)も、そんな出来事に翻弄されたひとりだった。彼女は決して世界的画壇におけるメジャーな画家として生涯を終えたわけではない。脚光を浴びたのは死後20年近く経ってからで、1970年代に登場したドイツのフェミニストたちが世界に紹介したのである。以後、根強いフアン層に支持され、今ではカリスマ的人気の画家になっている。彼女の半生は、サルマ・ハエアック主演で2002年に映画化されている。この作品はアカデミー賞の主演女優賞をはじめ、多くの部門にノミネートされた。

フリーダ・カロは6歳のときに小児麻痺に罹患している。そのために9ヶ月もの間、ベッドに寝たきりになった。その後は右足が萎縮し、「棒足フリーダ」とからかわれる羽目になったが、それでもめげずに気丈に生きた。リハビリを兼ねたスポーツも、男の子顔負けの運動量で頑張り通している。その甲斐あって足も曲がるようになったが、右足は痩せたままだった。

医者をめざして勉学に励んでいた青春時代の直中に、悲劇が再びフリーダを襲う。学校帰りに乗っていたバスが路面電車と衝突したのである。彼女は瀕死の重傷を負った(1925年9月17日)。フリーダ18歳の時のことだった。その時の状況が日記に記されている。

「バスはソチミルコ発の路面電車に衝突した。路面電車は、道のかどでバスを押しつぶした。奇妙な衝撃だった。激しくはなく、鈍くて緩慢で、みなに傷を負わせた。(略)衝撃で私は前のほうに投げ出され、剣が雄牛を刺すように、手すりが私を貫いた。ある男性が、私がひどく出血していることに気づいて、私をかかえあげてビリヤード台に寝かせてくれた。私はそこで、赤十字が到着するのを待った。私は処女を失った(注:バスの手すりが腹部と膣を貫通していたことをさす)。腰が砕け、排尿ができなくなった。一番ひどかったのは、脊柱だった」

この事故で、フリーダの背骨は3ヶ所折れ、鎖骨と第3・第4肋骨も折れ、左肩が脱臼し、骨盤が3ヶ所折れ腹部と膣に穴があき、右足は11ヶ所骨折し右足首も脱臼していたのだ。壮絶な負傷である。手術を受けたものの、医師からは助からないかもしれないとされた命だった。それでもフリーダは襲い来る痛みに耐え続けた。きっと並外れた生命力もあったのだろう。彼女は奇跡的に一命をとりとめたのである。

この事故による負傷の状態を長々と引用したのは、フリーダの痛みを感じて欲しかったからである。さて、どこまで彼女の痛みを感じ取ることができたことだろう。

一命をとりとめたものの、入院生活を余儀なくされたフリーダは退屈しのぎに絵を描き始める。独学で描きはじめた絵だったが、後に結婚することになるメキシコの画壇の巨匠・ディエゴ・リベラにその才能を認められて、フリーダの画家としての人生が開花することになる。身体の痛みや不調と戦いながらも、彼女は自分の人生を奔放に生きた。そして47歳で亡くなるまでに、多くの絵を残している。

「書は見るもの、絵は読むもの」らしい。でも、見ているだけで爽やかない気分にさせられる絵もある。横尾忠則氏に言わせると、こうした絵は「美術」で、読み解く絵は「芸術」なのだそうだ。フリーダ・カロの絵は、彼女の精神的内面を読ませる芸術作品ということになるのだろうか。

フリーダの作品には自画像が多くある。病床にあっても、鏡に映った自分の姿を描くことができたからだろう。その中に「折れた背骨」と題する一枚の絵がある。奇妙な絵だが、彼女の人生と重ねるとフリーダのさまざまな苦悩が表現されているようである。「折れた背骨」は、フリーダ・カロの自画像なのである。この絵は痛みの研究者たちによっても、よく引用される。痛みの側面が実によく表現しているからだろう。

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その絵を見ると、顔は平然としていながら目には涙が浮かんでいる。身体のあちこちには釘が打ち込まれ、背骨は折れて継ぎ接ぎである。しかも、革製の装具で固定されている。随分と痛々しい。そう思える絵だが、描かれた顔の表情には微塵もそんな苦痛は窺えない。

でも、どこかしら寂然とした表情である。フリーダ・カロの生前の写真を見ても、痛みに苦しめられた様子など微塵も感じられない。しかし、実際は痛みとの闘いの生涯でもあった。

死ぬまでの間、整形用の胸部までのコルセットと鎮痛薬を手放すことができなかったようだ。むき出しにされた折れた背骨、背景の荒涼とした土地、何度も繰り返された手術、死の前年には右足の切断手術を余儀なくされての義足での生活、などなど。

こうしてフリーダの痛み思わせる出来事を書き連ねることはできる。ても、フリーダが感じて過ごした痛みを、同じ痛みとして共有することは誰にもできないのだ。

痛みが「不快な個人的体験」とされる意味が、「折れた背骨」の自画像から窺うことができる。

人の思いは、書くことも聴くこともできる。だから聴覚や視覚は共有できる。
ところが、この痛々しさを同じ対象として共有することは誰にもできない。
「折れた背骨」の絵は、痛みとはそういうものだ、語っているようである。
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by m_chiro | 2011-09-01 00:34 | 痛み考 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2011-09-04 18:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by m_chiro at 2011-09-05 16:58
鍵コメ様、私には音楽の善し悪しは分かりませんが、この旋律、深く心に沁みました。
ジーンときました。(´;ω;`)
私はこの曲を聴きながら「フリーダの涙」を感じました。
多くの人に聞いてもらいたい。そう思いました。
本文で紹介したい!
どうでしょうか?
Commented at 2011-09-05 21:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by m_chiro at 2011-09-06 08:56
有難うございます。
うれしいなぁ~!
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