ミネアポリスからの招待状 ① カイロ大学のアカデミズムを訪ねて
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1991年に刊行した「re-bone ―等身大のカイロプラクティック―」より、順次ここに掲載したいと思います。「re-bone」を書いたのは、もう20年も前のことでした。10年は色あせない本にしようと意気込みましたが、早20年です。色あせた部分は差し引いてお読みください。

(転載を禁じます)

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ミネアポリスからの招待状

(注:この記事は1991年5月に取材したものです。文中の安藤理事とは、今は故人となられた盟友・安藤喜夫DCです。素晴らしい友人でした。)
カイロプラクティック・ルポの旅
ミネアポリスのノースウエスタン・カイロプラクティック大学から招待状が届いた。同大学の50周年記念祭への招待である。JCAからは村松理事長、安藤理事、そして本誌の取材を兼ねて私とカメラマンの4人のチーム編成による派遣となった。そこでこれを機に代表的なカイロ大学の取材を通しながら、米国のカイロプラクティックがプライマリー・ケアとしての地歩を築いた苦難の歴史と現状をレポートしたい。


①カイロ大学のアカデミズムを訪ねて

5月1日、私たちはシカゴに向けて機上の人となった。めざすはナショナル・カイロプラクティック大学。米国のカイロプラクティック大学の中でも、最もアカデミックな大学という評価を得ており、JCA30年の歴史にも、大きな足跡を刻んでいる大学である。

飛行機の離発着数世界一を誇るオヘア国際空港に降り立ち、荷物が出てくるのを待っていると、建築家の黒川紀章さんと若尾文子さんご夫妻も、同じ便の乗客だったらしく、大勢の出迎えを受けていた。そういえば、シカゴは高層建築のギャラリーともいえる街である。1871年のシカゴ大火の後、多くの建築家が、それぞれに個性豊かなデザインの建築で、シカゴを再興させた。シカゴは、歴史的な摩天楼発祥の地でもあるのだ。

私たちはレンタカーをチャーターしてナショナル大学へと向かう。高速道路からルーズベルト通りに入ると、典型的なアメリカ郊外の風景が、何ともアメリカっぽく広がっている。

そんな光景に中に、ナショナル大学の20エーカー(81万㎡)を越す、広大なキャンパスがあった。大学校舎の正面玄関を入った大理石張りのホールには、カイロプラクティックのシンボルマークが描かれており、周囲をモールで囲っている。
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古来、翼のある杖に2匹のヘビがからみ合っているヘルメスの杖は、医学のシンボルとされてきた。そして、ヘビは、古代ギリシャの医師の守護神アスクレピオスの使いとされたのである。このヘルメス杖と同様、カイロプラクティックのシンボルにも、ヘビのデザインが使われている。翼のある両手を広げた人体に、ヘビをデザインしたものが巻きついており、そこには「CHIROPRACTIC」と刻まれている。カイロプラクターは、このシンボルの前に、実に厳粛な気持ちを呼び起こされるのである。

私たちは、まず大学の付属病院(Patient Research Center)を視察することにした。この病院がしたのは、ちょうど10年前の1981年のことである。50名の入院患者を収容できる地上2階、地下1階の、この近代的な臨床センターは、他大学には見られない施設であり、患者診療と研究に大きな貢献をしている。
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中にはMRIやレントゲン検査設備をはじめ、血液検査などの臨床検査設備が完備していて、まるで近代的な総合病院の設備を思わせる。臨床検査室には、ナショナル大学付属クリニックで行われる、全ての検査が集められるのだという。研究部門では、コンピューターに直結した、関節と筋肉のトレーニング・マシーンで、筋肉・骨格系のメカニズムと臨床の相関を研究していた。

ナショナル大学の、こうした努力が認められて、アメリカの高等教育認定協会から、カイロプラクティック大学では初めての、アカデミックな大学としての公認を受けることになったのである。同様に、ナショナル大学が発行する2冊の研究誌が、科学情報インデックシング協会から、カイロ界唯一の科学情報誌として認められている。JCAの発行する「日本カイロプラクティック学会雑誌」が、日本でも同様の扱いを受けるに至った経緯も、ナショナル大学の研究に寄せる姿勢に学んだ結果の産物と言えるだろう。

ナショナル大学の前身は、1906年にカイロプラクティック発祥の地ダベンポートに、Dr.ハワードらによって設立されたナショナル・スクールである。この大学の特色の一つは、他校に先がけて始めた、物理療法のコースを持っていることであった。その伝統は、今なお受け継がれており、運動障害のある患者への物理療法を応用した設備は、群を抜いているだろう。

一切の政府援助もなしに、私立の大学が、これだけの学府と病院、研究施設を築き上げた背景に見えたものは、カイロプラクティックに賭けてこられた多くのカイロプラクターの信念と情熱であった。しかし、彼らが決して現状に満足しているわけではないことを、インタビューに応じたウインタースタイン学長の言葉の端々にうかがうことができた。カイロプラクティック教育のレベルアップは、今でも米国のカイロ界共通のコンセンサスなのである。

ナショナル大学が、今日のアカデミズムを獲得するに至った歴史の中には、忘れてならない事件と、貢献した人物の存在があった。それはナショナル大学がシカゴからランバートへ移転した1965年に端を発している。当時のジェンシー学長が、証人として出廷した地方裁判所の「England事件」の裁判で、カイロ大学が全く公認されていない、という資料をつきつけられたことであった。ジェンシー学長は、この時の苦い思い出をバネにした。そして、ナショナル大学を世界で最もアカデミックな大学にすることを誓ったのである。

公約通り、5年制のプログラムを実施したナショナル大学は、1966年にイリノイ州の認可のもとでD.C.(ドクター・オブ・カイロプラクティック)とB.S.(学士号)の称号を発行することになり、1975年にはCCE(カイロプラクティック教育委員会)の公認をうけたのである。「England事件裁判」から、アカデミックな大学という公認を得るまでの15年間は、カイロプラクティック教育が急進展した時代であった。今こうしてナショナル大学の中に立つと、その原動力となったジェンシー学長の存在が大きく、重く、感じられてくるのである。
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by m_chiro | 2010-03-19 22:14 | カイロプラクティック | Trackback | Comments(0)
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