不用になったベビー・カゴを、ワンちゃんのハウスにでもして、と頂戴した。
まだまだ立派なカゴでチョットもったいない気もしたが、早速使えるように毛布やバスタオルを敷いてあげた。 われ先にと一番乗りしたのは空である。こんな時の空は要領がいい。 気持ち良さそうにカゴの縁にあごを乗せて、満足気のうっとり顔である。 ![]() お調子者の空とは対照的に、桐子は辛抱強い。 散歩のコースもしっかりといつも同じ道筋を通ろうとする。 ところが空は、行き当たりばったり、意識が向いた先に行きたがる。 一緒に歩くと、空と桐子は時に左右に引き別れの状態になるときがあるが、いつも桐子が妥協する。 下のものの面倒見もいい。顔に似合わず気もやさしい。 だが、食い意地だけは、どうにも止まらない だから、食い意地の張った桐子は小さな一匹のジャコをもらうために、鼻の上に乗せられてもじっと我慢の「待て」をする。 ネクタイを締めてあげても小さなジャコのために待つ。 ![]() ジャコのためにも、この真剣な眼差しである。 食べ物には決して気を抜かないのだ。 40歳を過ぎたころから片頭痛に悩まされるようになったという初老の婦人が治療にみえた。
左のこめかみの痛みから始まって、今では後頭部から頭頂部まで広がってきた。 頭頂部に至っては熱感を感じると言う。 不眠や肩こりも出て来て、精神的にも不安定だと申告している。 定年になり旅行にも出たいのに老後を楽しむこともできない、とこぼす。 MRIでも問題は指摘されない。結局は片頭痛と緊張型頭痛の混合型だという診断で、神経内科では頭痛薬に加えてデパスを処方されている。それがもう20年以上も続いている。 この患者さんの頭蓋リズムも異様だった。後頭窩周囲の右側には強い緊張があり、右側頭骨が固着したようにリズム運動が感じられない。逆に左の蝶形骨周辺はとても大きく揺らぐような動きを感じる。 頭蓋リズムを整えて圧変動を調節しながら、本来の生体が持つ中心の軸を安定させることに主眼を置いて治療した。 一週間後に2回目の治療にみえて、これまでの辛さが半分ほどになったようだと言う。 2回目は、呼吸運動に関わる幕系をみながら更に頭蓋リズムを整えた。 やはり左側頭骨のリズム運動が感じられない。 また、一週間後に2回目の治療にみえて70%ほど楽になったようだと言い、その1週間後に3回目の治療にみえたときには、薬をストップしているが全然痛みがなかったそうだ。 昨日は4回目の治療で身体機能も頭蓋リズムもとてもいい感じになって、痛みもなく、眠れるようになって快調だと喜んでもらえた。 このまま良好な状態が維持できることを願うのみだが、それにしても20年来続いてきた頭痛がなぜこんなに簡単に解放されたのだろう? 推測できることは、脳からの下行性疼痛抑制系がうまく働いてくれたのではないかということである。 頭蓋リズムの調整が下行性疼痛抑制系にアプローチできるのであれば、徒手療法の痛み治療の一つの有効な手法となるかもしれない。 また、末梢のポリモーダル受容器からの入力も鍵になるだろうし、脳のより高次機能からの心理的な効果が働いたのかもしれない。 いずれにしろ痛みの信号系をどこかで断つことが肝要なのであるが、その背景にある普遍的原理に注目したいものである。 初老の婦人がぎっくり腰になったと言ってみえた。
座っていてふと振り向いたときに電気が走ったようにギクッときたようである。 ぎっくり腰になると次第に動けなくなってしまうが、今はまだ車の運転ができるので早めに対処しておきたい、という意向である。 触診すると、左の腰方形筋の緊張度が低下している。 前屈位が最も苦痛のようで、お辞儀程度にしか前屈できない。 胸郭や仙腸関節も固着していて可動性が感じられない。 痛みの患者さんをみるときに、特に頭蓋のリズムに注目するようにしている。 中脳の中心灰白質や延髄の青班核などは、下行性鎮痛系の鍵とみられているからだ。 こうした痛みを抑制するメカニズムは、脳が内因性のモルヒネ様物質を出して興奮している痛覚信号を抑えるので、大事なヒトの鎮痛系になっている。 頭蓋療法では鎮痛系にかかわる中脳水道~第三脳室が、リズム運動によって脳脊髄液を産出・循環させている、としている。 そういう視点に立てば、頭蓋の動きが鎮痛機序と深くかかわっているのだろう、との思いがあるからである。 大脳半球を分け、小脳を分けている硬膜系は、そのまま脊髄を包みこんで仙骨に及び、その中を流れる脳脊髄液の液体力学をコントロールしているとされている。 それだけでなく、身体全体の本質的な動きにも影響しているのだろう。 