雪かきで一日が始まり、雪かきで一日が終わる。
そんな日が連日続いている。時には、昼休みも雪かきをしないといけない。 力仕事をすることもなくなった身体には、これが結構こたえる。 筋肉もバリバリに張ってきて、そんな時は近場の温泉にでかけて身体を温めるのが何よりの養生になる。 昨日、その温泉で患者さんにバッタリと出会った。 1か月ほど前に、腰から左膝窩までの痛みを訴えて治療にみえた青年である。そんな痛みが2か月も続いているらしく、かばった歩き方をしていた。整形外科で「椎間板症」と診断され、鎮痛薬と電気治療を続けてきた、という患者さんだった。 やあ、やあ、と声をかけあったら、「注意されたことを守って、教えてもらった運動をしていたら、あれからすっかり良くなったんですよ。あんなに痛みが続いていたのに、すごいですね」とホメられた。 確か、2回ほどの治療だった。でも、すごいと言われるほどの治療はしていない。 腰部から左大腿外側の後方にかけて停滞した軸をリリースしただけである。 その時に、この痛みのために何か特別なことをやっていないかと尋ねたら、「毎日、温泉に行っている」と言っていた。 「温泉でジェットバスを当てたりはしていないか」と聞くと、「毎日、ジェットバスで腰を20分はマッサージをしている」と話していた。 「それは止めてください」とアドバイスした。整形外科で電気治療を行い、その上にジェットバスでの刺激を連日繰り返していたことになる。腰部の前弯も減少していて、歩行でも前傾ぎみである。当然、体幹の伸展可動が制限されている。過剰な刺激で腰部の筋も弛んでいるので、体幹軸を鍛えるエクササイズを指導したのである。 この青年はデスクワークで、どちらかというと活動性が不足している。さらに腰部の筋肉へはジェットバスによる集中刺激が行われている。肉体労働での筋のこわばりにはいいかもしれないが、この連日の刺激は不活動の筋肉にとっては過剰になる。止めるように指導すると、「あれは気持ちがいいんですよ~」と不満顔だった。 エクササイズは、可動性が失われている部位に「動き刺激」を与える運動を教えた。そのための動き刺激は与えるほどによい。Ⅰa神経を活動させてやることである。ずいぶんと単純な指導とアドバイスを与えただけなのだ。「椎間板症」なんて関係ない話なのである。 ただし、その運動で末梢への関連痛が起きないことが条件である。関連痛が起きるということは、その運動による刺激が筋筋膜トリガーポイントを活性するからで、こうしたケースでは関連痛が消失する動き刺激が求められるからだ。 痛みのリスクに活動性が関わっていることは明らかである。 不活動と過活動では共に痛みのリスクが高くなる、と報告されている。活動レベルが低下したからといって、機能や能力が障害されることとイコールではないが、痛みのリスクは大いに高くなるということである。 例えば、横軸(左端を不活動に、右端を過活動)、縦軸(痛み発生の低リスク下方に、高リスクを上方に)を設けて、運動の強度と頻度で調査すると見事なU字型の曲線が描かれるのだそうである。 要するに不活動と過活動は、等しく痛みリスクが高い。そうなると痛みの低リスクは、U字型の底の部分に相当する運動量と頻度がいいわけで、それは軽めの活動性ということになる。 エクササイズの種類はどうあれ、患者さんにとっては、ごく軽度で習慣化しやすい方法が望まれるのである。出来ることから無理なく始める、ということだろう。呼吸が乱れるようなら、そこが止め時かもしれない。制限されている動き刺激を入力することが必要なので、過度にならないように注意しなければならないだろう。 患者さんは、TVの健康体操やらの情報を得ると、とにかく一生懸命に頑張り過ぎる傾向があるようだ。普段は運動することもないのに、これがいいとなると頑張り過ぎて痛みをつくる人が多いように思える。 痛みをかかえる患者さんの自己管理の極意は、ごく軽度で習慣化しやすい頻度であること、制限のある動き刺激から始めること、その運動によって関連痛が誘発されないこと、これらを指標にすることだと思う。 痛みは脳の中にある
⑥ どんな痛みの評価が行われているのだろう 個人的な体験である痛みを、さて、どう評価すべきだろう。 出来る限り客観化するために、臨床的にはさまざまな工夫がされているようである。 例えば、「マックギル疼痛質問表(McGill pain questionnaire;MPQ)」がある。 1972年にMelzackが開発提唱したとされる評価法だ。痛みを表現する言葉が102語あげられている。それらが20のカテゴリーに類され、しかもその一語一語が1~5レベルにランク付けされている。最終的に、ランク付けられた点数の合計点で評価される。 数字化することで、より客観化された痛みに近づこうとする試みである。 このMPG、臨床上はあまり一般的ではないようだ。