カイロ創世④ 最初のカイロプラクティック・アジャストメン ト
カイロ創世④ 最初のカイロプラクティック・アジャストメン ト
ハ-ヴェイ・リラード(Harvey Lillard)という名前は、一番最初のカイロプラクティックの患者として、 カイロプラクティックを職業としている人たちにドラマチックに刻印されています。 リラードはD・D・パーマーのオフィスのあるビルの管理人でした。彼は17年以上も周囲の音や雑音をほとんど聞き取れないほど耳が悪かったのです。 1910年に初板が刊行されたD・D・パーマーの自叙伝には、この最初のアジャストメントのくだりが書かれています。それによるとパーマーは、リラードが突然、しかも奇妙なかたちで聴こえなくなったことに注目しています。「窮屈な姿勢で身をかがめたときに、何か が背中を走るような感じがして、それっきり何も聞こえなくなった」と。 1895年9月18日のことでした。D・D・パーマーはリラードの脊柱を検査している時に、脊柱の不整列の兆候である「こぶ(隆起)」を発見したのです。これが、パーマーの用語でいう「サブラクセーション」でした。 D・Dはその時のことを、自叙伝に「私は、もしその椎骨がもとの位置に戻れば、聴力が回復するのではないかと考えた。その目的を果たすために30分間話し合って、椎骨をもとの位置に戻すことをリラード氏に承諾させた」と記しています。 パーマーは診察台の上にリラードをうつぶせに寝かせ、脊柱の不整列を正そうと、両手でその椎骨にスラストを加えたのです。これがカイロプラクティックの最初のアジャストメントでした。 D・Dはこう書いています。「私は棘突起をてこを使って、そのズレを戻した。椎骨がもとの位置まで戻ると、耳はすぐに、以前と同じように聞こえるようになった」。 17年以上もの間、不可能であったリラードの聴力はこの最初のアジャストメントによって街の雑踏を聞 くことができたのでした。 「これは偶発的なことではない。はっきりとした目的を持ってなされたことであり、予期された結果がもたらされ た。こおアジャストメントは粗雑なものではなく、スペシフィックな(特殊で限局された)ものである」とD・Dは記しています。 ファースト・アジャストメント 1895年9月18日、ダぺンポートのD・D・パー マーのオフィスで行われた最初のアジャストメントを描いたこの絵は、カイロプラクターの間で広く頒布されている。カイロ治療で救われた四肢の不自由な患者 が、カイロプラクティックへの感謝を込めて、足で描いたと伝えられる伝説の絵である。ハーヴェイ.リラードに聴力の回復をもたらした、この最初のアジャス トメントは、医療の分野へ新しい学派を出現させたのである。
by m_chiro
| 2010-03-16 20:04
| カイロプラクティック
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