この婦人の頭蓋に触れた途端に、まるで無機質の物体にでも触れているような質感で、リズム運動が感じられなかった。 同調するように呼吸運動も浅い。 全身的にリズミカルな生体の動きが感じられないのである。 頭蓋治療を続けながら「最近、何か変わったことはありませんでした?」と尋ねると、「この間、友人が亡くなりまして随分ショックでした。ここのところ夜もあまり眠れない状態だ」と言う。 精神的な問題やストレス、緊張、睡眠不足や痛みを抱えた人には、頭のリズム運動が不足していたり、イレギュラーなリズムが感じられるのは、あながち無関係な身体兆候ではなさそうである。 頭蓋のリズム運動が回復すると、身体の弾性が出てきて自然な呼吸のリズムが戻ってきた。 腹部の筋膜をリリースし、背部から骨盤の膜系にもアプローチしたが、直接的に膜をストレッチするような直接的な手法は避けた。 ぎっくり腰は動きを改善することが重要だが、直接的に動かそうと働きかける手法は逆にマイナス効果となることが多い。だから、極力そうした直接的なアプローチを避けている。 治療後は背筋が伸びたように軽やかな動きがつくれるようになった。 緊張度の低下した左の腰方形筋の微損傷の回復には時間が必要だろう。 生活の中での注意事項を指摘して、日常の動きを行うことが大切である。決して寝込まないことだ。 「頭」が作り出している身体のリズムは、そのハードの機能系に深くかかわっているのだろう。 「頭」と言っても、決して脳のソフトとしての悪さや病理の問題をさすものではない。 12月までびっしりヤボ用が入りバタバタしながら暮らしていたが、思わぬ出来事があってブログに向かう気にもなれなかった。
家内の姉が帰らぬ人になったのである。まだ60代だった。 気力が急降下である。 そんな時は上昇機運が起こるまでジタバタしない方がいい、と決め込んだ。 「ブログの更新がされていないし、健康でも害しているのではないだろうか?」と、案じてメールをくれた方もいた。 一度もお目にかかったこともないのに、ブログを通じて旧来の友のように心を寄せてくれる。 有難いことである。そんなメールに背中を押されてブログに向かった。 それにしても、あまりにも突然にやってきた大騒動だった。 女兄弟のいない私にとって、義姉は実の姉のような存在だった。 義姉は、何か困ったことが起こると私どもを頼って相談することが多く、他愛無いことでも電話はしょっちゅうだったから、お互い遠方に離れて住んでいても暮らしぶりは手に取るように見えて、その存在はとても身近だったのである。 その姉がメタボ対策にダイエットを始めたと春先に話していたが、お盆過ぎには食が細くなり、便秘がすると言い出した。 ダイエットで胃が縮んだんじゃないの、と言っておいたが、どうも深刻らしい。 高血圧で定期的に通院しているかかりつけの内科で検査を受けた。 胃カメラ検査で癌が見つかる。 大きな病院に転医し、MRIなどの細部の検査を受けることになり、結局は医師も胃の全摘手術で大丈夫だろう、ということになったのが9月のことである。 手術が9月末で、胃の全摘でうまくいくものと高をくくって向かったところが既に手の施しようもなく、そのまま閉じてしまった。 元気に暮らしていたのに、それほどに状態は深刻だったわけである。 それにしても性急で、質の悪いヤツに捉まってしまったものだ。 担当医は「もう何があってもおかしくない状態」と言う。 家族は自宅養生を選択した。義姉も近年求めた我が家に帰りたがった。 家内がかけつけるのに合わせて10月半ばに退院し、自宅に戻っての養生となった。 それから間もなくして、癌性の痛みとの闘いがはじまった。 私はてっきり鎮痛処置がされているものと思っていたが、往診する医師がモルヒネを使うとの選択に義兄が拒否をしたらしい。 モルヒネの印象が「人間をダメにする薬物」と結びついたようだ。 それからは夜昼となく痛みを訴えるようになってようだ。 背中をさすってあげても痛がるようになって、困った子供たちが電話で対応を尋ねてきた。 なぜかモルヒネの副作用のことばかりがクローズアップされている。 モルヒネは正しく投与されるかぎり、安全で効果的な薬であることがわかっている。 モルヒネ を使ったからといって予後が悪くなるわけでもない。 むしろ、適切に使えば体の状態が改善されて延命効果をもたらすことも多いとされている。 癌性疼痛には、患者の生活の質と精神的安定を保つためにも不可欠の鎮痛治療なのである。 ようやく義兄を説得してモルヒネ鎮痛をお願いすることになった。 