どうも痛みの表現に民族性や国民性で違いがあり、日本人向きではない表現があるのだそうである。 われわれ徒手療法にも馴染みの評価法といえば、VAS(Visual Analogue Scale)と呼ばれる痛みの評価スケールである。 これもより客観化するために、患者さんの主観的な痛みを数字で評価する方法である。 同じようなものにNRS(Numerical Rating Scale)がある。 NRSは痛みの無い状態を「0」とすると、想定できる最大の痛みを「10」としてナンバリングされている。 患者さんは今の自分の痛みが10ランク評価の幾つぐらいかを示す自己申告の評価法である。 ところがVASにはナンバリングはない。 ![]() 一本の直線があるだけで、左端を痛みのない状態だとすれば、右端は最大の痛みである。で、自分の痛みは一直線上のどの辺にあるかを示してもらう方法である。そのVASスケールにはナンバリングが裏打ちされていて、患者が示した位置から検者が裏打ちされた数字で表記する方法である。 なんで、こんなややこしいことをするのだろう。 人あるいは地域性や国民性によって好きな番号や忌み嫌う番号があると、その番号に無意識に影響される傾向を除外するためのようである。なるほどと思う。こうしたスケール・ツールの販売を江崎器械さんにお願いしておいた。 子供や老人向けにニコニコマークのフェイス・スケールもある。 このファイスにもナンバリングされているので、やはり痛みは数字によって評価する方法である。 ![]() またQOLやADLから腰痛を評価する「ローランド・モリス機能障害評価法(RDQ: Roland Morris disability questionnaire)」、やオズウエストリー腰痛障害質問表(ODI: Oswestry disability index)もある。これらもやはり統計分析されて数字化される。 その他にも、いくつもある。熊澤孝朗先生監訳の「痛み学」(名古屋大学出版会)には、熊澤先生が巻末付録として「アセスメント・ツール」のサンプルを30ページにわたって紹介している。 これらを参考にして、自分の治療室にあった有用性の評価フォームを作る選択もできる。 医療では、器械による「電流知覚閾値(CPT)」、「疼痛耐性閾値(PTT)」という客観的測定も行われるようになっているようである。客観的測定といっても、電気刺激を実際の痛みに置き換えられているわけで、その人の痛みそのものではない。でも、これらはすべて共有できない痛みに出来るだけ近づこうとする試みでもある。 また、慢性で難治性の痛みには「ドラッグ・チャレンジ」も使われるようである。生食とドラッグ後の1分間と5分間でのVAS記録から、効果的な鎮痛薬を見つける方法である。効果的な薬物が見つかれば、その薬の作用効果から難治性疼痛のメカニズムを想定できる。 「ドラッグ・チャレンジ」は、とても興味深い。効果の期待できない薬を闇雲に投与するよりも、実用性の高い方法であるように思う。 こうした痛みの評価法による結果でも、決して実際の痛みそのものではない。 また、治療者が治療の評価のためだけに行うものでもないだろう。 あくまでも患者さんの痛みのためのものである。 その痛みにできるだけ近づいて、そこから改善していく手立てを考えるものだと思う。 治療方針を決めるために、役に立つ情報を集めて統合することが求められている。 したがって、評価の仕方も一様ではなく、特に慢性痛では評価モデルの工夫も必要になるのだろう 前回の記事に、タクさんが寄せてくれました。
ブルースリーの名言です。 「考えるな、感じるんだ!」 治療での感覚の隠喩のように聞こえてました。 治療家にも、この隠喩がきっと分かるだろうと思います。 記事で触れた「見ないでみる」、「押さないでおす」、こんな感覚を感じてきました 今また、このシーンを何度も見れることに感謝です。 「五感を研ぎ澄ますんだ」 「Don't think! Feeeel!」 「月を指差すのと似たようなもんだ」 「指に集中するんじゃない! その先の栄光が得られんぞ!」 この感覚も、とてもよく理解できます。 いいですね。私には「金言」です。 この時期は、毎日の除雪作業の影響で腰痛患者が多くなる。
