トーンと調整
Sansetu先生が『「調整」、この便利でいい加減なる言葉』の記事中で、カイロプラクターの使う「トーン」や「調整」の言葉が曖昧で主観的な表現である、と指摘しておられた。恐らく、私の記事中の書き方を指しているものと思う。確かに、「トーン」」という言葉はカイロプラクターの用語かもしれない。同業の間では阿吽の理解があるだろうが、誰彼に通じるもではない。反省すると同時に、手技の感覚世界をこうした形で表現することの難しさを感じた。
そもそも「トーン」と言う表現は、カイロプラクティックの創始者・D.D.パーマーがその理論の解説に核心的な用語として用いている。 カイロプラクティックの核となる考え方には2つある。 1つは「イネイト・インテリジェンス;先天的知能」として表現される自然治癒の哲学で、もう1つは「サブラクセーション」である。 「サブラクセーション」とは整形外科領域で使われる直訳の「亜脱臼」とは違っている。カイロプラクティックの独自の概念である。その定義によれば以下の意味になる。 「2つの隣接する関節構造が異常な位置関係にあることを示す。直接的または間接的に影響を及ぼす関節構造、その近位にある構造や身体全体の生体力学ないし神経生理学的な反射に変化が生じて、機能的および病理的結果を招くことがある」(ACA、1987)。ここでは隣接関節構造の解剖学的位置関係の異常のみならず、神経生理学的反射による機能的・病理学的異常を招く要因が指摘されている。 今日的表現をするならば、「バイオメカニックス(生体力学)」と「神経学」が織り込まれているのである。 バイオメカニックスはカイロプラクティックの基本的な学問でもある。また、独自の学として構築されている分野でもある。が、ここでは話題から離れるのでひとまず置くとして、「トーン」は神経学の視点を表現している用語である。 ところが残念なことに、「トーン」に関する神経学的視点が、カイロ学における1つの学問として構築されて、コンセンサスが得られているとは言えない。Dr.Carrickという天才的なカイロプラクターが、神経学的な現象と徒手による刺激の果たす役割について一分野を確立しているようである。神経学の教育プログラムが作られ、「カイロプラクティック神経学専門ドクター(DACNB)」という資格制度もできている。だからと言って、それが医学の分野でのコンセンサスを意味するものではない。 それでも、カイロプラクティックの科学を表象する2つの学問(生体力学と神経学)を天秤にかけると、カイロでは圧倒的に生体力学に学際的発展のウエイトが置かれていると言っても過言ではないだろう。 したがって、カイロプラクティックに対する一般的あるいは医療分野の認識は、構造障害に対する治療法とされている。 生体力学は構造主義的視点であり、神経学は機能主義的視点であるが、この機能的視点については発展途上であるとは言えても未だ業界に浸透したものではない。 極論すれば、D.D.パーマーの「トーンの過不足が病気の根源である」という提言から、私の頭の中はさほど進歩しているとは言えないのかもしれない。 更に言えば、「サブラクセーションは結果であり、原因ではない」というD.D.の言葉からも、生体力学と神経学の相関について確立されてきたものは何も出ていないのだろう。 百数十年前に出されたD.D.パーマーの考え方を、後に続く者たちが未だに模索し続けているというのが現状なのではないだろうか。 さて、私が「トーン」と書いているのには、そんなカイロプラクターの思い以外の何者でもない。だから、主観的概念だと言われれば頷くしかない。 機能は神経の活動に依存している。煎じ詰めれば「受容器」の活動である。それが脳に伝えられ、動きとして表現される。 しかし、受容器は単なるセンサーではない。比較する器官である。だから閾値がある。ここに受容器の特性がある。しかも、この閾値は万人に共通のものではない。個々に設定された閾であるのだが、身体のどこでこの閾値を決めているのかは謎である。 この一連の回路の信号系に膜電位の過不足が生じることを「トーン」として表現した。 「トーンが高まっている」というのは膜の電気的興奮性が高まり閾値に近づき興奮しやすい状態で、逆に興奮しにくい状態は「トーンの低下」として表現している。 中には、痛みなどのように発作性に興奮して脱分極を頻発している膜電位もあるだろう。 だが、何も膜電位は神経細胞に限ったことではない。 こうした膜電位におけるトーンの変化している部位を見つけて、その受容器に適切な刺激を送る。その刺激によって神経回路の信号系を安定させること、それがカイロプラクターの治療であると考えている。 そして、こうした神経のトーンに視点を置いた一連の手法を「調整」と言う言葉で書いたまでである。 では、そのトーンとやらをどのように定量化しているのかと問われれば、私には客観的なデータとして提示できるものは何もない。筋活動の始動をチェックしたり、運動学的分析をしたり、神経反射による動態反応をみているだけである。もちろん、圧痛も含まれる。 カイロプラクティックの構造主義的手法から抜け出して、私は「神経のトーン」という機能主義的視点を取り入れたのだが、悲しいかなそれを客観的に表現したり提示する術を持っていない。私はDCでもないし、昨今盛んに輩出されているカイロプラクティック理学士(B.C.Sc)でもない。カイロプラクティックを勉強してきた一治療家に過ぎない。業界から見れば、私のような半ば独学の徒は、こうした場でカイロについて語る資格などないのかもしれない。誤解を招く物言いには気をつけなければと思うが、アホな頭は斟酌している余裕すらないようだ。
by m_chiro
| 2009-03-19 08:58
| 雑記
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