貼付剤が使われ、鎮痛できない場合は坐薬と併用することになった。 それからの義姉は痛みを訴えることもなくよく眠るようになり、最後は眠るように息を引き取った。 普段は化粧をしない人だったが、お嫁さんが綺麗にしてくれて、やすらかな顔で天上の人となった。 家内が姉に手向けた句を詠んだ。 紅をさし 菊纏う姉 風になり 旅立ちし 姉の枕辺 柿ひとつ 枯蓮や 逝く人のいて 生を知る おっちょこちょいでお人好し、情が深く世話好きで、いつもやさしく明るい義姉だった。 今でも笑い声が耳元でこだまするようである。 「元気になって、また必ず酒田に行くから。頑張るから」、と電話で話してくれた言葉が、私には最後の会話になってしまった。 大事なやさしい義姉を失った。「愛別離苦」が世の常ではあるが、でもやはり寂しい。 「動きで痛みを伴うとき:評価し理解し処置をする」
このフレーズは国際疼痛学会のキャンペーン「世界筋骨格痛年」のシンボルマークに書かれていた。 「世界筋骨格痛年」キャンペーンは光明をもたらすだろうか。 アメリカが政治主導ではじめた「バイオメディカル振興策」の第2弾「痛み10年宣言」は2001年にはじまり、来年はその10年目を迎える。 日本にいてその影響を顕著に感じることはないが、欧米などでは痛み医療に大きな変化をおこしているようだ。 同時に始まったWHOのキャンペーン「運動器の10年」は整形外科主導で行われているようであるが、日本では「運動器」が「骨と関節」に置き換えられたのだろうか。 キャンペーンの記事やポスターをみても、筋肉は無視されているのか、あるいは軽視されているような印象を受ける。 そこで、国際疼痛学会(IASP)が後援するキャンペーン「世界筋骨格痛年」が、今年の10月から一年かけ行われる。 一連の流れは「脳の10年」を皮切りに、「痛み」、「運動器」そして「筋骨格痛」と、普遍的な真理に迫ろうとする確かな方向性が窺える。期待したいものである。 筋骨格痛は地球規模に拡大しており、社会経済的にも重大な影響をもたらしていることに注意を喚起する狙いのようだ。 こうした筋骨格痛の複雑な背景を指摘しながら、その病態や症状には根本的なメカニズムや治療の可能性に共通するものがある、としている。 「世界筋骨格痛年が開始・国際疼痛学会がキャンペーン」におけるキャッチフレーズは「"When Moving Hurts: Assess, Understand, Take Action," :動きで痛みを伴うとき:評価し理解し処置をする」である。 私も、どのような状況で痛みが発症するのか、それを見極めることを治療の鉄則と理解してきた。 ところが、動くと痛い患者さんをスタティツクな画像から、すべてを推し量ろうとする診断が後を絶たない。 先日も3ヶ月前からの左膝の痛みを訴える50代の婦人がみえた。 発症当初から整形外科を受診し、画像から「変形性関節症」と診断された。 「ヒアルロン酸を試みて、それでも痛みがとれなかったら人工関節にする」、という治療計画を言い渡されている。 何とか手術しなくてもいいようにと、近所の接骨院で電気治療と併用して治療を続けてきたそうである。 それでも歩行や階段の昇り降りが辛い。もちろん正座はできない。逆に、動きや痛みが悪化しているような印象だと言う。 痛みの部位を示させると、腓骨頭から上下にそれぞれ10cm幅位のエリアが最も痛む部位のようだ。また、膝蓋骨の内側下方にも限局した痛みを訴える。屈曲すると膝窩部が苦しくなる。 筋筋膜とその機能性にアプローチしたら、その場で痛みもなく歩けるようになった。 2回目の治療のときには、正座で膝窩部の苦しさが残るまでに回復していた。 筋骨格痛は筋筋膜とその機能性に注目して治療すると、結構いい結果が出る。 こんなことは日常の徒手療法の現場ではよく見られることだろう。 運動器と言いながら、「骨と関節」ばかりを注目するスタンスには疑問が残るだけである。 IASPのG・F・ゲプハルト会長が、筋骨格痛のキャンペーンに次のコメントを載せていた。 「研究者、医療の専門家ならびに政府やコミュニティーの指導者など、すべての痛みの関係者がわたしたちと一緒にこの重要な試みに参加して、筋骨格痛のあらゆる面での挑戦に向かい合ってもらいたい。共同作業をし、最新の研究や治療方法を共有することで世界の何百万という患者の痛みや苦痛を大幅に縮小することができる」 大いに期待したいものである。
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