今日の新患さんの腰痛は、除雪作業で痛めたものではなかった。 震災地区へのボランテア活動で重い物を持ち上げようとしてギクッとなったらしい。 そのまま帰宅して4日目を迎えて来院した。週末からまた出かける予定になっているようである。「待っててくれる人たちがいるので、何とか出かけたいのだが......」。 頭の下がる心意気である。 体幹を真っ直ぐに立てて動いている。前屈が辛いようだ。 徒手療法には、身体機能を抑制バランスでみるスキルが数種類ある。 すべて反射機能の変化を捉えながらみていく方法である。 例えば、下肢長差の変化、フェシオエナジュティック、AKのTLやチャレンジ、αニューロンの遅延反応、オステオパスが多用する圧変動や内圧変動などなど。 私もこれらを使い分けしている。急性の痛みを訴える患者さんには、できる限り負荷かからない方法を使う。 このケースでは内圧変動で身体所見を取った。 内圧変動の方法を文章にするのは厄介だが、敢えて言えば「押さないで押す」という感覚だろうか。 「見ないで観る」という表現を使ったこともあるが、「何にそれ?」と言われそうだ。 ブルース・リーが映画の中で「考えるな! 感じるんだ!」と言った言葉にダブルようなもので、感覚を表現するのは難しい。 それはともかくとして、体表から圧を加えるのだが、実は内圧は押しても分かり難い。だから押さないで圧を通す。ところが内圧の変動が起きていると、そこは内部に停滞したポイントあるいは軸性の停滞を感じる。圧が通らずに、そこで止まるのだ。 それが左の肩から胸郭まで続いている。下肢は右の股関節部から右腰仙部にポイントで存在する。 この軸性から、痛めた時の体位が推測できる。重い物を持ち上げようとしたときに、右手で底部を支え、左手で上部を把握して持ち上げたのだろう。 センタリングを行ってから、停滞した内圧変動を解除したが、左の胸郭はかなり厄介だった。患部には触れていないが、それだけで前屈が40度ほどで右腰仙部に痛みを残す程度に回復している。 今度は座位で仙骨ベースを固定して前屈させると、これがOKである。 この右腰仙部の圧縮障害を解除して治療を終えた。 動きや歩行が平常になり、「痛いところを触らないでも治るの?」と頭をかしげながら、「ボランティアにいけそうですね」と俄然行く気になっていた。 ご苦労様です。 まだまだ震災対応は先行きが見えないようです。胸が痛みます。
痛みは脳の中にある
⑤痛みが医療に残した課題 医療では、EBM(根拠に基づく医療)にしたがってエビデンスが求められる。 ところが、痛みはあくまでも主観的な感覚である。だから、誰もが同じ痛みを共有することはできない。その上に「痛みの定義」にも示されたように、情動・認知の側面を持つ。このことが痛みの定量化を一層困難にしている。 共有できない痛みが医療に投げかけた課題、それは痛みをどう評価するかというテーマでもある。「痛みの評価」は、医療サイドにとっても安易な問題ではない。足枷になっているのは医療が求める「根拠」にあるようにもみえる。 医療サイドが強調する根拠とは、どのように作られているのだろう。 それは、まぎれもなく「観察」だろう。何を観察するのか。おそらくは「身体」ではない。そう言えば語弊があるかもしれないが、「身体」と言うよりは身体を「画像化」したものだから「身体そのもの」ではない。 それから「数学」である。定量化された、あるいは統計に基づいた数字であろう。この数字が、身体の機能的側面の根拠をつくる。要するに「標準化された身体」である。この標準化された身体は「不変」なものとして存在する。医療者の頭の中に存在し、フォーマットされている。 だから医師は直接「身体」を観察する必要性を、先ずは感じないのだろう。何しろ「標準化された身体」というこの「不変なモノサシ」があれば、観察ができるからだ。この「モノサシ」で測ればいい。何を測るのか。あがってきた画像やデータを測るのである。実際の「身体」は、ここでは不要である。 何しろ実際の身体というやつは個性的である。ひとつとして同じではない。変化に富んでいる。そんなものは測定の邪魔である。標準化されたモノサシの範疇にあればOKだ。モノサシから外れた機能は、モノサシ内に収める対策が講じられる。また器質的な外れは、それが将来的にも重大な問題を残す可能性が予測されれば、外科的に対処される。すべては「不変」な数字や画像が支配している。 我々のような徒手療法家には、「標準化」された普遍的な身体はないと言ってよい。だから、実際の身体に直接あたって「変化」を見ている。「変化」を見るのは、その治療家の感覚だから、厄介なことに同じ結果になるとは限らない。そこが独善的だ、と批判されたりする。我々にとって感覚は不可欠な素質であって、だからこそそこを磨きこまなければならない。 医療とは本来「対面」であったが、今では「対データ」になった。 だから「顔も合わせてくれない」と批判も出る。画像やデータに向いていれば事足りるのだから、直接患者さんをじっくりと観察することもないのだろう。 さて、この根拠を求めようとする医療サイドの性は、痛みというエネルギー系に対しても客観化された証を探すようになる。ところが、エネルギー系は画像に写らないから厄介である。そこで、理屈に合わない根拠もまかり通ることになってしまうのだ。 「痛みの評価」が第5のバイタルチェックとされた今、一体「痛み」をどう評価し測定すればいいのだろう。これは、痛みが医療サイドに残した課題である。
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